13

「板チョコ、卵、グラニュー糖に、生クリーム、バターと薄力粉。それから粉糖と、クッキングシート、ラッピング用の箱に、リボン。よし、全部あるね」


 エプロン姿の怜依奈が満足げに頷くのを、美桜は他人事のように遠目から見ていた。

 美桜のマンションのキッチンで、これからチョコ作りをしようということらしい。

 ただ、問題は当の美桜にやる気が感じられないこと。それが、怜依奈は不服だった。


「レシピも用意したし、飯田さんにもコツ聞いたから、何も心配することないんだけど。芳野さんもこっち! カウンターの内側に来てってば! 一体誰のためのチョコよ!」


「え、え? でも私」


「飯田さんに聞いたからね。芳野さん、本当は料理殆どできないんだって。炒めたり焼いたり、簡単なことならどうにかなるけど、分量とか切り方とか、細かいことになるとちんぷんかんぷんで覚えようともしないって。秀才のクセに、そういうところ出来ないなんて、芳野さんも人間らしいところあるじゃない。ホラ、焼き時間も考えなきゃいけないんだから、早く早く!」


 日曜日、朝早く美桜の自宅に押しかけた怜依奈は、美桜の了承を得ぬまま彼女を買い出しに連れ出した。スーパーで一方的に商品をカゴに入れ、ササッと会計をすますと、またとんぼ返りに美桜のマンションに戻ってきたのだ。


「ね、ねぇ。ガトーショコラなんて難しい物、止めた方が」


 料理の苦手な美桜は弱腰だ。


「難しくありません。ちゃんと手順間違えずにやれば、お店で売ってるようなのができるから。さ、頑張って作ろうよ。凌が喜んでくれる顔を思い浮かべながらさ」


「で、でも、須川さん。私なんかの手伝いしなくったって、あなたが一人で作って凌にあげた方が、安全に美味しくできるんじゃ」


「――何ネガティブな思考に陥ってるの? これは芳野さんが作らなきゃダメなの。いい? 私のことなんて、凌は全然眼中にないんだから。芳野さんが自分で頑張ったのを凌にあげるの。私はお手伝いだけ。戦闘のときはあんなに上から目線なのに、本当に苦手なのね、料理するの。怖がらなくったって良いのに」


「だ、だって。失敗したら爆発しない……?」


「しないから! もぉ! いいからエプロンつけて早くこっちおいでってば!」


 普段は大人しく、教室の隅で本を読んでいる怜依奈が、なんだかとてもたくましい。

 美桜は怜依奈の勢いに押されるようにして、小走りにキッチンカウンターの内側に急いだ。


「ボールは?」


「シンク下」


「お湯はポットのを使えば良いわね。あとは、ゴムべらは……、ここね」


 キッチンスケールの上にボールを置き、慣れた手つきでレシピ見ながら材料を用意する怜依奈に、美桜はただ感心しきりだった。


「芳野さん、湯煎」


「あ、はい。湯煎?」


「チョコの中にお湯が絶対に入らないように。ゴムべらで材料を回しながら、ゆっくり溶かしていくの。バターと砂糖も一緒に混ぜてね」


 調理台の上にボールを置き、お湯を注いだあと、更に材料の入ったボールを置く。じわじわとチョコが溶けていくのを見ながら、ゆっくりとゴムべらを入れるが、気を抜くとボールが外れてしまいそうになる。美桜は左手でしっかりと上のボールを押さえながら、何度も何度もゴムべらを動かした。


「ふるい、ある?」


「ふるい? って、何?」


「そうか、ふるい知らないのね。えぇと、もしかしたらボールの近くにあるかな。あ、あった。大丈夫。流石ケーキも手作りしちゃう飯田さんの立つキッチンだわ。ちゃんと揃ってる」


 湯煎している間に、怜依奈は次の作業の準備をしていた。小麦粉を量って、別のボールに入れているようだ。


「須川さんて、料理、慣れてるのね」


 美桜は怜依奈の手元を見ながら、そう言ってため息を吐いた。


「私なんて、本当に最低限のことしかできない。一人で大丈夫だからって言っても飯田さんが頑として譲らない気持ちがわかった気がする。私、生活力がないのよね」


「生活力?」


「そう。こっちの世界で生きていくためには絶対的に必要なもの。勉強ができるだけじゃダメよね。もっと料理に興味持って、美味しい物たくさん作れるようにならないと、凌に嫌われたりして」


 すると怜依奈はフフッと笑って、


「それはないと思う。相手が苦手なことも全部受け止めてくれるのが凌じゃない。どうにでもなるわよ。料理できなくったって、食べ物は豊富でしょ? 気にすることないから。それにね、必要に迫られれば、案外どうにかなるもの」


「そ、そうなの?」


「そうそう。――もうちょっと全体を良くかき混ぜて。むらがないように。で、私なんて、両親離婚してから、どうしてもご飯作ることが多くなって、無理やり覚えたんだから。難しいって思うから難しいんであって、やってみれば簡単なことも多いよ」


 全体が溶けて混ざったことを確認して、怜依奈は小皿に溶いておいた卵を数回に分け、ボールに流し入れた。更に生クリームを加え、最後に小麦粉をふるい入れ、ザックリと混ぜ合わせる。チョコのつやつやの中に美味しい物がどんどん合わさって、甘い匂いがキッチン全体を包み込んでゆく。


「あとは型にクッキングシートを敷いて生地を流し入れて焼くの。焼けたら粉糖でお化粧して、冷蔵庫で冷やすだけ。ね、簡単でしょ?」


「え? か、簡単?」


「大丈夫、最後まで手伝うから。芳野さんはもっと人のことを信頼して、頼ることを覚えた方がいいと思う。頼って、甘えて。そういうのって大事でしょ? 離れてから甘えたいって思っても遅いの、芳野さんならわかってるはずだけど」


 型のサイズにクッキングシートを切り取りながら怜依奈が言うと、美桜は複雑そうな顔でこくりとうなずいた。

 小さい頃に母親が他界して伯父に預けられていた美桜にとって、それはとても胸に響く言葉だった。


「凌が神様になりきる前にさ、甘えたら良いんじゃない?」


 美桜は手を止め、うつむいた。


「まだ凌が凌の気持ちを忘れないうちに、しっかりと恋人同士、気持ちを伝え合った方が絶対良い。私、寂しそうな二人を見てると、胸が苦しくなるから。だから、手伝うんだからね」


 怜依奈はそう言って、手際よくケーキの型にシートを被せた。

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