第20話

「おばあちゃん、久しぶり」


「久しぶりじゃな」




 冬の冷たい風に当たりながら、私はおばあちゃんの居る老人ホームへとやってきた。いつから待っていたのだろうか、玄関には、車いすのおばあちゃんがすでにいた。入口に入る前の遠くから、おばあちゃんが待っているのだろうと思える姿が見えていた。寂しかったのだろうか、いつもなら来てから出迎えてくれるのに、今日はもう、そこにいる。




「寒かろう、部屋に入られ」


「ありがとう、待った?」


「いーーや、まっとらん」




 おばあちゃんはよく嘘をつくので、きっと待ったに違いないと思いながら、私は中を進む。おばあちゃんは自分の過ごす部屋へと案内し始めた。廊下に貼ってある、冬の綺麗な白と水色の飾りつけが、冬なのだなと私に知らせてくる。季節の感覚を今の私は忘れてしまっているのだ。




「ここで話され」


「うん、お話ししよう」




 お年寄りでも開け閉めしやすいドアをスッと開けると、二人分くらいの食事を並べられそうな小さな茶色の丸い机の前に案内される。そこにある低い椅子に腰かけて、車いすのおばあちゃんと話し始める。




「元気にしとったんか、仕事はどうしたん」




 この半年は、ほとんど顔を見せることが出来なかったのと、突然の来訪に、おばあちゃんは寂しさと驚きを混じらせながら言葉を続ける。




「顔が疲れとる、休んどるか」




 私の顔を見て、おばあちゃんは心配をしてくれた。きっと誰が見ても、高校生の時の私と今の私では、違う顔だろう。




 そして、私はおばあちゃんに正直に話すことにした。




「あのね、仕事が辛いの。毎日残業ばっかで疲れちゃって、耐えられなくて。休みもないの。でも、頑張らなきゃお金貰えない。ちゃんと行かなきゃ、怒られちゃう。でも、一週間もお仕事休んじゃったの。明日は行かなきゃいけないから行くけど。私逃げてるかな、負けてる?」




 私の話を、眉毛を八の字に垂らして、おばあちゃんは、そうかそうか、と頷く。そして、口を開いて言ったのだ。






「勝っとる、十分」






 その言葉はとても心に染みわたった。心の奥底に言葉はやって来てくれた。自分は負けて逃げているのではないかと、責めそうになっていたから、言葉がとても染みたのだ。でも、どうして勝ってると、言えるのだろうか。私はおばあちゃんに理由を聞く。




「どうして?」


「頑張っとるけえな」




 頑張ってると、そう言ってくれる人がここにもいてくれた。それがとても、とても嬉しかった。ほかほかで、温かい気持ちが私に広がっていく。でも、私は頑張っているだろうか。頑張ってもゴールが見えてはくれないのに。頑張っていると本当に言えるのだろうか。




「でも、頑張っても、頑張るだけ辛くなるよ」


「なら、辞めたらええ。諦めろ。もう、行くな。明日も行くな。自分の夢でも探されよ、やることまだ、あるんじゃろ」


「おばあちゃん……」




 私はおばあちゃんの言葉に涙をグッと堪えた。今泣いてしまえば、心配されてしまう。だから、心の蓋の手前で、グッと止めたのだ。今にも溢れそうな自分の波を、抑えたのだ。




「おばあちゃん、夢って」


「大学いけんでも、見つからんこともない。仕事は世にぎょうさんあるで」




「自分に負けんように」




 私は何を逃げてるなんて、言っていたんだろうか。何に対して負けちゃいけないなんていっていたんだろうか。




 ただ、自分に負けていただけじゃないか。正直に突き進めていないだけじゃないか。違うじゃないか。




 今の会社なんてどうでもいいじゃないか。逃げてるのは会社からじゃない、自分からだ。自分がどう生きたいか、ちゃんと向き合わずに逃げているのだ。




 だから、苦しいんだ。




 何を今まで言い聞かせていたんだ。




 私は決めたじゃないか。これから私の道にちゃんと進むんだと。




 こんなところで、自分に負けてる場合じゃない。




「おばあちゃんありがとう、なんかやることわかったかもしれない」




 そう、お礼を伝え、老人ホームから私はサヨナラをして、電車と徒歩で一時間の道を寒さなんてどうでもよいと進み、帰っていった。




 アパートに着けば、ガシャンと勢いよくドアを開けて、あるものを探した。




「あった……」




「退職届セット」




 本当は書きたかったんじゃないか、と隠してあった封筒と書類セットに何故か笑えた。これが隠してあるなんて、そういうことだ。




 私は、すぐに黒いボールペンで丁寧な字を書き進める。これを書かなきゃ始まらないのだ。




私の生きたい人生は、始まってくれないのだ。




「私は私で生きるのよ、こんなところで躓いてられない!」

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