第48話 兄の枕に顔を埋める妹

 湯船につかりながら一人、今日のことを考えていた。 


 今思い返せばわかる。渡辺先輩を振った時、僕に掴みかかってきた人はおそらく渡辺先輩のことが好きだったんだ。


 恋慕の情。それを抱くことは簡単であっても、満足させることは困難。

 僕は前世でも今世でも恋をしたことが無い。


 兄妹愛や家族愛なら当然人一倍あるつもりだけど、恋愛はない。


 ……別に誇れることではないけども。


 このままこの暖かい湯船にずっと浸かっていたい……。

 自分の心が冷たいから。

 そんな風に考えてしまった。


 確かに僕は誰かを救うことができたのかもしれない。

 だけどそれと同時に僕がいたから不幸になった人もいるかもしれない。


 ……あの渡辺先輩の時のような。


 どこかでこんな言葉を聞いたことがある。 


 誰かが幸せを感じている時は、必ず誰かが不幸になっているんだって。

 もしその言葉が本当なら、世界から不幸を隠すことはできない。


 仮にできたとしても、そしたら幸福

も消えていってしまう。


 僕はその言葉をこの世界に来て知った時、この世界は平和だけど、平和なりに残酷さもあると感じた。


「兄さん、着替え持ってきてないでしょ?」


 口元まで湯船に浸かって考え事をしていると、楓の声が脱衣所から聞こえてきた。


「ああ、ごめん、取ってきてもらえると助かるんだけど」


「いいよ。持ってくるね」


「ありがとう」


 そういえば最近、楓が普通に戻った。


 以前なら堂々と風呂場を覗いてきたり、寝込みを襲ってきたりしていたのに。


 何かあったのだろうか?

 それともただ自分を見直し反省したのか。


 元に戻ってくれたのは嬉しいけど、またあの暴走状態になりかねないから安心できないんだよな……。


「じゃあ兄さん、着替え置いといたからね」


「うん。助かったよ、ありがとう」


 楓はバタバタとどこかへ走っていった。


 どこか焦っているような感じだったが、テレビでも見ていたのかな?


 あまり気にせずお風呂を堪能した。

 入浴を始めたからかれこれ三十分は経った。


 いつもならもっと早く出るのに今日だけは妙に疲れが溜まっていたし、色々なことを考えてしまっていた。


 脱衣所で楓が持ってきてくれた服に着替えてそのままリビングに行ったが、楓の姿が見当たらない。


 勉強でもしてるのかな? 

 それならあまり足音を立てずに行った方がいい。勉強の妨げになってしまうかもしれないし。


 ゆっくりと一段一段音を立てずに上っていく。

 前世でモンスターから逃げる際によく隠密行動をしていたので、その時の成果が出た。


 最後の一段を上り切った。

 あとは静かに部屋に戻るだけ。

 しかし、その時僕は違和感を感じた。


 なぜなら僕の部屋の隣に楓の部屋があるのだが、明かりが点いていない。

 ゲームなら爆音が聞こえるはずだし、読書なら明かりがないと読めないし。


 それともう一つ。僕の部屋の明かりが点いていた。

 部屋を取りに来た際楓が消し忘れて言ったのか。


 物静かで明かりが点いていないとなると、もう寝てしまったのか。


 早いな……まだ十時だぞ?

 楓なら明日が学校でも軽く一時くらいまでは起きているのに。

 妹も学校で疲れが溜まっていたのか。


 そのまま心の中で楓におやすみと言い、自室に戻った。


 部屋の扉を開けると――。


「クゥン クゥン 兄さぁぁぁぁん」

 僕の枕に顔を埋めた妹の姿が目に入った。

「はぁ……はぁ」


 それに息づかいも荒い。

 ……妹の乱れた姿に硬直していたが、一刻も早く注意しないと!


 今さっきまでの楓に対する気遣いを返してほしい。

 顔を赤く染め、自身の手をどんどんと下半身へもっていこうとする楓に待ったをかけた。


「おい楓」

「――ひゃい⁉」


 まさか背後に兄がいると思ってなかったのか、お尻を浮かしている態勢で硬直した。


「兄さんの部屋で何をやっているんだ?」


「こ、これは……寝ぼけて自室をと間

違えたの」


「嘘つけ! 最近の楓は元に戻ってきたと思ったのに……どうしてこうなるんだ」


「しょ、しょうがないじゃん!」


 楓は開き直ったのか僕に叱責した。


「兄さんの入浴中も就寝中も襲わずに我慢したら歯止めが効かなくなっちゃったのよ!」


「知るか!」


「第一、毎日無防備の可愛い妹がいるのに襲ってこないわけ⁉ 兄さんの理性はどうなってるの⁉ もしかしてそっちの趣味があるの⁉」


「落ち着くんだ楓! 別に僕はそっちの趣味があるわけじゃないよ」


「じゃあなんで襲ってこないのよ!」


 ついに暴走が開始した。

 自分がとんでもない発言をしていることに気が付いていないのか?


 前世の言葉を借りるとすれば、今の彼女は〈暴走状態バーサーカーモード〉とでも名付けよう。


 ……って何真面目に考えてるんだ。そんな悠長なことしている暇はない。


「楓、別に楓に魅力がないとかじゃないから!」


 思い切ってそう言うと、一旦彼女は冷静になった。


「じゃあなんで襲ってこないのよ」


「それが普通なんだよ。実の妹を襲えるわけないだろ?」


「は? 何を言ってるの?」


 僕に投擲するつもりで持っていたであろう枕を離し、僕の目を硬直して見つめていた。

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