2021年4月16日の考え(第三回)

取り扱いたいトピックがあるので書いておきたいと思います。タイミング的にいえば、4月5日の夕方くらいにそのトピックを見つけたので、前回の投稿にまとめようと思えばまとめられたのですが、少しだけ寝かせてみました。

では本題に入っていきます。今回は某フリーペーパーに掲載されていたとある四コマ漫画とそれに対する反応についてです。大まかな内容としては「同性婚は少子化を進行させるものであり、それを法律で認めるなど国を滅ぼす行為である。」というようなものです。多少、私の言葉遣いの問題で悪意的な解釈をしている可能性はないとは言えませんが、恐らく作者が伝えたいこととほぼ同じでしょう。(つまり、曲解によって汲み取ったわけではないということです。)これに対してTwitterでは、様々な方が意見を述べ、多くはその内容を批判するものであり、結果的に炎上しているというのが現状です。私としても、その内容に対しては、文句を言いたいことがたくさんありますし、また「正気の沙汰じゃない」など強めの、悪意のある表現を意図的に用いている点などは正直、非常に不快です。そして、どこか言葉に対する侮辱的な感覚すら覚えます。あまり内容に直接触れると、感情的になり過ぎてしまうので、このくらいに留めておきます。

このような漫画や、その漫画の炎上の様子を見て、私が考えたのは2つのことです。1つ目は同性婚を初めとした結婚と育児について。2つ目は炎上という現象についてです。

まず1点目です。同性婚を認めない人々の根拠として挙げられるものに、少子化を進行させるというものがあります。これを少し拡張して考えると、彼らは結婚というものに(種の繁栄的な)合理性を求めていると言えます。種の繁栄に役立たないから同性婚は認めないと、そういうわけです。しかし、そう考えると今の結婚制度やその元となる恋愛も種の繁栄的な意味では非合理的なのではないかと考えられます。これに関しては4月3日にも触れましたが、究極的に種の繁栄を追求したければ、当事者の好き嫌いを無視して適当に男女を交配させればいいだけなのです。結婚したくても出来ない人がいる現状よりずっと、種の繁栄的な意味で合理的です。でも、それを誰が望むでしょうか。同性婚を認めない彼らでさえも、この提案には首を横に振るでしょう。それは幸せじゃないと。この段階で彼らの主張は破綻しはじめると思います。彼らとしては当事者による特定の男女という枠組みの中で幸せを規定し、そのうえで種の繁栄的な合理性を求めようというのです。少し皮肉じみた言い方をするならば中途半端な主張、彼らに寄り添って言うならば折衷案的な主張です。しかし、この主張が比較的好意的に捉えられうるのは(「希望した男女が全ての結婚し、希望した男女が平均2人以上の子供を育み、その子供が全て健康的に・文化的に育てられる保証・支援がある社会」においてのみ(そのような社会でも比較的好意的に捉えられるだけで、この主張を正しいとするものでは無い)です。現在の日本はそのような社会であるとは言えません。

そして、少し話を遡って、種の繁栄的な合理性だけを考えるならば、現在少子化が進行している日本などの国々の存亡を心配する必要などまるでなく、むしろ増加の一途を辿る世界人口がどこで頭打ちになるのか、その事を注視する方が「合理的」であるように思います。

まあ、私はこのような極端な理論を推し進めるつもりはなく、何が言いたいかというと、「『合理的』かどうかで人の恋を判断するべきではない」ということです。そのためにこうしてたくさんの言葉でつらつらと述べあげたわけです。近年、世の中では様々な変革が急速にもたらされており、必要か不要か、無駄か否か、というようなことが重要視されているように思います。しかし、これらの価値判断は人によって異なり、それこそがまた、近年叫ばれている「多様性」なのではないでしょうか。フリーペーパーの四コマ漫画から、そんなことを考えたのです。

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