第123話 研究所に風穴

 物心がついたときから、ランスは外の世界を知らなかった。

 真っ白な天井と真っ白な壁、真っ白な床と透明なガラスに囲まれた狭い場所に閉じ込められていたから。


 食事は定期的に与えられるし、白い服にも困らない、たまに来る話し相手もいる。

 簡単な学問も学べたし、退屈しないようにと、いくつかの本も置かれている。

 でも自由はない。その頃のランスは、自由の意味も知らなかったし、代わり映えのしない毎日に疑問も持てなかった。


 ただランスのいる場所が「研究所」で、自分の魔法が珍しいから、定期的にデータを取られていることだけ理解できた。


 なんの属性にも染まらない「無」の魔法。

 それは無属性と名付けられ、ランスは魔法使いたちの格好の研究対象になったのだ。


 だがある日、ランスの世界は前触れもなく壊れてしまった。

 文字通り、研究所ごと、ぶっ壊れた。

 白い天井や壁に巨大な穴が空き、透明なガラスが割れ、ランスを研究していた大勢の魔法使いが一斉に逃げていく。


 外へなんて出た経験がないランスは、混乱極まる現場を見ても、どうしたらいいかわからなかった。

 ただその場で右往左往するしかできない。

 無属性の魔法だって、ほとんど使えないし役に立たない。


 やがて周りは静かになったが、ランスはまだ部屋から動けないでいた。

 割れたガラスより先には、行ったことがない。データを取られるときはいつも、相手がこの部屋に来るからだ。

 単純に、未知の世界へ足を踏み出すのも怖かった。


 だれもいなくなってしまったと途方に暮れていると、天井の穴から視線を感じた。

 驚いて上を見上げると、一人の女性がランスを見下ろしているのが目に入る。


(女の人……?)


 雰囲気から、研究所に所属する魔法使いではないとわかった。

 ここに来ている理由までは知らないが。


 ランスをじっと眺めていた彼女は、こちらが動かないのを見て穴から下へ下りてくる。

 初対面の人物との接触に、ランスは驚き固まった。


「ここにいるってことは、あなたは研究所の実験台? 閉じ込められてたの……? なんで逃げないの?」


 立て続けに質問されても、どう答えればよいのかわからない。

 なんとか発した答えは、今の素直な心境だった。


「逃げるって? どこへ行けばいいのですか?」


 親も兄弟もいるのかいないのかさえ知らない。

 研究所にいる顔見知りの魔法使いたちも散り散りに逃げていなくなってしまった。

 ランスは自分では何も決められない。

 縋るように女性を見ると、彼女はしばらく考えたあと、ランスに近づきキュッと手を握ってきた。


「帰る場所がないなら、うちにくるといいわ。ちょっと手狭だけど、もう一人くらいなら大丈夫だから」


 言うと、彼女は白く光る魔法を壁に放って大穴を開けた。いくつもの壁に連続して穴が空き、建物の外の様子が見える。

 穴の向こうから、涼しく新鮮な風が吹き込んできた。

 ランスは物心がついてから、初めての色のある景色を見る。


(わあ、すごい……じゃない。もしかしてこの人が建物を壊した犯人? 危険な人?)


 おそるおそる女性の様子を窺うが、彼女は何も気にしていない様子だ。


「さあ、行くわよ」


 そう言ってランスの手を取り、ぶち抜いた穴を通って、外に向かって歩き出す。

 ランスは誘導されるがまま進み、やがて研究所の外に出た。

 頬に当たる風が強くなる。

 足下はふかふかの土だし、空は青い。

 知識でしか知らなかった現実がそこにはあった。


「あなた、名前は?」

「……ランスと呼ばれています」

「そう、私はアウローラよ。じゃあランス。家に転移するわね」


 破壊した建物をそのままにして、女性はランスと手を繋いだまま転移魔法を使う。

 転移魔法についてもランスは知識だけ知っていた。

 飛ばされた先は研究所よりも小さな建物だが、ランスの部屋よりは広い空間。


「ここが私の家。私と二人の弟子が住んでいるの。あなたも今日から私の弟子よ」

「『弟子』……?」


 言葉の意味がわからず問いかけると、女性は少し悩んだ末に別の答えを口に出す。


「うーん、研究所育ちだと知らないのかしら。『生徒』って意味だけど、わかる?」

「『生徒』なら知っています。研究所で私に文字を教えてくれた人が『先生』で、私は彼の『生徒』でした」

「そうそう、そんな感じ。私は先生として、あなたに魔法と生活の知恵を教えるわね」

「……? はい」


 ランスには女性――アウローラの言っている内容がいまいち理解できなかったが、生徒になれば、ここで生活していけるということはわかった。

 壊れた研究所に戻されても、このまま放り出されても困るので、今は生徒になるのが最善だ。

 素直に頷いたランスは、その日のうちにアウローラの弟子になった。

 

 謎の魔法使いアウローラの弟子としての生活はなかなかにハードだ。

 意地悪な兄弟子たちの妨害にもめげず、ランスはアウローラの傍に居座った。


 アウローラ曰く無属性の魔法はアイテム作りと相性がいいらしい。

 彼女は若いのに様々なことを知っていた。魔法に関して言えば、研究所にいた人々よりも詳しい。


(先生は研究所を壊した犯人だけど、くだんの研究所は人々に有害な魔法の使い方を研究していたって先輩たちが話してた。だから、国から依頼が来て先生が破壊しに行ったって)


 ランスは兄弟子たちを先輩と呼んでいる。先輩らしいことをしてもらった覚えはまったくないが。


 とにもかくにも、ランスにとって楽しい日々が始まった。

 こんな日がずっと続くと、あの頃は思っていたのだ。

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