第120話 聖人は画伯に困惑する

 ネアンはイライラした気分で虫かごの隙間を睨んでいた。

 得体の知れない魔法使いたちによって、ここに閉じ込められてから数日が経過しているが、まだ出られる目処は立っていない。


 いくら暴れても魔力は戻らないし、虫かごは壊れなかった。

 その上、部屋には誰も来ない有様だ。

 魔法の効果なのか、腹が減ったり喉が渇いたりすることはないが、なんとも不快である。


(あいつら、俺の魔力を封じたあげく、こんな場所に押し込みやがって)


 モーター教における第二位の聖人であるネアンは、魔法の実力に絶対的な自信があった。

 本来なら、現代の魔法使いに負けるはずがないのだ。


(くそっ、あの者たちは全員異分子に違いない。早く総本山に知らせ、対策を立てなければモーター教の権威が落ちてしまう。レーヴル国もなんとかしなければ)


 やるべきことはたくさんあるのに、虫かごから出られないこのもどかしさ。

 無駄だとわかっていながらも、虫かごを壊そうとあがき続けている自分はなんとも滑稽だ。

 一緒に閉じ込められた弟のカオと聖騎士のミュスクルは、隅っこで膝を抱え、何もかもを諦めた様子で小さくなっている。


(ちっ、役立たずめ。少しは何か考えたらどうなんだ)


 どこまでも足を引っ張る二人にイライラしていたネアンは、ふと覚えのある気配を感じて身構えた。

 魔力は封じられているものの、戦闘訓練などを受けている聖人は他人の気配に敏い。


(誰かが一人でこちらへ近づいてくる)


 やがて現れたのは、この場にいることが信じられない人物だった。

 黒と白に分かれた特徴的な髪に銀色の瞳。真っ白なローブを着た、自分とそう年の変わらない外見の青年。

 しかし、ネアンは彼がずいぶんと年上で、自分とは全く異なる存在だと知っている。


「教皇様……」


 自分のために教皇自らが助けに来てくれた事実に、ネアンは感動した。

 震える声で名を呼ぶと、青年は特に感情の乗らない瞳で虫かごを見つめる。


「二位と十位。あと騎士」


 ネアンは知らないが、青年こと教皇は、部下たちの名前を全く記憶していなかった。

 名前どころか、顔を覚えているかも怪しい。

 もともと興味のあること以外は右から左へ抜けていく性質なのである。


「そこのあなた。何がどうなっているのかわかりませんが、出して差し上げますので簡潔に説明してください」


 言うと、教皇は虫かごを軽く破壊した。

 中から転がり出たネアンたちの体は、徐々に元の大きさへ戻っていく。


「ああっ、教皇様、ここまで来てくださり感謝いたします!」


 初めて出会ったその日から、ネアンはずっと教皇に憧れを抱いている。

 興奮から、腕の震えが止まらない。


「そういうのはいいので。とっとと説明してくれます? あなたをここへ閉じ込めたのは誰ですか?」


 ハッとしたネアンは慌てて立ち上がり姿勢を正すと、自分の身に起きたことを教皇に伝える。


「怪しげな魔法を使うレーヴル国の王子が、俺の魔力を封じてここへ閉じ込めたのです。危うくあの女のおもちゃにされるところでした」

「あの女?」

「ええ、王子は『師匠』と呼んでおりました。夫がいたので、おそらくどこかの貴族の夫人ではないかと」


 話を聞いた教皇の目が大きく見開かれる。


「いた、この時代にいた。転生、してた……」


 彼が驚きを露わにする理由はわからず、ネアンは首を傾げた。


「教皇様?」


 さっと部屋を見回した教皇は、近くにあったペンと紙を手にし何かの模様を描き始める。

 特殊な魔法陣かと思ったネアンは紙をのぞき込んだ。


「あの、教皇様、それは?」

「あなたが見たという女性は、このような人物でしたか?」

「へ……?」


 ネアンは改めて、謎の魔法陣に目を落とす。


(これ、魔法陣じゃなくて、まさか人の顔だったのか……? いやいやいやいや、無理だろ、意味不明だろ! まず女に、というか人間にすら見えないぞ!!)


 謎の物体が描かれた紙を前に、なんと回答すればいいのかわからず、ネアンは狼狽えた。


「この美しい女性に、あなたは会いましたか?」

(美しい!? 謎の模様が!?)


 厳しすぎる試練にネアンはますます動揺する。

 そのとき、横から救いの手が差し伸べられた。カオだ。


「あの、教皇様。浅緑色の髪をした、変な魔法ばかり使う女でした。ゾンビリーパーもカニババットも全滅させて、ボクを弟子にするだなんてふざけたことを言って……」

「……!!」


 教皇が先ほどよりもさらに驚いている。

 続いて、彼は今まで誰にも見せたことのないような柔らかな微笑みを浮かべた。


「ああ、きっと先生に間違いありません。だとすると、先輩は先生を独り占めしていたのでしょうか? 許せないなあ、嫌がらせしちゃおっかなぁ。でも、先生が無事に転生できていてよかった」


 聖人二人と聖騎士一人は、いつになく頬を紅潮させた教皇の姿を見て非常に困惑した。

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