第93話 一番弟子の思い出3
自分を連れ帰ったばかりに、アウローラはあの建物から追い出されてしまった。
エペの中でアウローラに対する申し訳ない気持ちと、ここで放り出されたら行き場がなくなるという危機感がせめぎ合う。
恐る恐るアウローラの様子を盗み見る。これは奴隷として生きてきたエペの得技だった。
相手の考えや感情、次の行動を読み危険を回避しなければ、大怪我を負うことになる。
だが、アウローラは飛ばされた先の部屋にあったソファーに飛び込み、「今日の店番、回避できたー」などと、心底どうでもいい感想を漏らした。
「そうだ、エペの部屋を用意しなきゃ! その前に……」
何かを思い立ち、起き上がったアウローラは、おもむろにエペの腕を掴んで部屋の奥へ進んでいく。そして、突き当たりの部屋の扉を開く。
追い出されてはかなわないので、エペは素直に従った。
「ここが洗面所、奥がお風呂よ。入り方、わかる?」
体を洗えということだろう。たしかに、今のエペはアウローラに比べればかなり小汚い。
(風呂の存在は行商人の話を聞いて知っていたが、見るのは初めてだな)
エペのいた村に風呂はない。家族も川から水を汲んできては布で体を拭いていた。
奴隷扱いのエペは、他の家族のように身ぎれいにするのを許されなかったので、人の目を盗み、川に飛び込んで体を洗っていた。
「うーん、どうやって伝えればいいかしら」
ラムはエペの手を引いたまま浴室の扉を開け、湯の出し方、石鹸の使い方などを懇切丁寧に説明していく。
「さっきの部屋にいるから、わからないことが出てきたら呼んでね」
気づけば、きびすを返すアウローラの腕を思わず掴み返していた。
「おい……俺は……風呂が済めば、この家から出て行くんだよな?」
アウローラはきょとんとした表情を浮かべ首を傾げてみせた。
「あら、どうして? あなたは私の弟子だから、ここに住むのよ。言ったでしょ、部屋を用意するって」
「追い出さないのか? 俺のせいでお前はさっきの家から飛ばされたのに」
「いずれにせよ、師匠の話だと来年あたりには追い出されていたはずだし、一年早まったって大して変わらないわ。それに、あなたを弟子にすると『私が』決めたのよ。放り出したりしない。私は十二歳だけど魔獣も倒せるし薬も作れる。手紙の転送も失せ物探しも、街の防衛もアイテム加工もできる。師匠の手伝いで伝手もできたから、一人でも十分暮らしていける……師匠は私にそれだけのものを与えてくれた。弟子を一人養うくらいの甲斐性はあるから安心してお風呂に入ってきて」
まるで現実味のない言葉だが、魔獣を倒したアウローラの実力だけは確かだ。
彼女が扉を閉めて出て行ったあと、エペは黙って浴室で体を洗った。魔力に反応する蛇口からは温かいお湯が出た。
エルフィン族の女は自分たちを「魔法使い」とは言わず「魔女」と呼ぶ。エルフィン族の男は魔法を使えないからだ。
だから、エルフィン族に育てられ、師事したアウローラも自らを魔女と名乗っていた。
アウローラもまた、エペと経緯は違えど親に捨てられ、フィーニスに引き取られた子供だった。
フィーニスの別荘で暮らし始めてから数日……エペは重大な問題に直面した。
「飯が、不味い」
甲斐甲斐しく弟子の世話を焼くアウローラは、毎日エペの食事も用意する。
しかし、この食事は普通では考えられない味がするのだ。
これならばまだ、村で食べていた、家族の残り物の粗食のほうがマシなくらいだ。
一体何を入れればこんな味になるのか。
だから、エペはアウローラに提案した。
「家事は俺がやる」
奴隷として家事をさせられていたエペは、そちら方面ではエキスパートと言える。
しかも、ここでは魔力に反応して蛇口から水が出たり、竈の火が付いたり、機械が動いたりする。
村よりも圧倒的に早く仕事を終えることができるのだ。
家事と並行して、エペはアウローラに魔法を学び始めた。
アウローラはまず、大釜を使った調薬をエペに教え込んだ。魔女の薬は人々の助けになるので、それさえできれば生活していけるからだ。
魔法の工程が単純なものも多いので、いい練習になる。
次に生活魔法、自衛魔法、伝達魔法……と徐々にできることを増やしていった。
エペは要領が良かったようで、魔法を習得するのも早い。すぐに魔法使いとして働けるようになった。
他には文字や常識の勉強も行う。
アウローラの常識はエルフィン族基準なので、あまり当てにはならなかった。
成長しても、アウローラは常にエペの親気取りだった。
それが妙に腹立たしく感じ始めたのはいつ頃からだろうか。
彼女は次々に弟子を拾ってきては別荘へ連れ帰る。
今ならフィーニスの言った言葉の意味がわかる気がした。
緩やかに時は変化してアウローラは成人し、師の跡を継いで王宮の魔法使いになった。
フィーニスがある日、忽然と姿を消してしまったからだ。
彼女の家には「旅に出る」と書き置きがあっただけだが、アウローラはどこかでそれを予測していたようで、動揺を見せなかった。「成人するまで、待っていてくれたのね」と少し寂しそうな表情を浮かべていた。
そんな彼女を無性に守りたい気持ちが湧いてきたが、それは弟弟子たちも同じで、その後はいつにも増してアウローラの争奪戦が激しくなった。
だから、弟弟子など要らないと言ったのだ。
そして、前世で一番苦い思い出が残る、あの日がやって来た。
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