第92話 一番弟子の思い出2
転移先は古い木でできた家の前だった。
文字通り木の家で、巨大樹の真ん中の空洞が部屋になっており、木の幹に小さな扉が付いている。
エペの手を引くアウローラは、ドアを開けて、ずかずかと建物内へ踏み込んだ。
「師匠~! 魔獣を倒してきたわよ、証拠にうろこも取ってきたし、ついでに生贄の子も連れてきたの」
建物に足を踏み入れたエペは、キョロキョロと周囲を見回す。思ったよりかなり中が広い。
入ってすぐの場所はだだっ広い玄関で、木をくりぬいた棚には乾燥させた様々な植物が並べられている。
緩やかな段差を二つ上がると大きなカウンターがあり、奥には木の机と椅子が置かれていた。不思議な模型や球体の地図、繊細な作りの杖、植物を編んで作られた絨毯など、村にはない珍しいものばかりが目に映る。
振り返ったアウローラが、エペの様子を見て微笑んだ。
「一階は師匠のお店になっているのよ。いつも私が店番をさせられるけど」
カウンターの奥にも棚があり、そちらには色とりどりの薬瓶が所狭しと詰め込まれている。ここは薬屋だろうか。
村にも薬師と呼ばれる人間はいたが、農家との兼業で店は構えていなかった。
(その前に、ここはどこなんだ?)
先ほどアウローラは王都から派遣されたと言っていた。
優秀な魔法使いは移動の魔法が使えるのだと、たまに村に来るお喋りな行商人が話していたのを聞いた記憶がある。
アウローラの話に耳を傾けていると店の奥の扉が開き、別の人物が姿を現した。
淡い褐色の肌に長い黒髪を腰まで伸ばした、背の高い女性だった。年齢はよくわからないが、エペの母親と同じくらいに思える。
彼女もアウローラと似た格好をしていた。
しかし、何よりもエペの目を引いたのは、女性の耳の形だった。普通の人間の耳より大きく先が尖っている。
驚いていると、アウローラが「エルフィン族を見るのは初めて?」とエペに尋ねてきた。
頷くと、世界に数人しか存在しない珍しい古代種族なのだと教えてくれた。
エルフィン族は、それ以外の人間と比べて背が高く特徴的な耳を持っており、魔法の知識に長けているのだとか。
狭い村には似たような人間しかいなかったため、エペは衝撃を受けた。
女性はエペを眺めてから、アウローラを睨み付ける。
「アウローラ、ところ構わず物を拾ってくるのは止めなさいと、何度も言いましたね?」
しかし、アウローラはどこ吹く風だ。
「物じゃない、人よ」
「……これだから人間は。なんでもかんでも屁理屈をこねて」
「その子、生贄にされていたから、私の弟子にしたの。名前も付けたのよ? エペって言うの」
「……それは、お前が前に飼っていた、ピンク兎の名前では?」
「似ているでしょ? 今は汚れてくすんでいるけれど、洗えばきっと綺麗な桃色になるわ」
まさか、兎の名前を襲名していたとは。
エペはアウローラに会ってから一番の衝撃を受けた。
ちなみに、先代エペはアウローラに可愛がられて天寿を全うしたらしい。
「エペ、この人は私の師匠のフィーニス。今は国王に頼み込まれて宮廷のお抱え魔女をしているわ。いつも私が派遣されるけど」
フィーニスは、アウローラとエペを順に眺めて口を開く。
「そうですか、弟子を取ったのなら……これでお前も独立ですね」
「え゛?」
「知らないのですか? 一定の実力を持った魔女は、弟子を取ることで師のもとから独立をするのですよ。代々エルフィン族に伝わる風習です。通常は十三歳から十五歳で独立します。お前はまだ十二歳ですが、あの魔獣を倒してきたなら問題ないでしょう。卒業おめでとうございます」
「……聞いていないわ」
「調べなかったお前の落ち度ですね。ああ、やっと肩の荷が下りた。お前を無事に一人前にできて、私は嬉しいですよ」
このまま三人で暮らす予定だったのだろう。
アウローラは本気で動揺しており、取り乱している。
「人間を育てるなんて、慣れないことをするものではないと、同族に何度も言われました。でも、なかなか楽しかったですよ。これで私も自由の身だ」
「……師匠は今までも、わりかし好き勝手やっていたわよね?」
フィーニスはアウローラの言葉を無視した。
「お前には私の別荘の一つを与えます。荷物は送っておくので、今日からそちらで暮らしなさい」
「ちょ、そんな……」
「店番は今まで通りするように。私からの依頼も受けること」
「あれ、今までとそんなに変わらない?」
「それから、魔女としての『自分独自の道』を探していきなさい。私はしばらくこの国に滞在しますが、いずれは出てきます。エルフィン族の師を持つ者として恥じない生き方をしなさい」
掲げられたフィーニスの手から放たれた魔法の風が、アウローラとエペを包み込む。
次の瞬間、エペはまた知らない場所に転移させられていた。
その場所こそが、これからエペがアウローラたちと暮らすことになる、大事な家となる予定の建物だった。
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