第51話 伯爵夫人と毛深くなる魔法

 メルキュール伯爵家に、セルヴォー大聖堂の使者から手紙で連絡があった。

 曰く、本を取りに行けなくなったので、返しに来て欲しいとのこと。場所は……


「黒の蜥蜴亭? それってどこかしら……?」


 ガサゴソと封筒を探ると、詳細な地図も出てきた。


「ふんふん、王都の宿ね。魔法で移動すればすぐだけれど、なんでまたこんな場所に? 新しい嫌がらせ?」


 貴族を呼ぶにはいささか変な選択である。


(まあいっか、ご親切に丁寧な地図付きだし、現地に行かなくても魔法陣が描けそうだわ)

 

 地図を確認していると、後ろからにゅっと手が伸びてきて私の手紙を奪った。


「なんだ、これは?」


 手を伸ばして手紙を取り返そうとするが、シャールの背が高いので手紙を持ち上げられると届かない。悔しい……


「セルヴォー大聖堂の使者から、私宛に手紙が届いたのよ。本を取りに行けなくなったから、ここに持ってきて欲しいって」

「街中の宿に? 妙な話だ、だったら私も行こう」

「一人で大丈夫だけど」


 答えると、シャールは少し考えるそぶりを見せて私に言った。


「ラム、既婚者の女が夫の同伴なしで宿に向かい、さらに夫以外の男と会うのは醜聞の元だぞ?」

「そうなの!?」

「……お前は、まだまだ世間知らずらしい」

「前世では未婚だったし、今世でも引きこもりだったから……」


 小さくため息をついたシャールは、読み終えた手紙を私に返す。

 

「使者も世間知らずなのかしら?」

「どうだかな。とにかく、私も同行する」

「わかったわ」


 今世で世間やら常識やらと言われれば、まだ把握できた自信がない。

 書斎で様々な本を読んだり、シャールに質問したりと、今は勉強中なのだ。

 基本的なことは理解できたけれど、男女のあれこれに関しては後回しにしたため、未だに知識が足りていない。

 

 そういうわけで、本を持った私は、指定された日にシャールと共に宿へ向かった。

 屋敷の庭に描いた魔法陣で一瞬の移動だ。戻るまで魔法陣は庭に設置したままなので、今ならメルキュール家にいる誰でも移動し放題である。


(でも、なんだかんだで子供たちは勝手に出歩いたりしないのよね。私が師匠の弟子だった頃は、遊び半分で魔法陣に侵入したけど。学舎の教育で、ものすごくきっちり躾けられているわ)

 

 宿は黒の蜥蜴亭という名前通り、真っ黒な屋根の建物だった。壁も床も全部黒。

 なぜか、建物の周りに複数の馬車が停まっている。

 修道院所有の馬車もあるが、そうでないものが多いのはどういうわけだろうか。


(キラキラして……貴族の馬車よね? この宿、貴族に人気なの?)


 シャールもじっとそれぞれの馬車の紋章を観察する。そんな彼の手を引き、私は宿の中へ足を踏み入れた。

 宿屋の主人に、使者のいる部屋まで案内してもらう。

 壁にはモーター教の象徴である、黒色の薔薇の装飾がびっしり。相当敬虔なモーター教徒らしい。「決して滅びることのない愛、永遠の愛」を示しているそうな。

 

(愛を標榜するなら、魔法使いにも優しくすればいいのに)

 

 全く以て矛盾の多い宗教だ。

 

 宿屋にしては広い一室に通されると、中には誰もいなかった。大きな薔薇が刺繍されたタペストリーがひときわ目を引く。

 宿の主人の話では、「外に出られてはいないので、すぐ戻られるでしょう」とのことである。


(馬車も宿の前に停まっていたものね)


 しかし、しばらく待っても使者は戻ってこなかった。


「遅いわね。意地悪されているのかしら? もう本を置いて帰りましょう」

「構わないが、直接渡さないことで『受け取っていない』と、言いがかりを付けられないか?」

「あの使者ならやりそうね。よし、受け取り確認の魔法と、嘘をつく度に毛深くなる魔法をかけていきましょう。これなら、周囲の迷惑にはならないわ」


 前回の悪臭騒ぎでは、メルキュール家の皆から盛大なクレームが来た。

 私も、悪臭事件のことを反省している。

 

「……臭くないならいいが、お前、恐ろしい奴だな」

「大丈夫よ。モーター教の修道士は清廉潔白だって有名じゃない」

「それはそうだが」

「モーター教に関しては弱気なのね。あなたにしては珍しいわ」


 図星のようで、シャールは苦い顔になる。

 

「国内だけなら、どうとでも対処できるし大聖堂に喧嘩も売れる。だが、総本山の聖人共が出て来たら、今のメルキュール家では対抗できるかわからない。私はあの家を潰したくはないんだ」

 

 だから、渋々でも大人しくしたがっているという。たしかに、聖人の実力は未知数だ。


「あなたらしくないけれど、きちんと家のことを考えていたのね。犠牲を出さない方針で動くのは偉いわ」


 褒めたのに、シャールはぷいっとそっぽを向いてしまった。

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