第36話 月を観よう
わたしはね、月には並々ならぬ思い入れがあるんだよね。だからね、本当はあまり気が乗らなかったんだ。
「えー、皆既月食ぅ?」
『
「だってさ、わたしは銀盆のように青白く輝く満ち足りた月を愛でるのが好きなんだよ?どうしてわざわざ消えて無くなる月をぼんやり観てなきゃなんないの?」
アパートの全員に押し切られて強制的に屋根に登った。
「お、大家さん!な、なんでこんなにこの屋根急なんですか!?」
「ほほ。シャムちゃんよ。この辺りは冬になったら雪深いからさ。古い家は全部こんな風に瓦屋根の傾斜を急にして雪が滑り落ちやすいようにしたんだよ」
「か、
「うーん。雨樋とかあれば多分滑っても平気だと思うけど・・・シャムちゃん、落ちたらよろしくね」
よろしくねと言われても。
でもわたしはよろしくない妄想をしちゃってね。
眼が見えないってことは落ちてる状況を風とかで感じるしか無いわけだよね?
落ちる様子が観えてるのと観えてないのとだとどっちが恐怖なんだろ?
「イ、イッカイノカタタチモノボレバヨカッタデスネ」
「
「でも、楽しそう」
『ゲンム:カンテンさんの言う通りだぞ、シャム。布団持って来い!』
「やだよ!あ、欠け始めたんじゃない?」
不思議なものではあるんだろう。
でもわたしにしてみれば満月→新月→満月の学校の教科書にでも出てるようなあの図解と目にする状態は変わらないので何が面白いのかと思う。むしろ観ている間に間に月が齧られていくようで残念なことこの上ない。
この不自然に豪奢な造りの、ただ古さは古しこのアパートの大屋根から下界を見下ろすといるわいるわ。
首をくーん、と持ち上げて中空の月をぼやぼやと観ている嬢ちゃん坊ちゃん共がさ。
「アッ!アアッ!」
チョウノちゃんがらしくない大声を上げるもんだからその視線の先のハンバーガー屋のドライブスルー側の駐車場を見たら、スーツ姿の若い男女の勤め人がいちゃついてた。
『ゲンム:キスしてやがる』
「まあまあ。若いってのはいいもんだねえ」
「ミ、ミナサンハオトナダカラキスシタコト、ア、アルンデスヨネ?」
全員静寂になる。
『ゲンム:だ、誰かいないのかよ?』
答えない。
チョウノちゃんもLINEが送られてくるわたしのスマホを見てるから質問は理解してるけど顔を赤らめるだけで答えない。
まあチョウノちゃんはまだ若すぎてそういう機会もないだろうけど、他のみんながどういう人生を歩いてきたかっていうことを考えるとそっとしておいてあげるべきかとも思う。
でもゲンムは健常者であるわたしへの思いやりのつもりで訊いてきた。
『ゲンム:シャムは?美人だからあるんだろう?』
自分のことはともかく他人の色恋沙汰への興味にはやっぱり障碍者も健常者もないようで、チョウノちゃんまで遠慮がちだけどわたしの答えを待っている雰囲気が伝わってくる。
キスしたことはある。
あるけど・・・・・・
「わたしゃあ、
「へ?」
お、大家さん!?
「接吻どころか、
『ゲンム:き、聞きたくねー!』
「ゲンムちゃんよ何言うか。接吻して契らんと子供が生まれんだろう?」
「ア、アノ・・・・・」
チョウノちゃんが凄いことを言った。
「チ、チギルッテナンデスカ?キ、キスシタラアカチャンデキルンジャナインデスカ?」
か、かわいすぎる。
今時こんなウブな子がいるなんて。
「あ。皆さん。もうじき全部欠けますよ」
カンテンさんに言われて、ふっと空を見上げると、ちょうど最後のひと欠けで月が完全に消えた瞬間だった。
「きれいだね・・・やっぱりこの観えない月もちょっといいかも」
『ゲンム:ちょ、ちょっと待て!』
「なによ」
あれ?
「あ、あれ!?カ、カンテンさん!どうして月が欠けるのが分かったんですか!?」
カンテンさんはグレーの眼を細くして笑った。
「ふふ。わかるのよ、それぐらい」
そうして、ずっと前に弾いてくれたことのある美しいメロディーに合わせて、こう歌った。
🎶
月影のいたらぬ里はなけれども
ながむる人のこころにぞすむ 🌕
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