第25話 ぬくぬく布団にくるまりたい
「チャンス!」
16畳一間の畳の上をわたしはスサスサと後ろ向きでそいつを引きずって木窓の出窓へと素早く動いた。
「あれっ」
考えることは皆同じだ。連休の今日の午前中は晴れるっていう天気予報通りにお日様が結構な熱量を降らせてきてくれていたのでアパートの2階の住人全員が出窓の木製の手摺りにそいつを引きずって来てた。
このアパートは16畳一間の和室が2階に四部屋、1階に四部屋それぞれ横に並んでいて、1階には大家さんが寝起きする一間以外に私宅部分の台所を共用部分みたいにして提供してくれている邸宅みたいな造りで、要するに何が言いたいかというと2階の女子四人が全員出窓から顔を出してた、ってことだ。
「みんなも布団干すんだ」
202号室の言語障碍者ドラマーの
『ゲンム:女子だからね!』
「へえへえ。
203号室の聴覚障碍者ギタリストのチョウノちゃんはわたしの唇の動きを見てうんうんと頷いた。
わたしは視覚障碍者ピアニストの
「カンテンさん、観えないのに身を乗り出して布団上手に干せるんですね」
「シャムちゃん。ある程度は思い切ってるから」
わたしが驚いてるとゲンムがまたLINEで抗議してきた。
『ゲンム:このすっとこどっこいが!カンテンさんはなあ、通勤も買い物も「生きる」作業がすべて命懸けなんだよ!人のココロもわからんのかこの甲斐性なしが!』
ひどい言われようだけどゲンムの云う通りだ。わたしは平伏してカンテンさんに謝った。
「いいのよ、シャムちゃん。シャムちゃんだってババアになったら目も霞むんだから」
ああ。人間の格が違うよ。
「シャムちゃあん」
下から大家さんの声がした。降りていくと101号、102号、103号の3人が部屋の前に立っていた。断っておくけど決して名前を省略してる訳じゃない。全員自称101号、102号、103号なんだよね。
「シャムちゃん。ものすごく悪いんだけどさ、男どもの布団を干してやってくれないかねえ。わたしゃ腰が痛くてねえ」
「いいですけど・・・・・・布団ぐらい自分で・・・」
そこまで言ってわたしは言葉を止めた。
生きていれば布団を干すのさえ死ぬほど辛い時期だってあるのさ。
「じゃあ101号さん、入るね」
「う、う、うん」
ガララっ、て木戸を開けるとそこはワンダーランドだった。
「うわ・・・・・101号さん?」
「な、な、な、なに・・・・・」
「畳が渡れないよ」
布団が荒れ狂う海の孤島のように部屋の真ん中に浮かんでいた。そこに辿り着くまでの畳の上にはゴミなのか何か分からない物体が敷き詰めらて波打っているようにすら見える。思わず101号さんに訊いたよ。
「これ、なに?」
「ほ、本」
本当だ。全部本だ。
この間自己紹介した時はなにひとつ無かったのに。
「シャムちゃん。101号さんはねえ、凝り性なんだよ」
「凝り性?」
「そうだよ。研究熱心でねえ、一旦興味が出たことはそれこそ文字の海に浸ってほんの一週間ほどで知識を得ようとするのさ。それで終わって興味が無くなると売り払う。この本は101号さんが先週街の古本屋全部回って軽トラックに積んで運び込ませたのさ」
よくそんなお金があるもんだと思うけど、今回は何に興味を持ったのかがわたしは興味があった。101号さんに訊いたらそこは自分で答えた。
「き、き、寄生虫」
物事に頓着しないわたしだけど、本とは言えこれだけの数の寄生虫の写真が載った物体を触り続けるだけの精神力はわたしに無かった。
「シャムちゃん。板を渡すよ」
大家さんは手慣れたもので、港に繋船中の船舶にタラップをかけるみたいな感じで部屋の入り口から細い木板を出窓の所に斜めに架けてくれた。
「うわっと」
バランスをとりながらわたしは木板の上を歩いて、単なる読書スペースとしての役割しか果たしていない布団を引っ張り上げてまさしく港湾荷役をするスティーブドアみたいに出窓まで持っていって干した。
「次。102号さん。開けるよ」
ああ・・・・・・また。
今度は101号さんの逆で畳には何もなくて綺麗なのに、布団の上だけがコンテナを何重にも積載した貨物船のような状態になっていた。
「なにこれ」
「そ、そ、即席麺」
は?
即席麺=インスタントラーメン?
「カップラーメン。カップ焼きそば。カップうどん。カップそば。カップワンタン。カップカレー・・・・・・なんでこんなにたくさん」
「い、い、生き物を食べられない」
大家さんいわく、102号さんは殺生ができないので肉でもなく魚でもなく野菜でもなく無機質な食べ物だけを食べるのだという。しかも布団にそれを積み上げているのはもし災害が起こってもこの布団という名の『船』で『漂流』して生き残らないといけないので食糧を備蓄しているのだという。
わたしは核心を言っちゃったよ。
「カップラーメンのスープの粉、豚骨の
「お、おえぇぇぇ・・・・」
吐く前に洗面器で受け止めて、それから布団の上からコンテナをアンローディングするみたいにして即席麺をおろして、そうして布団を干してあげた。
「103号さん、入るよ」
あれ?
無い?
「103号さん、この間布団だけはあったよね?」
「捨てた」
「えっ」
「捨てた」
「なぜ」
なぜの答えがぶっ飛んでた・・・・・あ、別に『布団がぶっとんだ』とかそういうつもりで言ったんじゃないよ。
「ね、ね、眠りたくないから捨てた」
「・・・・・・・・寝なよ」
旧家の造りとて大家さんがかつての客用の布団を布団部屋から出してきて提供してくれた。この布団にしたってしばらく使っていないから103号さんのベランダに干した。
「もう布団捨てちゃダメだよ」
「す、す、捨てたら?」
「畳も捨てる」
その後嫌だったけど101号さんの寄生虫の本を、大家さんが貸し出してくれた本棚に目をつむって手探りで仕舞ってあげた。カンテンさんの命懸けの日常には到底及ばないけどわたしだって目を開けて寄生虫を見たら死んでしまう。
それから102号さんの即席麺も大家さんの台所にスペースを借りて仕舞う作業なんかをしてると気がついたらひとりになってて、更に気がついたら。
「雨降ってるよ!」
わたしは急な木の階段を3段飛ばしで2階に駆け上がって自部屋にダッシュ・インした。
「あっ・・・・・チョウノちゃんか」
さすがお隣さん。チョウノちゃんがわたしの布団を入れて窓も閉めておいてくれたようだ。
それで、わたしの布団の上にはね、かわいらしく『くの字』になったチョウノちゃんが、くー・くー・くー、ってお昼寝してた。
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