インヴェーダーゲーム:謎SF施設で謎モン娘と暮らし、謎超兵器で無双する生活
山道巳己
第1話
男は、星空を見上げていた。その顔を赤くし、熱心に見つめていた。男が熱視線を送る星空は、奇天烈な事に緑色をしている。夜空にエメラルドグリーンのスクリーンを掛けたように、緑の闇の中で無数の小さな光が群れているのだ。男が今まで見た事がない、幻想的で不可思議な光景だった。だが何より奇妙なのは、その星空が『女性の体内』にある事だった。
その女性は瞳と髪の中に、緑の宇宙を孕んでいる。さらりさらりと、髪の毛が揺れる度に星が流れ。ぱちりぱちりと、瞬きする度に一等星が燦然と輝く。そんな不思議な銀河を宿した女性は、優しげに男を見下ろしていた。当然、見上げる男と視線が衝突する。
男が自分をじっと見てくれることが嬉しいのか、女性はにこっと男に笑いかける。つられて男も、にこりと笑みを返す。気まずさをごまかす為の、打算的なミラーリングだ。すると彼女は、まるで何かを二人で成し遂げたように感激する。
興奮した女性は男をぎゅうと抱きしめ、柔らかいものをぐいと押し付ける。男があえて気にしないようにしていた、母性の象徴。天体で例えるならば、南半球に当たる部分だ。それが男の頭に、何度も硬着陸する。男の顔は、羞恥で一層赤くなった。
余り健全な状況ではないが、男は抵抗できなかった。なにせ、男の体は動かない。首の下から指の先まで、男の命令を受け付けないのだ。女性には言葉も通じず、遠慮の意思を伝えるのは不可能だった。男はただただされるがままに、女性の介抱を受け止める。そして現実逃避するように緑の宇宙を見上げ、一層女性を喜ばせた。
どこかすれ違った、滑稽な風景。
男がこんな状況に陥った顛末は、少しばかり――あるいは、もっと昔に遡る。
§
彼は小市民だった。特別な血筋に生まれた訳でもなく、過酷な境遇に立ち向かったわけでもない。食べ物を無駄にしない、お百姓さんに失礼、米一粒に3人の神が住む。そんな多少迷信深い家では、お決まりの台詞を言われながら育てられたような人間だ。
こだわりと言えば、ごはんを米粒一つ残さず食べきるぐらいだ。スポーツマンを志し、ストイックに体を鍛えてきたわけじゃない。学者や将来を目指し、勉強を頑張って頭の回転を良くしてきたわけじゃない。趣味で沢山の本を読みこんでありとあらゆる知識を蓄えているわけでもない。
暇なときは漫画を読んだり、ゲームで遊んだりして時間を潰す。技術を磨いて電子競技に挑んだり、最速攻略を極めたりといったこともない。人間が産まれてから有限とされる時間を、可能な限り浪費する生活を送っていた。
そのまま死んだとしても、親しい友人や親類しか悲しまないような人生。本にしようとしたなら、本棚の片隅で埃が積もっているような内容だ。それネタにして友誼を深める程度には、染み付いた感性だった。
そんな彼も、妄想はした事がある。例えば、異界に呼ばれた勇者だ。数ある中で自分が選ばれ、自分だけにしか任せられない役目を担う。聖剣、あるいは素質。特別な物を与えられ、その物に見合った存在へと成長する。自分が選ばれ、自分が導き、自分が切り拓く。誰もが認める、輝かしい生涯を駆ける英雄に選ばれる――そんな、妄想だ。
人は特別に選ばれるのが好きだ。事の大小はあれど、それだけは間違いない。かつて砂漠の民が、唯一絶対の神に見出されたという宗教を開いたように。いつか自分の仕事や作品が、世界に認められる事を望むように。どこか人というのは、自分が特別である事を望む。誰かの光でありたいと、願っている。彼もそうだ。本能的に先駆者である事を、進歩の先端にいる事を欲している。
だが実際に自分がその立場に置かれたら、と考えると彼は首を振る。なぜなら思い描くのと、実際に行動するのは違う。彼が戦隊物の合体ロボ玩具に将来の夢を載せていた頃ならともかく、その手の玩具が埃を被っている今は違うのだ。仮に自分が本物の合体ロボを与えられたとしても、彼にそれを使いこなす自信はない。
説明書を読んだだけで完全に動かし方を理解できたり、勢い任せで勝利への最短経路を無意識に突っ走ったり。そんな天才肌ならともかく、凡骨を人の形に切り出したような彼は違う。強い力に見合わぬ脆弱な彼の精神が、世界を救う希望を道半ばで擱座させる可能性もある。
ひょっとしたら彼も、いざ困難に直面すればどうにかできるかもしれない。だが、どうにもならないかもしれないという危惧の方が勝る。英雄の前には、夥しい数の失敗者が横たわっている。誰もが折れ、誰もが敗北し、誰もが絶えた。その道を踏み越えられたからこその、英雄なのだ。彼がなれるとすれば英雄ではなく、その手前に転がる死体である。ぽっきりと折れて、息絶える――そんな末路を、彼は容易に想像できた。
平凡に日々の糧を得て、ゲームや本の中の非日常にお出かけをする。そうして毎日を適度に楽しんでいくというのが、自分に合った生き方なのだと彼は考えていた。そう弁えて、彼は自分の歩幅で人生を歩んでいた。
実際、彼はその生活で満足していた。特別な才能も無ければ、世界で何より守りたくなる美女も傍らにいない。それでも疑問を差し挟む余地も無く、彼は充実していた。足らぬ事も多い人生であるが、足らぬ事を受け入れてしまえば満ちる器もある。
故に彼にとっては、勇者の身分など求めない。責務が伴う力なんてのは、活躍を期待される境遇など、傍迷惑なモノでしかない。例えば危険な大猪がいたとして、長銃を一挺持たされて何ができるというのか。
よしんば扱う技術も併せて与えられていても、どこかで不都合は生じる。武器と技術だけでなく、最後には本人の胆力が物をいう。したがって別の世界で大活躍というのは、頭の中で楽しんでも現実に巡り合いたいものではない。
だがもしもそんな運命が、彼が立ち向かうべき宿命となるなら。幸か不幸かで言えば、間違いなく幸運ではなく不運に分類される。だからこそ、劇的な人生の急転を彼は求めない。自分が人々を導き、矢面に立つ力を持つなど御免こうむる。それが彼が下らない妄想をした時に、最後に添える自戒の句だ。
彼は間違いなく小市民だったのだ。
『その日』を迎えるまでは。
§
「……どこここ」
静謐な空気に、呑気な声が響いた。声の主である男の目の前には、見覚えのない真っ白な天井がある。周囲に視線を巡らせれば、何もない白く殺風景な部屋が見えた。
白い卵の内側のような間取りの部屋には、棚も、卓も、椅子も、ちょっとした小物や飾りすらない。調度品を配置するのを忘れたか、あるいはそんなもの必要ないというように寒々しい部屋だ。
彼が寝ているこのベッドらしき物も奇妙だ。まるで現代アートのように、滑らかに成形された金属の寝台だ。寝そべる面は金属質な光沢に輝いているが、ゲルのように柔らかい。男の体温で温まっているのか、元から発熱しているのか、温かく不快にならない寝心地になっている。
一体自分はどうしてこんな奇妙な場所で目覚めたのか。男は考えを巡らすも、一向に答えは出てこない。男に日常生活を送っていた記憶はある。学校に通い退屈な授業を受け、家に帰ってゲームに一喜一憂する。大して珍しくもない学生の日常が、するすると海馬から引き出せた。
だがこんな場所で目覚めるに至る、決定的なピースが男には欠けている。十把一絡げの人生から、この奇妙な部屋にたどり着いた原因があるはずだ。男が必死にその記憶を探っても、まるで空っぽのフォルダを探るように何もない。
プロパティを見れば、0バイトと表示されそうな状態だ。場所も、モノも、状況も、参照できる記憶が全くない。なにをしていたかわからない、どこにいたかわからない、どこにいるかわからない。ないないないのないづくし、だ。
そんな状態で目を覚ませば、呆けた声も出るというもの。
しかしいつまでも寝ぼけてはいられない。
何しろここは、彼が一度として見た事のない設備の部屋だ。
可能性は三つある。第一に事故だ。見知らぬ施設に運び込まれる可能性は、普通であればこれが一番高い。だが事故か何かで運び込まれたにしても、窓一つない真っ白な部屋は異様だし、それにナースコールらしきものもない。医療施設であれば、こんなわけのわからない寝床を使う必要もないだろう。
第二に金銭目的の誘拐だが、これはあり得ない。記憶の中の彼は価値のある人物ではなかったし、誘拐であればこんな凝った部屋を用意する必要もない。それに誘拐ならしっかり拘束されているはずだし、目が覚めた途端に犯人が気の利いたセリフを聞かせてくれるはずだ。
最後にモルモットだが、突拍子のない環境から考えるに一番可能性が高い。普通なら平凡な一般人を連れ去ってなんの実験をするのかという話だが、検体の条件に一般人かどうかは関係ない。むしろ先進国の平凡――不自由なく暮らした肉体は、いいサンプルになる。
それに死体が出るより行方不明となった方が、面倒も少ない。我が国では毎年十万人近く行方不明者が出ると、男は聞いたことがある。その内の数名が実験体になっていても、おかしくないのだ。だが実験体だとするなら監視しているであろうし、何かしらの反応がある筈なのだ。
以上三つの可能性だが、男はどれも違う気がした。誰か人が来れば予想もできるのだが、もう何十分と経っている筈なのに一向に誰も来ない。完全に放置されていた。
はっきり言えば、男はさっさとこの寝床から起き上がって探し回りたい。なぜ男にそれができないか、理由は単純明快だ。ないないずくしのうち、一番厄介な『体がうごかない』を男が経験しているからである。
まるで肌寒い日に居眠りして、体が完全に冷え切ってしまったようだった。それどころか、動かすのもままならないという状態だ。男が力を入れようとしても声しか出ず、体から関節が抜かれたように肘や膝が動かない。
ここかどこか云々以前の大問題である。男は人形のように横たわり、頭と目玉だけに自由が許されている。首から下がマヒしているのかと思えば、しっかり感覚は存在している。じゃあ一体なんで動かないんだ、そんな疑問から目を背けるように男は考え事をしていたのだ。そしていよいよ考えが煮詰まり、その問題から目を背けられなくなっていた。
しかし問題を直視したからと言って、簡単に解消するのなら苦労は要らない。大学物理の教書を前にした小学生のように、漫然と時間を過ぎるのを待つしかない。解決の糸口は、一向に見つからなかった。
だが、男はいつまでも待っていられないという事情もあった。このまま誰も来なければ、腹が減ろうが喉が乾こうが何もできない。男はわけのわからない場所で目覚め、指一本も動かせないまま餓死など考えたくもなかった。
何か状況が変わる切っ掛けがあれば。
男はそう期待を込めて、誰かがくるよう切に願う。
その男の願いが通じて、確かに男の周りに『変化』が訪れた。
それは、足音である。
生命の存在、自律行動できる物の証明。
男の念願が叶ったのだ。
「――ッ」
だが男は助けも求めず、思考すら沈黙させた。
念願の変化にもかかわらず、男は声すら上げない。
男はじっと息を潜めて、マトモに動作する心臓すら止めるように静止する。
ただただ、男は足音がどこかに遠ざかるのを待っている。
なぜ念願の気配に対して、存在を主張しないのか。
答えは単純明快。
ガンッガンッガンッと、鋼板に巨大な鉄塊を振り下ろすような足音だからだ。
明らかに人間の体重で出せる音を超えた、壁越しにも伝わってくる音圧。
床と何かが接触する度に、剣戟じみた鋭い衝突音すら聞こえている。
革靴やヒールがならす音とも違っており、明らかに人が起こす足音ではない。
他者の存在を心待ちにしていた彼とて、その音を聞いた瞬間顔を青ざめさせる。
そして考える事すらやめて、物であるかのように振る舞った。
足音は激しく移動しながらも、一々止まったり引き返したりしている。
扉の向こうを、何かを探すように執拗に行き来しているのだ。
壁の向こうから、何かを見つけようとする強い意志を感じる。
男は内臓にまで手を突っ込まれて、探られているようで落ち着かない。
男が完全に石のように振る舞っていたおかげか、足音の主は去って行った。
それでも完全に音が消えるまで、男は考え事すらしなかった。
暫くしてから、男はようやく一息ついた。
『人』は来ていない。
代わりに、人とは思えない何かが歩き回っている。
「……どこここ」
悲鳴のような、押し殺した声が響く。
その言葉には、確かに先程よりも幾分悲壮感が増していた。
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