すごくきになること
今日は今まで暇なときについつい考えてしまうことをとりあげたい。
そう、満を持して。である。
なにぶんいつも考えだしてはあーでもないこーでもない考えて最後には「ま、いっか」で終わっている、いうなればなんにも進んでない無駄話。
個人的には数学のアホみたいに賞金がもらえる未証明問題くらいの大々的な問題なんだけれども、ほかの人はふーん、くらいだろう。
これは、色についてのお話。
色、赤色、黄色、青色、いろんな色がある。
例えばぼくが赤色じゃん、と思ってる色、日本の国旗の色だったり、信号のわたっちゃいけない色だったり、なんとなくあったかい感じのする色。
でもそういう、あったかい感じ、はほかの人と同じイメージを持ってるけど実はAさんはぼくでいう青色を赤でみえてるかもしれない。Bさんはぼくでいう黄色が赤にみえてるかもしれない。
今回の問題、というのは、
他の人とぼくとで見てる色が本当に同じかどうかがわからない、という問題。なのである。
他の人の目を通して物を見たことがないから、ほんとに赤はぼくが見てる赤を指しているのかが分からない。Aさんは赤を赤色じゃなくて黄色に感じているかもしれない。
ん?黄色てぜんぜんあったかくないじゃん、んじゃだいたいみんな同じ赤を感じてんじゃないの?てツッコミがある。
確かに。黄色は元気な色ていうイメージであったかいイメージはない。
でもこの色はこういうイメージだよね?ね?ていうのはなんというか育ってく中で無理やり共有されていった気がする。
B型ってこうだよねー、と同じでなんとなく周りとすりわせてく中でB型のわがままで、自己中で気分屋で約束守らないクズ、というイメージが出来上がったように。
赤ちゃんの時は赤色も黄色も青色も、とくにあったかいイメージとか冷たいイメージとかなくって、育ってく中でその色にいろんなイメージが張り付いていったんじゃないかなと思う。
そう考えると例えば僕が黄色と思っている色に、あったかいイメージを張り付けてる人がいても何も不思議じゃない。
そうなってくるともうカオス。
カオスを逆に考えると例えば緑が好きな人、赤が好きな人いろいろいるし、中にはすごい変わった色が好きな人もいる。
変わった色が好きな人が見てるその変わった色はじつはぼくでいうとエメラルドグリーン的なきれいな色なのかもしれない。
目に入った色情報が脳で本当に何色にされてるのかわからないんだから、ありえる。
そうしてこの色に関するカオスは、どんどんほかの分野にも侵攻してくる。ぼくは何とかしてその侵攻を防ごうとするのだけれど、どうにもうまくいかず、いつもその侵攻を甘んじて受けている。
そう、色だけじゃない、おいしい味、まずい味、スパイシーな香り、あまい香り、こういったのもの舌で感じた味が脳で本当にどう変換されているかなんて、ほかの人の舌で食べたことがないんだからわかりっこない。鼻についても同じだ。
ぼくが甘いと思ってるまんじゅうも人によってはスパイシーに感じてるかもしれない。
でもその人にとっては生まれたときから今感じてるスパイシーな味てのは甘い味なんだよ、て言われてるからああ、甘いってこういう味のことなんだ、てなってる。
……
…
そう考えていってここらへんであきらめていつも思考は停止する。頭のてっぺんから白旗がニュルニュルあがるわけである。
でも、ま、いっか。赤は赤、甘いは甘い、それでいいや。
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