サラの逆襲 3

「君がそれでいいなら、うん……」

「うん、じゃないのよ!」


 ダンっ、と勢いよくテーブルに置かれたティーポットは、割れそうなほどの勢いでどうにか机上に鎮座していた。

 いかに高級層が使う船室と言っても、テーブルもイスも床に据え付けられていたりするものだから、そんなに頑強なものではない。

 合板とは言えないが、それでも年代物のテーブルの天板はある程度の厚みしかなく、通常の書斎に置いてあるようなそれとは比べ物にならないくらいの、大きな音を立ててくれた。

 次いで、サラの腹の底から出て来たような、これまで聞いたことの無い怒鳴り声がアルナルドの背筋をびしっと引き締めさせる。


 昨夜は旦那様なんて言われて心のどこかではようやく僕に想いを寄せてくれたのか、と一人安堵を覚えていたアルナルドは、戦々恐々とした面持ちで、そっと窺うように立っているサラへと視線を上に移動する。

 なんだろう、これはまるで母親に叱られて首をすくめてしまった子供の気分だ。

 にらみおろすようにして冷たい視線をこちらに向けてくるサラは記憶の奥底にある、帝国で自分の帰りを待ってくれている実の母親……皇后に悪戯が見つかってさんざん叱られたときの様な凄みを感じてしまった。


 ……逆らえない。

 左に目を泳がせ、小さな吐息を一つ。自分に落ち着けと言い聞かすようにして、アルナルドは生涯逃れることのできない首輪をはめられたような気分をどうにか捨て去ろうと試みる。

 自分は皇太子でこれから二人の妻を持ち、既に……二人の子持ちだ……。

 人生、どこかで詰んだかもしれないとそんな自論が心の底から沸きだしてきて、再度、ぶるっと肩をすくめた。


「な、何かな? そんなに怒るようなことがあったかい? 僕の愛しいサラ?」

「ええ、殿下。ありましてよ?」

「それは何かな?」


 先ほどの音を聞きつけて、向こうの部屋がなにやらがやがやと騒がしいことに気づき、あるナルドはそこに助けを求めた。

 もしかしたら、この窮地から抜け出られるかもしれないと願ったのだが――。


「殿下!? どうなさいました!」

「お嬢様? 何がありました、サラ様!」


 それぞれ、別々のアルナルドの衛兵とサラの侍女たちがどうにか中を確認しようとして、我先にと扉を開こうとする。

 サラははあ、と一息つくと、「邪魔が入ったわ。いつもこうなんだから!」と、怒りの表情はそのままに、入って来た部下たちに目をやった。


「お嬢様! 殿下と何が……あれ?」

「あれ、じゃないのよアイラ。見せ物ではありません。殿下とは夫婦の話をしていただけです。下がりなさい」

「は、はい。しかし……」


 アイラとエイルもそうだし、アルナルドの部下もそうだ。いきなり夫婦の会話と言われても、はいそうですかと応じるわけにはいかない。

 何より、サラが立ちアルナルドが座っているというこの奇妙な光景は、まるでこれからのアルナルドの家庭内における地位を示しているようにも見えてしまい――四人の侍従たちは顔を互いに突き合わせてどうする、と顔を傾げていた。


「いいから下がりなさい。ね、旦那様?」

「は? あ、ああ……そうだね。いいよ、お前たち。夫婦の会話だから」

「ほら。殿下もこうおっしゃっているわ」

「かしこまりました」


 どこか納得のいかない顔の侍女たちと、アルナルドの二名の部下――男女それぞれ一名ずつは、本当にいいのかと再度、顔を見合わせると命じられるままに扉をそっと閉じた。

 空師の女性士官なんかは、殿下? 本当に大丈夫ですか? と声に出さず目で確認するが助けてくれとも言えない皇太子は小さくうなずいて返していた。


 サラはその仕草がどこか勘に触ったのか、今日ばかりはこれまで溜めに溜め込んできた何かが噴出してしまったのかわからないが、不機嫌そうに足元のソファーの座脚部分を靴の腹で軽く蹴って見せたから、アルナルドの目はさらに泳いでしまう。

 生きてこの部屋からでることはできるだろうか。

 そう思った皇太子は、サラが自分の座る長椅子の隣はいいかしらと尋ねるから、より一層の息苦しさを感じた。


 改めて自分と背丈の変わらない彼女を隣にすると、ローブの胸元や裾から部屋着の薄い部分や胸元がすこしだけ露わになると、やはり彼女も女性だなと意識せざるを得ない自分がいることにアルナルドはおいおい、いい加減にしろよと自制心の手綱を引き締めた。

 サラは、いまそんなことを望んでいない。

 もし、望んでいたとしても……ここで手を出せば自由は永遠に戻らないだろう。それだけはなんとなく、理解できた。


「ねえ、アルナルド」

「うん」

「うんじゃないわよ。今度はどんな悪だくみを考え付いてここに来たの?」

「……え?」

「だから!」


 サラはこんなに鈍感で本当にラフトクラン王国を乗っ取れるのかしら、心配しかないわ。そう言い、少年の甘い期待を打ち砕く。

 悪だくみもなにも、自分は昨夜のハサウェイの問題に関しての感謝と謝罪と、これからの展望を話したかっただけなのに。

 しかし、神はアルナルドに微笑まない。

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