酒と空路と元子爵令嬢 1


 それから数日間、サラは二人の侍女と共に船室で過ごしていた。

 与えられた自室のある階層は、人の出入りが少ないと思いきやそうでもない。

 サラの部屋の前を行き来する往来は意外に人数が多く、女性仕官が銃を捧げてまで警護に当たるような身分の人物は少なくない。

 あの部屋にいるのはどんな人物か?

 そんな噂は、サラが乗船してからたった二、三日で乗客のひそやかな噂になっていた。

 船での食事は朝と昼過ぎに二回。夜は夕方に昼食と共に供された、軽食を食べるのが帝国や王国での習わしだ。

 一日で最も豪華なその食事……と言っても、魚を蒸したものや添え物となる野菜は日持ちがよいものに限られていたが、サラはそれでも悪くない料理を口にできる幸運に恵まれていた。

 この待遇を与えたアルナルドに感謝をしつつ、昼食を食べていた時だ。

 傍らで給仕をしていた、アイラがふと思い出したかのように、何かを口にした。


「そういえば」

「なあに、アイラ。また船内の噂話?」


 人懐っこい彼女はこの数日で、二等・三等の客室がある階の食堂に出入りをするうちに、数組の客たちと知り合いになったらしい。

 ふっ、と片方の頬をあげるとまるで猫のように、片目を細めて言うのだ。


「お嬢様、面白いことになっていますよ?」

「面白いこと……? あまりいい気がしないわね、アイラ」


 その赤毛を短くすれば、背格好といい、年齢といいアルナルドを回想してしまう侍女の妹の方に、サラは不審げな視線を向けた。

 この子が面白がるときは、大抵、何かの噂に振り回されている時だ。

 そう知っていたからだ。

 噂好きで、世間に明るく、誰とでも仲良くなれる。それはアイラの特技でもあり長所でもあるのだが、いかんせん、この侍女はおしゃべりも大好きだ。

 学院の友人たちもそうだけど、女性のおしゃべりには毒も含まれていたりするから、サラはそういった意味ではあまり噂はなしが好きじゃなかった。


「この階、一等客室があるんですけど。もちろん、二等・三等とは行き来できる階段も違うし、食堂だって違います」

「そういえば、ここに来てからは船員にずっと食事を運んでもらっていたわね。でも貴方たちはどうしているの?」

「あたしたちは、サラ様とは違いますから。船倉に近い所にある食堂で食べてますよ。あまり代わり映えしないメニューですけどね」

「嫌味を言いたいなら、この食事をそのまま食べてもいいのよ? 私が二等の食堂とやらに行くから」


 ずいっ、と料理の皿を寄せられてアイラは口ごもる。

 本当によく回る口だわ、とサラは呆れてしまった。


「後から階下で頂きますから、結構です……」

「そう? それでどんな噂が面白いの?」

「えーとですから、この部屋に――誰がいるのか、と」

「へえ……」


 口は軽くないと思うけど、この子ばらしたりしてないわよね?

 そんなサラの思いが通じたのか、アイラは話していませんよ、と返事を返していた。

 

「帝国の皇族でもおられるような雰囲気だ、と皆が噂をしているようですよ、サラ様」

「耳聡い人たちがいるものね。まあ、あの警護の人たちもそうだけど。人の往来はそこそこあるようだし。この部屋意外に、警護がついている部屋は少ないの?」

「そうですねえ……。アルナルド様のお部屋に、上級仕官の部屋のあるブロックには角に水兵がいるようですけど。あまり多くはないかもしれません」

「かもしれないっていうのは何故?」

「お嬢様の身分なら、船長室にだって行けるでしょうけど。あたしたちはその御付きですから」

「決められた通路しか行き来できない、と。そういうこと?」

「まあ、そんなところです。ところでお嬢様。今日の料理、何か気づかれたことはありませんか?」


 アイラは黙っていましたが、と卓上にすっと手をやると何かが違うんですよとジェスチャーで示していた。

 気づいたことと言うからには、普段から日常的に口にしている品物にそれはあるだろうとサラは当たりをつけてみる。

 水か、スープ? いや、パンかもしれない。

 そこに塗るバターやジャムの類い?

 それともまだ口にしていないもので言えば……?


「これ?」

「あ。まだ飲まれていらっしゃらないですね」


 どうぞ、一度お試しくださいと勧める侍女の笑顔が何か薄っぺらいように感じてしまい、サラはそれを訝しむとアイラにワインのグラスを突き出した。


「先に飲んでいいわよ。毒味、するわよね? 変な媚薬とか入れてないでしょうね?」

「そんなことしませんよ、サラー! もう、信用無いんだから……」


 そう言いながら、グイッと主人の酒を数口で飲み干すその勢いに呆れつつ、グラスを変えたらとんでもないものがボトルに入っていたりしないかしらと不安になる。

 アイラが食卓に一度置いたワインボトルを手に確認してみたが、特にこれといった変化を見つけられないまま、新しいグラスにそれを注いで飲んでみた。


「なるほどね、味が違う。香りが濃いわね。いつものはもっと甘い香りなのに」

「さすがお嬢様。一口で見抜かれましたか」


 銘柄を変えた?

 これがアイラの言う面白い噂とどうかかわるのか。

 サラは改めて不審げな視線を侍女に向けていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る