指輪


 サラのその安らいだ顔を見て、アルナルドは安心したようだった。

 いや、安心したように思えたというべきかもしれない。サラは乗船した時から沈痛な面持ちで、悪いことをした後のようなそんな顔をしていたからだ。

 深夜ということもあり星明りとローソクの灯りは薄くて心もとない。

 室内に入り、ガス灯の十分な光に照り返され、ようやく彼女を正面から見たらやはり寂しげなその表情は変わっていなかった。


「……大変だったね、サラ」


 その一言を切り出すまでどうしても時間がかかってしまう。

 アルナルドの心にもいくばくかの後悔があったからだ。サラの望むように帝国の公爵位を用意した。

 海洋船ではなく、もっと足の速い天空を行く飛行船や飛空艇を利用した天空航路に早便を飛ばし、父親には叱責を受けた。手紙でのお叱りだったが、王国に帝国の血を戻すのは皇帝陛下も気にしていたらしい。

 そういった経緯でサラはここにいる。

 あの贈り物に含めた指輪は――まだその指にははめられていなかった。


「アルナルド、人払いを……お願いしていいかしら?」


 荷物を水夫たちが運び込むと侍女たちがそれを仕分けしようとしていたが、二人とも手を止めてサラを見ていた。サラと同世代の、幼い頃から共に育ってきた彼女たちは、アルナルドとの一夜が始まるのだろうと察したらしい。

 手早く寝間の用意だけを持ち出すと、部屋の外で呼ばれるまで待機しようと退出していった。

 二人の女性仕官はアルナルドを見、どうしますかと指示を待つ。


「いいよ。お前たち」


 手の一振りで無駄口も、サラへの嫌味の視線もなく彼女たちもまた下がっていった。

 サラを賓客としてではなく、アルナルドに向けるのと変わらないような礼儀を正しい態度はさすが、皇族付きの仕官だと思わせた。

 何となく、皇族付きだと言っても女性仕官がいることに一抹の不安をサラは感じていたが……それは今は言う気にはなれなかった。

 二人きりの室内。

 アルナルドはロイズのように暴虐な仕草を隠してはいないことを祈りつつ、サラは彼に席を進めた。いきなり、ことに及ぶようなことはさすがにない。

 あらかじめ船室の中には来客用のウィスキーや他の酒が用意されている。それはどこかと探そうとすると、アルナルドはいいよと言い、自分からそれを振る舞ってくれた。

 

「サラは船は初めて?」

「え? 初めてだけど……河などを上ったことはあるわよ」

「そっか。帝国の帝都周りの海流は激しくてね。このまま船では行けるけど、荒れるのは好きじゃない」

「どこかで、陸路に?」


 一番近い港は、帝国本土と陸続きのセインス王国だ。西の大陸に一番に近い、帝国の分家筋の王国。

 酪農と貿易が盛んな土地柄だった。


「セインスで航路にね、乗り換えようかと思っている。僕たちにはなじみの薄い、獣人や魔法なんてのが見れるかもしれないね」

「それはまだ未体験だわ。帝国はそういったものを禁じて来たから、知らないもの」

「いろいろとめんどくさいらしいよ、人と違った存在や不思議な魔法ってのは。まあ、それはいいんだけど……飲まないの?」

「船酔いが少し心配で……」

「なら、水がいいかな? 海は別の意味で河より揺れるからね、気を付けたほうがいい」


 グラスが新しく取り替えられ、水が注がれる。渡された時に指先が触れるとサラは思わず、手をひっこめそうになっていた。

 まだ男性が怖いんだ……私。

 ロイズに最後に受けたあの一撃が、まだ胸の奥に恐怖の根を張っているのかもしれない。

 大丈夫? アルナルドがかけてくれる声に上目遣いでうなづくと、彼はそれ以上踏み込んでこようとはしなかった。


「ごめんなさい。私が残ってって言い出したのに」

「気にしなくていいよ。一言、謝りたかったんだ」

「謝る? どうして、貴方は何も悪くないわ」

「あの夜――パーティーの夜にね。執事に言われたのさ」

「じいやに? 何を??」

「ひいおじい様はもっと勇敢でしたよってさ」

「ああ……ごめんなさい。じいやは言いすぎなところがあるから……そんな試すようなこと、言わなくていいのに!」

「いや、良いんだよ。僕もその通りだと思った。陛下――僕の父上に後からどう言われてしまうとか、帝国と王国の関係とか、考えずにさっさと君を奪うべきだったんだ。あの会場からね」

「アルナルドー……やめてよ。それこそ戦争になってしまうわ。二度目は王家だって黙っていないわよ」


 そうだよね。

 少年は人懐っこい笑みを浮かべると、黒髪を困ったようにかきあげた。


「だから。うん……だから、あれが僕にできる精一杯の抵抗だった。悩ませて、苦しませて済まない。それが言いたかった」

「指輪、の件よね。それはいいの、貴方が助けてくれたから、我が家はかつての栄光を取り戻せた。後は私が貴方に生涯をかけて感謝を捧げるべきだってことも理解してる」

「いや、サラ。違うんだよ、それは違うんだ。もうそんなものに囚われることはないんだよ。後は僕が……君を守るから。そうさせてくれないか、サラ」

「またそうやって悪者になろうとするんだから。まだだめよ。貴方にはまだ婚約者がいらっしゃるでしょ? レイニーのように恨まれたくないの。帝国の端でいいわ。あの侍女たちと私を含めて三人、生きていける程度の財は持ってきたから。どうか、もう私に囚われないで、アルナルド」


 まだ指輪は付けれません。

 サラは静かに首を振った。

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