レイニーの陥落

 

「サラ様!」

 

 ふと呼ばれて顔を上げなくても、その声で相手が誰だかサラには理解できた。

 サラの望みのものは意外に早く訪れた。

 数日後、学院で友人たちと談笑するサラの元へ、あちらから歩いてやってきたからだ。

 名前を呼ばれて顔を上げたサラの前には、不機嫌と怒りの塊を心の奥底にひそやかに隠して来たその相手――レイニーが立っていた。


「あら、ご機嫌よう、レイニー様」

「……ご機嫌よう、サラ様。よろしくて?」


 レイニーはまあ……サラからすれば面白いほどに、怒りに身を震わせていた。

 それもサラに対する怒りだけでなく、父親やロイズへのものも転嫁して煮えたぎらせているのだろう。

 サラが言うまでもなく、周りの友人たちは何かを察したかのように席を離れてしまっていた。


「どうぞ、レイニー。もうすぐ貴方がどうなるか、覚悟を決めて来られたようね?」

「……ええ、そうですわね。お父様と殿下をどう言いくるめたか知りませんけど。どういうおつもりなの?」

「そうね。貴方が選べる道は一つしかない。それだけじゃないかしら」

「あなたって方は―――っ!!!」


 サラはふふ、とほくそ笑んでやる。

 あの夜、パーティに乱入しなければこんなことにはならなかったのだ。

 少なくとも、妊娠しているレイニーの弱みを握り締めて利用したいとは思わなかった。

 自分も氷のような女になったかもしれない。

 サラはそう思いながら、憤る侯爵令嬢を見つめていた。


「これから」

「え?」

「これから、よろしくお願いいたします、お義母様。でしょう、レイニー?」

「なっ!? どういうこと……? ロイズからはそんな話は聞いていないわ」


 ああ、そうなんだ。

 これが権力者というか、人を利用することの楽しみなんだ。

 サラは知ってはいけない毒の果実を食べた気になっていた。

 どこまでも優位な立場に立つ一人の権力者として。横暴をしても許される身分ってなんて楽しいんだろ。

 そんなことを思う自分を誰よりも醜いと思いながら。


「あなたみたいな数代前まで庶民だった家柄の娘が、かつての主の家に入れるとでも思っているの? 何も犠牲にせずに誰かを守れるとでも? まだお腹は目立たないようだけど、何か月目かしら?」

「……やっぱり。貴方ね、殿下に言いふらしたのは……」

「そうよ。でも助けたいのでしょう? 貴方のお父様、ラグラージ侯爵閣下はまだ娘を助けたいようだったわよ。それとも、侯爵家を守りたかったのかしら?」

「このっ……なんて最低なの、サラ。貴方って人は……殿下にどんなことを吹き込んだのよ!?」


 別に、とサラは否定してやる。

 ただありのままを伝えただけだ。

 レイニーのことなど本当はどうでもいい。

 子爵とラグラージ侯爵にとって大事なのは、それぞれの家を守ることだけ。

 それだけなのだから。


「あらそう? 貴方はどうでもいいの? それとも、侯爵様だけお助けすれば宜しいのかしら? 貴方とそのお腹の子供のことに関しては、陛下から刺客が向かうかもしれないわね」

「何故、そんなことがあるはずが……」

「レイニー。世間知らずにもほどがありますわ。私と殿下が婚約して早や数年。その間、殿下と最も長く過ごした異性は貴方で、結果が今でしょ? 陛下が見過ごすとでも?」

「帝室にふさわしくない子供だと言うことで、暗殺されると言われたいの、サラ様?」


 かもしれないわね、とサラはしたり顔でレイニーに余裕の視線を向けてやる。

 これ以上、あなたが助かる方法はどこにも無いのよと諭すように。


「それだけならいいのだけど。貴方、我が家のパーティーで暴れるわ、ロイズと私以上の時間を共にするわ。分を弁えなさいな、たかだか侯爵令嬢の貴方がロイズに目をかけて貰えるだけでも素晴らしいことなのに」

「そんなっ! あれは殿下が好意でお越しになられて……パーティーの件は、覚えがありませんわ……」

「そう。覚えていないのね……もう、いいわ。黙って従いなさいな、レイニー。貴方はこれから私の義理の娘になるの。でも守ってあげる。殿下が私にしたように、いろいろとしつけてあげるわ」

「こんな屈辱感、味わったのは初めてだわ。絶対に許さない……よろしくお願いいたします、御義母……様」

「ええ、よろしくね、レイニー?」


 唇を噛み、悔しそうに侯爵令嬢は肩を怒りに震わせて黙っている。

 サラの心のどこかで溜飲が下がった瞬間だった。

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