第八話 望んでいた世界

「……」


 ぼんやりと目を覚ますと、まだ薄暗い天井が見えた。


「――っ!」


 ハッとして起き上がろうとすると右足に痛みが走った。思わず「いてっ」と声が出てしまった。


(やった――今日が来た!)


 透はスマートフォンの画面を確認すると日付がきちんと進んでいた。昨日彩香たちから送られてきたメッセージもある。

 透は起き上がった。まだ六時前だが、今日からは松葉杖なので早めに家を出なければならなかった。親は車で送るとは言ってくれたものの、両親は共働きだったし、時間のことを考えると大変だと思ったので透は一人で通学することにしていた。

 とりあえずは一安心だった。ただ、結局怪我をしてしまったのは痛い。もうすぐオリエンテーションの合宿なのに――


「透、足はどうなの?」


 母親が透の足の様子を見ながら言った。


「ああ、多分ちょっと腫れたかもしれないけど、激痛ってほどじゃない。それより、松葉杖に慣れないと」

「そう。やっぱり車で送った方がいいんじゃない?」

「しばらく続きそうだし学校まで大した距離じゃないから大丈夫だよ。雨の日はお願いしたいけど」


 それに、その方が早く松葉杖に慣れると思った。



 ◇ ◇ ◇



 ――が、やっぱり送ってもらえばよかったかな、と思った。思った以上に松葉杖での歩行が辛い。まだ慣れていないせいか体力も使うし、駅に行くだけで疲れた。

 そして駅。通勤通学客はそれなりに多いものの、透の学校はここから下り方面なので基本的にこの時間でもさほど込んではいなかった。

 とはいえ、やはり構内の移動は辛い。けど、同時にバリアフリーの構造がこんなにもありがたかったなんて、と思った。

 いつもよりも早い時間に電車に乗る。


(満員電車だったら精神的にキツイところだ。はあ……オリエンテーションは俺だけ先生たちと一緒に別行動かな)


 仕方ない。とにかく早く治すことの方が先だ。

 駅に到着して電車を降り、なるべく壁伝いに沿って歩きながら駅員のいる改札を抜ける。

 すると、驚くべきことが起こった。


「おはよう、草薙くん」


(えっ? 葛城院さん?)


 改札を出たところで彩香が声をかけてきた。透は驚いて思わずバランスを崩しそうになった。


「お、おはよう――」

「足の具合はどう……?」


 彩香は松葉杖姿の透を心配そうに見て言った。


「ああ、うん――全治二週間ってとこかな」

「カバンを持つわ」

「えっ、そんな――いいよ」


 透はとんでもない、という感じであたふたしながら言った。


「いいから、遠慮しないで」


 彩香は微笑んで言うと、透のカバンを持った。


「あ――ありがとう。というか……なんか申し訳ない」

「そんなことないわ。圭ちゃんも草薙くんのことを心配してて、学校来るの大変だからって言っていたけど圭ちゃんはほら、あっちの駅だから」


 あっちの駅、とは、学校のもう一つの別の路線の最寄り駅で、こことは反対側に位置していた。


「だから、松葉杖が取れるまで私が付き添うわ」

「そんな――悪いよ。わざわざ――」

「どうせ私も同じくらいの時間だから――あ、けど……もし迷惑だったら言って? 押しつけがましいかもしれないから――」

「ない! 絶対ない! 正直、めちゃくちゃ嬉しい。むしろ葛城院さんの方に気を遣わせちゃって……」

「いいえ。むしろお役に立てればと思っているわ」


 彩香はまた微笑んで言う――天使って実在したんだな。

 二人は学校に向かって歩き始めた。


「本当に、ありがとう。俺なんかのために……」

「そんなことないわ。草薙くんの方こそ優しいじゃない。圭ちゃんの時だって付き添ってくれたし……」

「それはもちろん友達として当然のことだよ。俺は普通さ」

「ううん、色々と気を遣ってくれたわ。ほら、入学式の日覚えてる? あの時に貴方が私の緊張をほぐすために色々お話してくれたじゃない」

「ああ、そんなこともあったっけ」


 透は心の中で思わずニヤリとしてしまった。


(ああ――神様。なんて素敵なタイムリープをありがとう!)


 きっとあのサッカーボールは自分を幸運に導いてくれるように仕向けてくれた物に違いない。もしまたあの中学生が来たら逆にお礼を言いたいくらいだ。

 まさか彼女と二人きりの登校が叶うだなんて思ってもいなかった。まさにケガの功名とはこのことだ――



 ◇ ◇ ◇



 教室に入るとまだ数人しか来ていなかったが、透の松葉杖姿にみんなが注目した。


「どうしたんだ? 草薙」


 公平がやってきて透の怪我を見た。


「昨日、部活の時にちょっとした不慮の事故があって……」


 透は昨日の怪我のいきさつを説明した。


「そうなのか……それで二人で来たの?」

「松葉杖が取れるまで駅から付き添うことにしたの」


 彩香が公平に言った。


(ああ、なんて優しい女神様なんだ……)


「葛城院さんが?」


 公平は意外そうに言った。


「ええ。同じ駅だし、時間も合うから」

「雨の日は一応親に車で送ってもらうことにはなってるけどね。ただ、普段は共働きだからあまり負担はかけたくなくて」


 透はそう言いながら再び心の中でニヤリとした。公平が圭と同じく反対側の路線の駅だということは知っていたのだ。だから、妨害される恐れもない。

 やがて圭が教室にやってきて、同じように透のことを心配した。


「よし、学校内は私に任せて」

「大丈夫だよ、なんかみんなに気を遣わせるようで――」

「なに言ってんの。私はこの間のお礼もしたいし!」


 更には健一もやってきて、


「なんだ水くせえな。じゃあ俺は帰りに付き添ってやるよ。当然トイレもだ!」

「頼むからそれだけはやめてくれ」


 透がそう言うとみんなが笑った。


(ああ……これぞまさにリア充ってやつだよな)


 透はこれこそが自分の望んでいた世界だったんだ、としみじみ思った。

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