エピローグ
一学期もあと数日で終わりとなり、夏休みが近付いていた。
葵と彩香の劇的な和解により、葵の取り巻きや圭たち〝彩香派〟も自然と同じクラスメートとして付き合えるようになった。
麻美は自分たちのことを一時期いじめていた実花たちに対しては何も罰したりしようとはせず、自分の方こそ人として最低なことをしてしまったと反省し、謝罪した。
「一体、何が起こったんだ?」
健一は葵と仲良く話をしている彩香たちを見て言った。
「まあ色々とな。本当に……」
本当に良かった――二人が笑顔で一緒にいることが、何よりも嬉しかった。
放課後、透は葵に誘われて一緒に出かけることになっていた。けれども葵はいつものロータリーではなく、校舎の外れの方に透を連れて行った。
「どこに行くんだよ?」
葵は透と向き直ったが顔は俯いたままだった。
「葵?」
「……確かめておきたいことがあるの」
「確かめておきたいこと?」
「……」
葵はようやく透の方を見ると、言い出しづらそうな表情で訊いた。
「……天音とは、本当に何もないの?」
「えっ?」
「圭や彩香も言っていたけれど、貴方は天音と一緒にいることがとても多かったわ。高校入学当初から……天音に訊いても貴方とは付き合っているとかそういう関係ではない、って言っていた」
「ああ……うん。ちょっとあいつとは特殊な関係っていうか……その、男女分け隔てなく話せるっていうか」
「……そう」
葵は透の言葉でようやく信じたような表情で言った。
すると、改めて透を見つめて、
「私、透のことが好きよ」
「えっ――」
透は突然言われて驚いた。
「小学生のころに貴方に助けられたことは純粋に感謝してる……けど、貴方が入学してきたとき、心から嬉しかった」
「……」
「貴方は私のことを、本当の姿のまま受け入れてくれた。それまで、他の誰も私に対して意見も反論もしたことがなかったのに、貴方は本音で言葉を伝えてくれたわ」
「いや――俺もだいぶ戸惑ったと……思うけどな」
透はこの世界線の中学校時代の記憶が無いのであいまいに答えた。
「多分、お前が俺によく話しかけてくれたからじゃないか?」
「確かにそうかもしれない……私のことを名前で呼んで、って何度も貴方にお願いしたものね」
葵は思い出すように言ってクスッと笑った。
「そしてあの事故の話をしたら、記憶がないから感謝されることはない。けど、私が無事で本当に良かった、って言ってくれたわ」
「……まあ、そりゃそうだろうよ」
「透は優しくて、一緒にいてくれると一番安心できる――一番私が自然体でいられるの。気が付いたら貴方のことが好きになってた。けど、私はそのことを知られるのが恥ずかしくて、思ってもないことばかり言ってしまった――」
「……」
「そしてそれからも貴方と一緒に色々過ごして……天音に対して邪険な態度を取っていたのはただの嫉妬なの。貴方と一緒にいてばかりだったから――けどいま、改めて感じているの。貴方のことが本当に大好きだって」
葵は優しい表情で微笑みながら透に言った。透はその微笑みがまさに元の世界の葵と重なった。
「葵」
透も葵の目を見て言った。
「俺も、お前のことが好きだ。お嬢様の部分も、素の部分も含めてみんな」
「…………」
葵は透の言葉に感極まった様子で唇を震わせた。
「……嬉しい」
そう言うと葵は透の胸元に額をのせるようにした。
透はこの世界線に来て良かったと、初めて思えるようになった。
◇ ◇ ◇
「これで、この世界線は安泰ね」
「そうだな」
終業式の前日、透と天音は中学校校舎の屋上にいた。
「本当に、貴方には感謝しているわ。私だけではきっとここまでこれなかった」
「俺だけじゃなくて、お前と一緒だからできたんだよ」
透がそう言うと天音はフッと微笑んで「そうね」と言った。
「……お前に関する記憶はもう、消したんだな」
「ウン。私の役目はこれで終わりだから」
天音は本来の金髪に、金色に近い琥珀色の瞳をした姿になっていた。
「……けど、どうして葵――この世界線を創った葵の願いまで叶えてあげようとしたんだ?」
「英葵に対するクサナギの……特別な想いを感じたからよ」
「俺の?」
「……最初に貴方が別の世界線に飛ばされたとき、貴方は最後に葵のことを選んだ。普通なら、彩香を選んでそのままハッピーエンドを選ぶはず。それなのにそうではなかった。だから、クサナギとは知り合えなかった世界線の葵の願いを具現化させてあげたかったの……まあ、ある意味失敗しちゃったんだけどね」
天音はてへっという表情をして言った。
「まあでも、一応あっちの世界線でもクサナギと知り合えるようにはしたから……もちろんあっちのクサナギの彼女は彩香のままだけどね」
「……そうか」
すると天音は透と向かい合って、
「さて、じゃあ戻りますか」
「……ああ。ちゃんとこの後は俺の分身がこの世界に存在するんだろ?」
「ええ、これまでの記憶を持ったこの世界線の『草薙透』がね」
「……なら、オーケーだ」
「きっと貴方は葵のことを幸せにしてくれるわ」
天音は微笑んで言った。すると思い出したように付け加えた。
「あ、そうそう――そういえば約束していたわね」
「え?」
すると天音はそっと透に近付き、甘い吐息で「報酬の件」と囁いた。
「な、なんだよ――そうだったな」
「えーっと、人間の十代の男子は性欲の塊って聞いているけど、あんまり激しくしないでね……」
再び天音は色っぽい目つきで言った。
「なんでそういう方向になっているんだよ!」
「あれ? 違うの?」
「当たり前――」
そう言いつつも、案外それもオイシイんじゃないかと思った。
「と、とりあえず……そうだな。すぐには思いつかない。じゃあこうしよう。次俺が何か困ったら、その時に助けてくれ――でいいか?」
「そんなことでいいの? 例えば元の世界で葵や彩香や圭たちなんかとハーレムを作りたい、でもいいのよ?」
「だからそういう方向から離れろよ! お前、天使だろ?!」
「アハハ、冗談冗談」
そう言って天音は透に再びそっと近付いて、
「お疲れさま、ありがとね」
と囁くと、透の意識が途端に遠のき始め、ぐるぐると色んな光景が回り始めた。
◇ ◇ ◇
「……ッ!」
透は目を開けた。
すると、元の世界で天音にさっきまでいた世界線に飛ばされる前の時間に戻っていた。向かいのベッドに天音はいない。
(はあ――帰ってきた!)
透は安堵したように心の中で叫んだ。
◇ ◇ ◇
翌日、少し早めに家を出る。久しぶりに元の世界の葵に会いたかった。
(というか、最初に別の世界線に飛ばされたときはそこには葵がいなかったし、こっちの世界に戻ってきて割とすぐにまた飛ばされて……なんだかんだであんまり葵と一緒にいられなかったんだよな)
そしていつもの葵との待ち合わせ場所で待っていると彼女が歩いてやってきた。眼鏡をかけている、元の世界の葵だ。
「あれ? 今日は早いね透くん」
「葵――」
透は懐かしさで思わず駆け寄ると葵の手を両手で握った。
「と、透くん?!」
「ああ……本当、会いたかったよ葵」
透ははあーっとありがたいように葵に言った。
「あ、あの――」
「やっぱり俺はこの葵が一番だ」
「……」
葵は訳が分からずにただ手を握られているままだった。
「あの……透くん、他の人たちが見てるから……」
「あ――ごめん」
透は両手を離した。葵の顔は真っ赤になっていた。
「急にどうしたの?」
「ああ、やっぱり心の優しい葵が一番なんだ、って思って」
「な、何それ……」
透は晴れやかな気持ちで葵と一緒に駅へと向かって歩き始めた。
―― 第二部 『英家の令嬢』 完 ――
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