ここはうってつけの場所 ー乙女座の同級生
他のクラスの子の情報に、詳しくないわたしさえあの人のことは知っている。
わたしの学校は最近にしては結構人数が多い学校らしく、クラスは五つに分かれている。沢山人がいると一度も話したことがない人も多くて、顔を見ただけでは同じ学年なのわからない人もいる。同じような学校は大体こんな感じかもしれないけど、一クラスには一人、情報通の女の子がいて、その子が他のクラスの情報を持ってくるので、それでなんとなくみんな全体像を把握しているところがある。わたしが感じる範囲だからかなり狭い認識だけど、決して学校の雰囲気は悪くないと思う。それなりの問題はどこかに潜んでいるかもしれないけれど、派手な子もおとなしそうな子もわりかし仲がいい。入学する前はちょっとその辺りも心配だったけど、今のところ取り越し苦労に終わっている。わたしはというと派手でもなければ特段おとなしいわけでもなく、まぁ本当に普通だ。超進学校でもないけれど、大学や専門学校に進む人も多くて、校舎も綺麗だから人気がある。わたしは平和を好むので、全く不満のない学校生活を送っている。
情報通の女子が言うには『漫画のキャラクターみたいな男の子』なんだそうだ。わたしも顔は見たことがある。背が高くて線が細くて、なんだか神経質そうだなぁっていう印象だった。高校二年生になったわたしは恋愛には無縁だった。興味がないわけじゃないけど、みんなみたいに好みとかがよくわからない。同級生が子供っぽく見えるわけでもないし、いいひとは沢山いるけど、それは友達では駄目なのだろうかなど理屈っぽく考えてしまう。一緒にいる友達ともそういう話はあんまりしない。恋に涙するクラスメイトを見ていると、余計に足が遠のいてしまう。ただ、悩んだり喜んだり、感情をぶつけ合っている彼女たちは輝いてみえるのだけど。
その男の子の名前は『高瀬くん』と言う。
『A型の乙女座』で『成績優秀』『顔面偏差値最高』『なのにフレンドリー』だそうだ。これは全て情報通の女の子及び、その友人たちから聞いた話だ。なるほど、その完璧な感じが『漫画のキャラクターみたいな男の子』に繋がるんだろう。こういう噂が巻き起こるような男子とはきっと話をする機会なんてないだろうと思う。まずクラスが別のクラスだ。二年生は、三年になっても持ち上がりだ。合同授業は本当にたまにあるけれど、もしその合同授業で近くの席になったり、何かのはずみで話すことがあったとしても、わたしは深くは関わらないだろう。だってわたしは平和主義者なのだ。話題の人物と関わろうなんて、自分から地雷を踏み抜きにいくのと同じことだから。
わたしは図書委員に入った。本が好きだったし、何よりあの空間はとても平和である。ひとと話すのが嫌いなわけじゃないけど、得意というほどでもない。図書室は静かで心が安らぐ。大学も文学部に行けたらいいなぁと思っている。わたしの学校は人数も多いからか図書室もとても広い。蔵書も揃っていて入学の決め手にもなったくらいだ。ただ、いつも疑問に思うことがある。どの学校もなんであんなに図書室には西日がさすのだろう。本は日に当たったら焼けてしまうというのに。
でもわたしはその夕暮れの図書室が一番好きだったりする。夕方の図書室は、レースのカーテンを引いても夕日が薄く差し込んでいて、書架の隙間には本の影が伸びている。それがなんともいえない美しい景色に見える。一年生の時から通っている図書室は慣れ親しんだ場所になっていて、その図書室に委員会でも携われるのがとても嬉しい。一年生の時は人気で入れなかったのだった。今日は委員会の顔合わせだ。知らないひとと話すのは緊張する。早めに図書室についたわたしは窓が見える席に座った。春の日差しは暖かくて気持ちがいい。このまま座ってたら居眠りしそうなほど穏やかな光だった。
「こんにちは」
まどろみかけていたわたしは突然の声に驚いて必要以上に体がビクッと反応してしまった。わたしの向かい側に座ったのはあの『高瀬くん』だった。声を初めて聞いた。なんだろう。特徴的なわけではないけど耳に馴染む声。
「あ、こんにちは」
「二年生だよね」
「はい」
「名前は?」
なんかすごい。いや、もしかしたらこれが普通なのかもしれない。それに同じ委員会なわけだし、自己紹介くらい普通にするだろう。でもいろんな噂を聞いているからなのか、なんかすごいと思わせられる。
「佐々木です」
「佐々木さん、よろしくね」
「よ、よろしくお願いいします」
すると彼はニコッと微笑んで、カバンから一冊の本を取り出した。
学校で借りたものではないのだろう。ブックカバーがついていてなんの本かはわからなかった。わたしもつられてカバンから図書室の本を取り出して読み始めた。
読み始めたものの全然集中できない。本を読むフリをして高瀬くんを盗み見た。うん、色々疎いわたしにも漫画のキャラクターみたいって言うのはわかる気がする。高校生なのに?というのが正しいのかわからないけど、指が綺麗。噂で色々聞いていた割に全然この人のこと知らないなぁと思う。部活に入っているのかとか、本を持ってきているくらいだから本が好きなんだろうけど、なんで図書委員になったのかとか、この人が噂とどこまで同じなのか、単純に気になってきた。そんなことを考えていたら続々と人が入ってきたので、わたしは本をしまって先輩に挨拶をした。
高瀬くんとは同じ委員会だけどクラスも違うし関わらないだろうなぁ、と思っていた。しかし図書委員は同じ学年同士、別のクラスの委員と一緒に図書室のカウンター業務を行うらしい。クラスも多いので担当になるのは本当にたまにだ。わたし的にはもっと多く担当になってもいいんだけど、そういうわけにもいかない。というか、そんなことより問題なのは、高瀬くんと一緒の日があるということだった。興味は確かに沸いたけど。
委員会の顔合わせの翌日、登校したわたしにクラスの情報通は、待ってましたとばかり突撃してきた。高瀬くんとなんの話をしたのか、高瀬くんと二人で担当になる日があるんでしょとか。ここで誤解されたくないのはその情報通は別に嫌な子なわけじゃなくて、わたし新聞部です!みたいな感じで、単に状況を把握したいだけなのだ。名前を聞かれたこととか本を読んでいることとか、なんとなく伝えたけれど、めぼしい情報がなかったようで、肩をすくめて友達の輪へ戻っていった。わたしはほっとする。だってわたしは平和が好きなのだ。何回でもいうけど。
そうやっていつの間にか毎日は普通に平和に何もなくすぎていって、あっさりと梅雨に入り、梅雨があけ、むしむしとした暑さが迫ってきた七月。高瀬くんとわたしの当番の日がやってきた。何を言われるのかとビクビクしていたわたしだったか、それも取り越し苦労だった。もうすでに高瀬くんの噂も真新しいものがなくなっていて、すでに情報通の目は別の方向に向いていたからだ。なぜかというと今月転校生が来るらしい。なるほど、この時期の転校生とは確かに何か理由がありそうである。転校生がノリの良い子ならいいけれど、おとなしい子だったらと思うとちょっと気の毒だな、と思いながら図書室へと歩いた。
なんだか緊張してきた。なにせ、わたしも高瀬くんと会うのは久しぶりだったから。クラスも沢山あるし、下級生も上級生もいるし、たまに開かれる委員会も特別必要なものではなく、高瀬くんがいなかったり、わたしがいなかったりした。他のクラスで合同授業することもなくてなんだか初めから高瀬くんなんていなかったみたいに、もうすぐ真夏がこようとしていた。そういえば今更だけど、一年生の時は高瀬くんの噂なんて聞いていない。なんでだろう。
図書室のカウンター業務は何度か別のクラスの女の子と担当した。だから委員の仕事はなんとなくわかっている。そっちの心配はないけれど、話したこともない、しかも男子生徒、それが高瀬くん。緊張しない方が変というものだろう。噂話で肥大した彼の印象はもう揺るがないものになっていた。
『誰にでも優しくて、なんでもできる、漫画のキャラクターみたいな男の子』
図書室の中に入ると、右手にカウンターがある。大体そこに当日の図書委員が座っている。ただ、そのカウンターには誰もいなかった。少しの間、ドアの前で逡巡してから意を決して入ったけれど、まだ来ていなかったようだ。ただでさえ人の少ない旧校舎にある図書室だ。わたしのクラスは比較的図書室に近いけれど、高瀬くんの教室とわたしの教室は端と端だ。人気者であろう彼がすぐに図書室に来るとも限らない。
気が付かないうちに肩に力が入っていたようで、一気に力が抜けた。
今日は長い時間割の日だったけれど、日が長くなっていてまだ夕暮れには早い時間だ。七月に入って間もないこともあり、まだ日差しは柔らかだった。窓に近づいて外を眺めながら背伸びする。固まった体がほぐれていくのがわかった。
「何してんの、佐々木さん」
今度こそ声が出るかとおもった。誰もいないとおもっていた図書室で急に声をかけられればみんな驚くに決まっている。
「何驚いてるの」
そう言って笑ったのは高瀬くんだった。なんだろうこの人、いっつもめちゃくちゃ心臓に悪いじゃん。物音くらい立ててほしい。心からそうおもった。
「高瀬くん」
「どうも」
「・・・どうも」
決まり悪そうな声が出てしまった。高瀬くんにもそう思われたのだろう。高瀬くんがまた笑った。ん、なんかこの感じ、ば、バカにされてる・・・?
ふと机を見るとたくさんの本が積み重なっていた。
「この本、どうしたの」
「え、どうしたのって高瀬さん、わからない?」
高瀬くんが至極当たり前のようにキョトンとした顔をした。
「え?」
「え?」
しばし空白の時間が流れたとおもったら、ふっとため息とも苦笑ともつかない息をついて高瀬くんが笑う。
「虫干し、するから」
「虫干し?」
「なんだ、佐々木さん本当に知らないんだ、意外」
なんかやっぱりイメージと違う。いや、イメージというか噂か。なんだろうこの違和感。漫画のキャラクターにも確かにいる、なんか意地悪で、でも憎めない、みたいな。そんな感じ?
「手伝って、佐々木さん」
そういうと高瀬くんはくるりと背を向けて日陰の書架へと歩いていく。一瞬ぼうっとしてしまったけれど、高瀬くんがこちらを一度も振り向くことなく書架へ消えてしまってから、ハッとして慌てて高瀬くんを追いかけた。
「ここは終わってる」
「同じように持っていって逆さまに置かないと戻す時大変じゃない」
「それ、さっきも出してたよ」
「この本は傷んでるやつだから避けておいて」
「分類は大丈夫」
「佐々木さんはそっちの方から」
高瀬くんに言われたまま動いて、あの馬鹿にしてるんだか不思議がっているんだか、なんだかわからない表情で笑われたりしながら作業していたら、あっという間に時間が過ぎていった。ムカつくとか思うよりも先に指示が飛んでくる。なんというか・・・怒涛だった。
「つ、疲れた・・・」
「お疲れ様」
いつの間に持っていたのか、紅茶とお茶のペットボトルがおいてあった。どちらでもどうぞ、というように高瀬くんは綺麗な指でペットボトルを指さした。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
わたしは紅茶を取ったが彼は飲み物には手をつけず、ページを開いた状態の本を次々とめくっていた。高瀬くんと本を運び出し、言われるがまま本を開いて並べた。そういえば虫干しの意味を全く教えてもらっていなかった。
「まだまだ終わってないけど、進んだよ。ありがとう」
高瀬くんは作業に集中しながらこちらを見ずにいう。
「あ、ううん。それで、あの、虫干しって何」
「そっか、説明してなかったよね。本当の虫干しの時期はまだなんだけど、この蔵書の数じゃ、あっという間に真夏がきて秋が来ちゃうからね。昆虫の虫に物干しの干しで虫干し。読んで字のごとくだけど、本が虫に食われたり、湿気で傷まないようにすることだよ。本だけじゃなくて洋服とかにもやることなんだけどね」
「あ、そうなんだ、知らなかった」
「本好きなのかとおもったから知ってるとおもったけど」
「・・・知りませんでした」
今度こそ思い切り不機嫌な声が出た。あっとおもったけど遅かった。すると今度は高瀬くんが勢いよく顔を上げた。
「あ、別に馬鹿にしたわけじゃない、ごめん」
そういうとバツが悪そうに笑う。
突然にわたしは閃いた。
あ、虫干し。そうか、だから西日が当たる部屋なのかも、とわたしはおもった。
高瀬くんの頬が西日でより美しく照らされ、本が連れてきた埃が光っている。直射日光に当たるわけではないけれど、日が暮れるにつれて穏やかな光がさす図書室。本の日光浴。打って付けの場所だと思う。いつも疑問に思っていた図書室の配置。虫干しの習慣こそ、図書室がこの位置にある理由の一つかもしれない。そう思ったらなんだか嬉しくなってしまった。だから思わず踏み込んでしまった。
「・・・ねぇ、高瀬くん、これもしかして毎日やってたりするの」
「え?」
「だって、もう終わってる棚あるんでしょ」
「毎日ってわけじゃないけど、来れる日は来てるよ」
「それ、誰かに頼まれてるの?もしかして委員会の仕事?」
「いや、違うよ、俺がやりたいだけ。だって本が可哀想じゃん。」
わたしが平和を好むのは本当で、わざわざなんか嫌なことになるかもしれないことに足を突っ込むのはわたしらしくない。でもわたしもおもったのだ。本が可哀想だと。せっかく日光浴に打って付けの場所にいるのに、ずっと思い切り息ができない本があるなんて。
それと、こんなに美しい西日の図書室を独り占めしている高瀬くんが素敵で、とってもとっても羨ましかったから。
「わたしもまた来てもいい?」
「え?」
「わたしも本、好きだから」
「・・・佐々木さん、変わってるね」
なんだ、噂なんてやっぱりあてにならないや。
高瀬くんと同じクラスの子達は、こういうことを噂にすればいいのに、クラスの情報通もこういうところを噂にしなきゃ。そうじゃなきゃ。
でもなんだかわたしでもちょっとわかる気がする。こんな高瀬くん、自分一人が知っていたいとおもってしまう。恋愛なんかわからないわたしだって、今日のことは、誰にも言いたくないってそう思うもん。
あの時なんの本を読んでいたのか聞いてみようか。高瀬くんの好きな本はなんのか。そもそも君はどんな人なのか。あんな一つもあてにならない噂ばかりで高瀬くんを知った気になっているなんて、とんでもなく勿体無いと思ってしまったから。平和を好むわたしが興味を持つにはかなりの怪物かもしれないけれど。
変わっているね、とわたしにいった高瀬くんは、今まで見た表情の中で一番、同級生らしい顔をして笑っていた。
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