三途の河で夢を見る。

夜橋拳

三途の河で夢を見る。

 息子が死んで三年、ようやく立ち直ってきた。

 そんな時、病気になった。かなりの難病だ。俺は倒れてしまったらしい。

 息子も病気で死んだので、今度は自分の番かとでも冗談交じりで思っていたが、そんなことはなく、次に目が覚めたのは奇麗な青空の下だった。

 あちらとこちら、大陸を分けるような、国境のような、大きな河が流れていた。

 どこか見覚えがあるようで、全く見たことのない景色だった。

 綺麗な場所だったので、ドラマや映画に起用されていたのかもしれない。

 しかし、そんなことないことが、次の瞬間にわかった。


 「父さん」


 河の向こう側には、死んだはずの息子が居た。

 息子はこちらに向けて手を振っている。

 その時、俺は察した。ここは三途の河だと。

 あちらが死の世界で、こちらが人間の世界なのだと。

 私はせっかく忘れかけていた息子が死んだという事実を身近に思い出してしまい、泣きそうになってしまった。


 「久しぶりだな」


 俺は手を振り返す。


 「母さんは元気だぞ」

 「そっか」


 息子は少しはにかみ、そう言った。

 俺はなぜだかわからないが、話し終えたら息子と再び離れ離れになることを知っていた。だから話を続ける。


 「そっちは暇か?」

 「うん」

 「たまには戻って来い」

 「無茶言わないでよ」


 冗談で言っただけなのに困ったような顔をする。そりゃそうだ。こんなことを言われたら俺だって困る。

 それに……本当は冗談で言ったつもりはない。いやでも半分くらいだろうか。


 「お前には苦労を掛けたな」

 「こっちのセリフだよ」

 「俺がもう少し稼いでいれば、お前をアメリカの病院に連れていけたかもしれないのに」

 「末期だったからね、多分駄目だったよ」


 悲しいことを言う。

 状況が状況だからか、何を言われても悲しく感じてしまう。


 「もっと甘やかしたかったよ」

 「十分甘やかされたよ、俺は」

 「そんなことはない。中学卒業以来旅行にも連れて行ってやれなかったじゃないか」

 「いいんだよ、俺車酔いしちゃうし」


 言えば言うほど言葉が詰まる。

 それは語彙がないわけじゃない。


 「お前から貰った仕送り、全部酒代に使ったぞ」

 「嘘ばっかり、ずっと貯めてたんだろ。わかってんだよこちとら」

 「嘘じゃないぞ」

 「手向けの酒ならいらねえよ」


 喉がひりつき、腫れていく。

 しゃっくりが出てきた。口が枯れてきた。


 「父さんより先に死ぬなんて、親不孝ものめ」

 「わかってるよ、悪かった」

 「だまれ……いやだまるな、何でもいいから話続けろ。悪いと思ってんなら」

 「それなんだけどさ」


 息子が俯き、どうしようかと困った笑顔を見せる。


 「ここでの一分は、人間世界での一日になるんだ。だから、そろそろ帰った方がいい」

 「うるさい! そんなことを言うんじゃない……!」

 「泣くなよ、いい大人がみっともない」

 「うるさい! うるさい! もっとうるさくしろ!」


 お前は寂しくないのか、寂しいのは俺だけか。


 「そろそろ七分だ。早く行かないと死亡判定が出ちまうぜ」

 「だからなんだ。お前に俺の気持ちがわかるのか」

 「わかるよ。だからこそ泣かないで父さんのこと考えた発言してんだろ」

 「いいや、全然わかっていない。俺のことも全然考えてなんかいない」

 「俺は次の父さんの言葉を無視する。だから最後に何か言うことあれば言ってくれ」

 「頼むよ……後生だから……」


 俺の後生の頼みを、息子は聞いてくれるつもりはないらしい。

 息子の目を見る。やはりどこか困っていた。

 息子の目は困っていて、俺の目は潤んでいる。これじゃあどっちが親で、どっちが子供かわからない。

 ああ、そうか。

 俺もそろそろ息子離れしろってことか。

 ならば、最後に言わなければならないことがある。


 「なあ、修平しゅうへい。生まれてきてくれてありがとう。愛してる――さようなら」


 ああ、さようなら。

 声にこそ出さなかったが、息子はきっとそう言っただろう。


 *


 「あなた!」


 俺が目を覚ました途端、仕事帰りなのか化粧をしてスーツ姿の妻が飛びついてきた。

 すまない、迷惑かけた。そう言う暇もなく、妻はわんわんと泣き、俺はそれを宥めていた。


 「もう、一週間も寝てるなんてお寝坊さんね。わたしを一人にする気?」

 「悪かった。悪かったよ」


 そうだった。俺が死んだら彼女を一人にさせてしまうではないか。


 「なあ、夢の中で修平に会ったんだ」

 「そうなの、修平はどんなことを言ってたの?」

 「手向けの酒はいらないってさ」

 「もう買っちゃったから無理よ」

 「あと、大人になってた。どっちが子供かわからないくらいに」

 「そうなんだ」

 「修平が死んで三年が経って、心の傷が癒えてきたと思ったけど、そんなことなくて、むしろ逆だったんだ。この三年で疲れていた。

 だから俺、夢の中で死のうとしてたのかもしれない。自分勝手な話だ。君を残して死ぬなんて非道極まりない。でもそれを修平が止めてくれたんだ。

 本当、最後まで愛くるしい奴だったよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

三途の河で夢を見る。 夜橋拳 @yoruhasikobusi0824

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ