第32話 『聖教』軍の絶望

「そ、んな……」


 目の前に広がる地獄のような光景に、『聖教』司祭長ジェニファー・ラングレイは目を見開くことしかできなかった。

 死体を継ぎ接ぎしたような男――その指示と共に、襲いかかってきた骸骨の群れ。それは当所の予想であった六百よりも、遥かに多い数だった。

 目算で、二千。

 二千もの死なない兵士が、襲いかかってきているのだ。


 勿論、こちらは五万の兵士である。数だけならば、二十倍もの開きがある。つまり、兵士二十人で骸骨一体を粉々にできれば、それでいいのだ。

 だが、問題は。

 その骸骨がまるで洗練された軍のような動きで、一糸乱れぬ突撃を敢行していること。

 鼠一匹すら通さぬとばかりに並んだそれは、まさしく密集陣形ファランクス


「何故っ……! 骸骨が何故、あのように統率された動きを……!」


「前衛、破られました! 司令官は、後方に退いてください!」


「くっ……!」


 歯噛みしながら、副官の言葉に従ってジェニファーは退く。

 たかが六百程度の骸骨ならば、簡単に蹴散らせると思っていた。だけれど、こちらの想定の三倍以上――しかも、統率された軍である。

 さらに最初、突然現れた『吸血鬼ヴァンパイア』と名乗った女が中衛を混乱させ、その内部ではさらに殺された兵士が屍鬼グールとなって、別の兵士を襲い始めたのである。これにより内側から軍は瓦解し、簡単に言うことをきかない存在となっていた。

 そもそも軍というのは、数が多くなれば多くなるほど統率というのが取れないものなのだ。その統率をこなすからこそ、将軍として率いる存在になれるのである。

 しかし、この軍は。

 副官こそ歴戦の騎士が行ってはいるものの、司令官であるジェニファーは素人に過ぎない。


「何故、このようなことに……!」


 完璧な計画であるはずだった。

 フリートベルク領が迎撃の準備を行う前に辿り着いた軍が、素早く領地を支配下に置く。そんな、電撃作戦のはずだったのだ。

 だけれど実際は、脅威である巨人のスケルトンが二体展開され、別働隊として迂回して向かった先には既に骸骨の兵士が待ち構えている始末。そして、その数も情報によれば六百程度だったはずなのに、実際にはその三倍以上。

 信頼できる情報だったはずなのに、何故そのように狂ってしまったのか。


 ジェニファーは知らない。

 フリートベルク領に今、『紫の賢者』エレオノーラが存在し、その秘術である瞬間移動テレポートをジンに伝授したことを。これにより、『神聖騎士団』が出陣したその時点で、ジンは情報を得ていたのだ。

 そこから、会戦に向けて十日。

 ジンには十分に時間があり、ジェニファーはそれを知らなかった。


「ぎゃああああっ!!」


「て、敵だっ!!」


「骸骨が、後ろからもっ!!」


「えぇっ!!」


 ジェニファーが、ようやく辿り着いた後方。

 五万の軍のうち二万が、そこで予備役として配備されている。広く展開できない戦場では、前方の味方が倒れたらそのまま前に行くという役割だ。

 しかし、そんな後方から。

 現れたのは、同じく密集陣形ファランクスを組んだ骸骨の兵士たち。


 その数――三千。


「あ、ああっ……!」


 日が沈んでいき、夕焼けに彩られた戦場。

 されど、その夕焼けが映す、その姿は。

 絶望しか、なかった。


「ぎゃあああ!!」


「ち、畜生……!」


「逃げろぉっ!」


 三千もの骸骨兵士の突撃に、味方の兵士が次々と倒れてゆく。

 見えるのは、夕焼けの朱と鮮血の赤。

 そして後方の指揮官がジェニファーに駆け寄り。


「司令官! 前方にお戻りください! こちらは危険です!」


「そん、な……」


 骸骨の密集陣形ファランクスに、崩された前衛。

 吸血鬼ヴァンパイアの暴力で、統制のとれない中衛。

 後方からやってきた突撃に、翻弄されている後衛。

 この戦場に、安全な場所などどこにもない。


「はは……ははは……」


 絶望の果てに、ジェニファーは笑った。

 そんなジェニファーの姿に、後方の指揮官は言葉を失って目を見開く。


 この戦争の、果てを知った。

 もうこの戦争に、勝利はない。


「あはははははっ!! あーっはっはっはっは!!」


「し、司令官……?」


 偉大なる『聖教』より与えられた『神聖騎士団』。

 そして、帝国より与えられた大軍。

 その数は、合わせて十万。並の国ならば、陥落するほどの大規模侵攻である。

 だというのに、それが阻まれている。ただの、辺境の一領主に。


 十万の兵を並べても圧倒されるのならば、どうすればこの地を落とせるのだろう。

 百万の兵を並べても、蹂躙される未来しか見えない。


「あははははは……」


 ジェニファーは、笑うことをやめて。

 それから、目の前の絶望に対して笑みを浮かべた。


 フリートベルク領の噂は、帝都にも届いていた。

 骸骨の兵士が農作業に従事しており、農村の労働力となっている。そのため農村では休耕地が減り、安定した生産量となっており、富んでいるのだと。単純作業を行わせることができる労働力さえあれば、小さな村でも十分な収穫量が得られるのだと。

 それを作り出すことができるのは、ジン・フリートベルクただ一人。

 彼の手によって、フリートベルク領は救われたのだ、と。


 しかし、『聖教』は認めることができなかった。

 骸骨の兵士を扱うことは、邪教の使徒を輩にしていることと同じである。それは、『聖教』として許すことができなかったのだ。

 ゆえにフリートベルク領の存在を、『聖教』は決して認めることができなかったのである。


「ああ、神よ……どうして」


 目の前で、兵士が斬られる。悲鳴が上がる。

 骸骨は疲れた素振りすら見せることなく、兵を斬り殺し続けている。

 そんな絶望を目にして、ジェニファーは初めて、神に問うた。


「どうして、このような邪教の蔓延を、静観なされるのですか……?」


 かつて、神話に描かれた邪教の使徒。

 それを『聖教』の使徒たる天使が、殲滅したとされる大戦争。

 ならば今、まさに神話に描かれた戦争そのものではないか。


 しかし、そんなジェニファーの問いかけに。

 神が、答えることはなかった。

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