第28話 再び訪れた危機
「それでは、こちらにもサインを」
「ええ」
フリートベルク家の屋敷。
そこに今日は、ハイルホルン連合国の姫――アンネロッテが訪れてきていた。今回は
俺の方から
そして応接間で、俺はアンネロッテと向かい合って座っていた。
その間にあるテーブルの上に並べられているのは、国家の印章が刻まれた正式な公文書の群れである。
「ふむ……はい、これで手続きはひとまず終了です。あとは帝国の方に、我が国から使者の方を送りますので、それで終了ですね」
「ええ」
「わたくしとしましても、これほど簡単に話が進むとは思いませんでしたわ。やはり、わたくしの美しさが為したものなのですね」
「……はぁ」
アンネロッテの言葉に、とりあえず頷いておく。
まぁ事実、性急にことは進んだと言っていいだろう。アンネロッテが最初に話を持ってきてから、今日この日に至るまでなんと三月という素早さだ。目の前の公文書で、間違いなくフリートベルク領が今後、ハイルホルン連合国ハルドゥーク公爵領預かりの辺境伯領になることが示されている。
加えて、俺の領地は現在の三倍ほどに増えた。しかし、その領地もフリートベルク領のようにてこ入れが必要な、貧しい農地が多く存在する場所ばかりだった。恐らくスケルトンによる労働力を用いた改革を、ハイルホルンの方でも結果を出させるためだったのだと思う。
まぁ、俺はその点に不満はない。現状、兵士として五千のスケルトンがいるわけだし、相変わらずクリスの魔力は無尽蔵なので、いくらでもスケルトンを作れると言って過言ではないのだから。
「それで、今後のことですが……公爵閣下」
「ええ、辺境伯殿」
そして、俺がハルドゥーク公爵領預かりの辺境伯になったということは、直属の上司がこのアンネロッテに変わったということである。
今までは皇帝直轄の領主だったから、そのあたりは多少の違和感だ。今までのように、気安くアンネロッテに対応することはできない。
まぁ、それはいいとして。
「いつ頃から、戦争が始まるのでしょうか?」
「辺境伯殿は、随分と性急ですね。そんなにも戦争を起こしたいのですか?」
「い、いえ、そういうわけではないのですが……」
「そもそも、戦争というのは交渉の最終手段です。わたくしどもは、正当性を持ってフリートベルク領を帝国から貰い受ける予定ですから。その上で、向こうがこちらの出す条件に対して折れなければ、戦争になるでしょう。ですが、戦争になればそれだけ人が死にます。人が死ぬということは、経済が打撃を受けます。国民の生活の向上を行うための金を、軍需に充てなければならなくなります。できる限り、
「……」
確かに、アンネロッテの言う通りだ。
戦争をすれば兵士が死ぬ。兵士が死ぬということは、それだけ労働力が落ちる。そもそも帝国でも、騎士団のような職業軍人はそれほど多くないのだ。ほとんどの兵力は、農村などから徴兵して用意するのが常である。
そして若者が失われた農村がどうなるか――それは俺が、嫌というほど見てきた姿だ。
農村は休耕地が多くなり、生産量は下がる。つまり、経済が回らなくなるのだ。
「ひとまず、正当な理由をもってして使者が帝都に向かいますわ。我が国の方から、兵士をこちらに駐屯はさせますが」
「戦争が起こる可能性は低い、と?」
「低いとは申し上げませんわ。勿論、そうなる可能性はあります。わたくしたちにできることは、戦争を回避できるように交渉の場を設けることだけです」
「……分かりました。いざというときの、覚悟はしておきます」
帝国だって馬鹿ではない。大人しく、ただフリートベルク領を譲るようなことはないだろう。
代わりにハイルホルン側から何らかの対価を示し、それを帝国側が納得してくれれば、戦争は回避できる。フリートベルク領がハイルホルン側につく正当な理由があれば、尚のこと交渉は上手くいくだろう。
「フリートベルク領内で、一度虐殺が行われていますよね?」
「……ええ。『聖教』に」
「帝国は『聖教』を国教とは言っておりませんが、『聖教』の本殿は帝都にあります。つまり、国に存在する宗教に対して首輪をつけず、領内で虐殺をしたという事実があるのです。そのあたりを念頭において交渉すれば、さほど難しいことではないでしょう」
だったら、それが一番いい。
俺だって戦争になんて参加したくないし、平和が保たれるのならそれが一番なのだ。
「では、今日のところはこれで失礼いたします。戻り次第、我が国の兵士をこちらの領地に派遣いたしますわ」
「ありがとうございます」
「本日は、良い会談ができました。今後とも……」
そう、アンネロッテが立ち上がって頭を下げる。慌てて俺も、それに倣って頭を下げた。
それで終わりかと、そう思った瞬間に。
「ジンっ!!」
「えっ……」
ばんっ、と応接間の扉が激しい勢いで開かれる。
そこに、慌てた様子で入ってきたのは、エレオノーラだった。今日はアンネロッテとの会談があると朝に言ったのだが、「あたしは帝都でやることがある。嬢ちゃん借りるよ」とだけ言われて拒否されたのだが。
一体、何があったのだろう。
「お師匠? 一体……」
「ジン、まただ……!」
「また……?」
いきなり何を、とは思うが、ひとまずエレオノーラの上がった息が収まるのを待つ。
二、三度深呼吸をしてから、エレオノーラは真剣な眼差しで俺を見て。
「だが、今度は前と桁違いだ。早急に準備をしろ。ハイルホルンの兵は間に合わない」
「いやいや、お師匠、一体……」
「帝都から、兵が出発した。数は十万」
「……え」
俺はつい先程、契約を結んだばかりである。
公式に、フリートベルク領がハイルホルン連合国に変わったのは、つい先程だ。
何故――。
「率いてんのは、『神聖騎士団』……『聖教』だ」
「また、奴らが……!」
「だが、『神聖騎士団』は僅かに五千だ。残る九万五千は、帝国の正規軍。総司令官は、『聖教』の重鎮――司祭長ジェニファー・ラングレイだ」
「……分かりました」
黒い炎が、胸に宿る。
二度と、俺は『聖教』を許さない。『聖教』に蹂躙される未来など、二度と御免だ。
だったら、俺のやるべきことは一つ。
「戦いましょう」
戦争は、交渉の最終段階。
しかし、『聖教』とは交渉の余地もない。
向こうがそれほど喧嘩を売ってくるのならば、こちらは言い値で買ってやるだけだ。
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