第23話 気付かなかった真実

 クリスの魔力は、無駄に損耗してはいけない――それが、俺とエレオノーラの共通認識だった。

 だからエレオノーラも自力で帝都近くの山まで向かったし、俺も決して無理はさせまいと山の上まで向かわずに研究を続ける日々だった。瞬間移動テレポートで使用する量はそれほど多くないといえ、少しでも目減りするのを防ごうとしていた。

 だけれど。

 俺はクリスに、魔力を使うことをやめるようには、言っていなかった。言わなくても、俺が何も言わなければ何もしないと、そう思っていたのだ。

 それは、イアンナは知らないことだ。そもそも、クリスがアンデッドであることも知らないのだから。


 だから。

 俺はこの状況に対して、誰も責めることはできない。

 俺の措置が、甘すぎた。


「……クリス」


「はい、ごしゅじんさま」


「もう、そこまででいい。それ以上、窓は綺麗にしなくてもいい」


「ジン様……?」


「ここから先の窓は、イアンナが拭いてくれ。クリス、ちょっとこっちに来てほしい」


「承知いたしました」


「はい」


 不思議そうな顔をしたイアンナが、しかしそれ以上は聞かずに仕事に戻る。

 そして俺についてくるクリスと共に、相変わらず埃っぽい俺の執務室――山積みの書類が置かれたそこに入った。

 この書類たちも、ちゃんと処理しなきゃいけないな、と思いつつ。

 俺はまず、ソファに腰掛けた。


「クリス」


「はい」


「今後、気をつけて欲しいことがある」


「……?」


 明らかに目減りした、クリスの魔力。

 それでも膨大であることには変わりないが、俺にもその上限が分かる。その残っている魔力は、恐らく俺の魔力の百倍といったところだろう。今朝と比べれば、その総量が十分の一以下に落ちている。

 そう、俺の百倍――それだけ聞くと多いと感じるかもしれないが、スケルトンの作成数で換算すれば千体といったところである。

 他の魔術、例えば物質複製魔術だとか時間遡行魔術だとか、そういう魔術を使えば一瞬で吹き飛んでしまうほどの量だ。

 まさか、それを俺が知らない間に何度も何度も行使してしまうなんて。


「魔術は、使わないでくれ」


「……? どうして?」


「クリスの魔力は今、かなり減っている。疲れていないか?」


「はい。クリスすこしおつかれ」


「それは、魔力を使いすぎた結果だ。もう、クリスに残っている魔力は、残り少ないんだ」


「……?」


 クリスは、よく分からないと首を傾げている。

 こうなる前に、俺はクリスに注意喚起をしておくべきだった。ここまで目減りする前に、クリスが魔術を使うことを止めるべきだった。

 だけれど、過ぎたことを悩んでも仕方ない。今後、クリスの魔力がこれ以上減らないように、注意しておくべきだろう。


「クリスは、アンデッドだ」


「はい」


「アンデッドになったときに、クリスの周りにあった魔力を吸収したのかもしれない。その魔力が全部失われたとき、クリスの身に何が起こるか分からない」


「……?」


「くそ……アールヴの魔術書に、そういうのは載ってないのか……?」


 クリスの前で、アールヴの魔術書を開く。

 どこかに、アンデッドの魔力を補充する方法などないものだろうか。そもそもスケルトンだって、どうやって動いているのかまだ解明されていないのだ。

 瞬間移動テレポートの研究をするよりも、魔術書の解読の方を先にしておくべきだったのかもしれない。

 俺が解読できていない後半には、もしかすると魔力の補充を行う方法などが――。


「ごしゅじんさま」


「ああ……」


「これ、よむ?」


「……え」


 はっ、とそこで俺は目を見開く。

 どうして、この考えに今まで気付かなかったのだろう。むしろ、どうして今まで一度も、クリスの前でアールヴの魔術書を開かなかったのだろう。

 そう、クリスはアールヴだ。

 記憶のほとんどを失っているといえ、呼吸をするように途轍もない魔術を使う、アールヴという存在だ。

 ならば。

 アールヴの魔術書も、クリスならば読める――!


「ちょ、ちょ、ちょっと、待って、くれ……!」


「はい。まつ」


「え、ええと……そ、その、クリスは、これが読めるか……?」


「ねくろまんしーのしょ」


「……」


 表題の文字を、あっさりとそう読むクリス。

 俺が今まで、辞書などを引いてどうにか解読し続けてきた魔術書だというのに。

 どうして今まで、二年間も、その考えに気付かなかったのか。決して誰にも見せないようにと、自分だけで解読してきたせいだ。

 せめてクリスがいる前で、こうして研究をしていれば。


「クリス」


「はい」


「この本を、クリスに預ける。内容を全部読んでくれ」


「ぜんぶよむ?」


「ああ。その上で、魔力を補充する方法が載っていたら、教えてくれ」


「まりょくをほじゅうするほうほう……」


 こてん、と首を傾げるクリス。

 そしてアールヴの魔術書と、俺の顔を交互に見て。


「ごしゅじんさま」


「ああ」


「わからない」


「……」


 確かに、魔術については全く知識のないクリスだ。

 魔力の行使や属性などについても、全く知らない。その上で、書に記されている魔力の補充方法など、探してくれと言われても困るだけだろう。

 じゃあ、どうすればいいか。

 答えは、一つだ。


「じゃあ、クリス」


「はい」


「今から、冒頭からその本を読んでくれ。口に出して」


「ぜんぶいう?」


「ああ」


 俺が、クリスの口頭で喋る言葉を、記録していく。

 それで俺が、俺専用のアールヴの魔術書を作成する。

 そうすれば、アールヴの魔術書――その後半に記された内容も、記録できる。

 そこに、どんな神秘が眠っているのか。


 それを想像するだけで、俺の胸は激しく高鳴った。















「まじゅつのこうしにあたってしょくばいをよういする」


「……ちょっと、待ってな。触媒の用意が必要、と」


「しょくばいはつきのひかりになのかかんあてたほねである」


「月の光に七日間あてた骨……? つまり、外に七日間干していたのでいいってことか……? 七日間あてた骨、と」


「ただしこのなのかかんはけっしてひのひかりにあててはいけない」


「日光に当てずに月光にだけ当てる……? ちょ、ちょっと待ってくれ。随分複雑な骨を触媒に用いるんだな。つまり日中は光の当たらない場所に置いて、夜になったら外に出すってことか。これは総合して七日間ってことになるのか……? だったら、夜に出せる時間を考えると、一日の三分の一ってところか。つまり、二十一日間月の光に当てた触媒が必要になるってことか……ちょっとこれは要検証だな」


 クリスが音読してくれる内容を、ひたすら紙に記し続ける。

 最初は、既に俺も確認しているスケルトン作成やゾンビ作成だったため、ほとんどこうして止まることはなかったけれど、中盤に至るにつれて俺の把握していなかった内容が多くなってきた。

 そのたびに考え込んで、筆を走らせる手が止まるせいで、なかなか遅々として進まなくなる。

 おかげでもう、窓の外はとっぷりと日が暮れていた。


「なるほど……それじゃ、クリス。続きは明日にしよう。今日はもう休んでくれ」


「はい。クリスやすむ」


 ぱたん、と本が閉じられる。

 昼から今までずっとクリスが読んでくれて、解読できたのはまだ三分の一にも満たない。そして今後は、もっと難しい内容が増えてくるだろう。

 だけれど、俺の胸は弾んでいる。これから、解読できていない部分をもっと理解することができるのだ。

 部屋から出ていく、クリスの背中を見送って。

 俺は、ランプに火を灯した。


「さて……仕事するか」


 今日は、寝る時間がないな――そう思いながら。

 俺は改めて筆をとり、山積みになった領地の書類と戦うことにした。

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