第23話 現状
俺がフリートベルク伯爵領の領主として仕事をしてきたのは、僅かに二年間だ。しかし、そんな二年という僅かな期間とはいえ、アンドリュー町長とはほとんど関わりがなかったと言っていいだろう。
そもそもフリートベルク領があれだけ困窮していたのは、農村の働き手がいないことが原因だったのだ。農村が収穫する農作物が年々右肩下がりの状態であり、その僅かな量でさえ盗賊が奪う――そんな連鎖により、赤字が繰り返されてきたのだ。その中でも、フルカスの町とラクーンの町の二つは、交通の要となる位置にあるということもあって、ほとんど町の収益が黒字だったのである。このフルカスの町とラクーンの町で得た税収で、他の赤字をどうにか補填している、というのが当初の状況だったのだ。
ゆえに、俺は農村へのスケルトンの提供や視察などは何度となく行ってきたが、フルカスの町とラクーンの町はほとんど町長の自治に任せていたのである。
「はい。おちゃ」
「これはどうも。お付きの者も一緒に連れてきていたのですね」
「ええ、まぁ……」
とはいえ、全く関わりがなかったというわけでもない。領民議会が行われた際には何度も会ったし、月に一度は町の収益を報告に来てくれていた。だが実際のところ、フルカスの町については完全に彼に任せていたため、あまり良い領主ではなかったことだろう。
しかし、何故そんなアンドリューさんが、わざわざ帝都まで俺を訪ねに来たのだろうか。それがさっぱり分からず、困惑しているというのが本音である。
そして、そんな俺の隣では、不機嫌そうにお茶を啜るエレオノーラも同席していたりしている。てっきり、「あたしは寝るからアンタは勝手にやりな」とでも言われると思っていたのに。
「それで、アンドリューさん。何故、ここに……?」
「いや、調べるのは大変でしたよ。何せ私は魔術に関しては専門外ですし、魔術師であるジン様がどこに行かれるのか誰にも教えていないと聞きまして」
「は、はぁ……」
「せめて、どこに行かれるのか一言だけでも仰っておいてくださると、非常に助かりました。ジン様はもう領主をご勇退されたとはいえ、前任の領主しか知らないこともあります。意見を求める際にも居場所が分からないというのは大変困りますので、以後お気を付けください」
「……」
全力で申し訳ない気持ちになってくる。
確かに、兄さんに領主は任せたといえ、俺は二年間フリートベルク伯爵領の領主だったのだ。俺にしか分からないことは当然あるし、前任の俺に相談することもあるだろう。そういった気遣いが足りなかった。
つまり、アンドリューさんはわざわざ俺のことを探したということだ。恐らく、相当な手間と金をかけて。
「どうにか帝都の魔術学院の方に使いをやって、エレオノーラ様の弟子になることが卒業時点で決定していたと聞きまして。魔術に疎い私でも知る『紫の賢者』の直弟子ならば、その誘いを蹴ることもないだろうと当たりをつけてやってきました。当たっていて良かったです」
「申し訳ないです……」
「まぁ、それは過ぎた話です。それよりも、ジン様に色々と報告すべきことがありまして」
「……俺に?」
アンドリューさんの言葉に、眉を寄せる。
わざわざアンドリュー町長自ら出向いて、俺に報告とはどういうことなのだろう。現在の領主は、兄さんであるはずなのに。
嫌な予感しかしない。
しかしアンドリューさんは柔和な笑みを浮かべながら、クリスの用意してくれたお茶を一口啜った。
「我々は、ジン様に感謝をしているのですよ」
「え」
「困窮していたフリートベルク領は、ジン様によって救われたと言っていいでしょう。領内の農村は働き手を得て、それでいて他領よりも少ない税率がゆえに困窮することがなくなりました。それゆえに農村は安定した供給ができ、市場は安定した供給により需要を満足させ、経済は潤っております。その影響は、少なからずフルカスの町にもあるのですよ」
「は、はぁ……」
「それに加えて、ジン様がご自宅で行われていた綿糸の生産は、需要が非常に高まっております。食糧問題が改善し、現在はフルカスの町でも服飾産業が盛んになっておりまして、綿糸がどれほどあっても足りない状態です。その上で、綿糸を安定した価格で卸してくれるところというのは貴重なのですよ」
「い、いえ、それなら良かったんですけど……」
「それだけの偉業を、ジン様はたったの二年で行ってきたのですよ。最初はどうなるものかと思っておりましたが、いい意味で期待を裏切ってくださいました。心より感謝しております」
「……」
どうしたこの町長、俺を褒め殺すつもりか。
いやいや、そうじゃなくて。
俺がフリートベルク領でやってきたのは、あくまで領民のためだ。領民のことを第一に考えて、どうすればいいか頭を抱えてやってきた結果だ。
今までアンドリューさんからそんな話をされたことがないけれど、そう評価してくれていることは素直に嬉しく思う。
だがアンドリューさんはお茶のカップを置いて、大きく溜息を吐いた。
「ですが……ジン様の築いてきた礎が、今まさに崩壊しようとしています」
「……へ?」
「エドワード氏が領主に就任されると共に、全ての農村に触れを出しました。納める税は今までの倍とする、と」
「――っ!?」
あまりの衝撃に、俺は言葉が出なかった。
あまりにも意味が分からない言葉に、脳が理解を拒んでいるとでも言えばいいだろうか。そのくらい、衝撃的な言葉だった。
それが事実であるならば、あまりにも非道――。
「倍、だって……!? 何故、そんな……!?」
「ジン様が最終的に農村に課した税率は、三公七民。収穫の三割を税として納めると制定いたしました。それが純粋に倍となり、現在の税率は六公四民……農村の民の手元には、僅かに四割しか残らない状態になっております」
「何故、そんなひどい税率に……!」
「我々も理由を求めてフリートベルク家の屋敷を訪ねましたが、代理人とやらに追い払われましたよ。エドワード様はお忙しいため、日を改めてください、とね。何度行っても、お会いすることはできませんでした。ウルージが徴税の報告に行っても、その代理人が現れるだけだったそうです」
「……」
あまりにも信じられない言葉の羅列に、体中から力が抜ける。
兄さんに任せて、俺は魔術の道を邁進しようと、そう決意したのに。領主としての正当な教育を父さんから受けているのだから、きっと大丈夫だと、そう信じていたのに。
それに、何より。
フリートベルク領は、問題なく運営できているはずだった。農村の赤字は改善したし、右肩上がりに税収は伸びていた。フルカスの町もラクーンの町も、常に安定した税を納めてくれていた。父さんが領主をしていた頃みたいに、無理に税率を上げなくても問題ない状況にはなってくれていたのだ。
だというのに、何故――。
「領主に就任して二ヶ月が経ちながら、未だに我々がお会いしたのは初日……領主になるということを領民議会で宣言された日だけです。それ以降、屋敷の外に出られた様子はありません。お訪ねしても、追い返される始末です」
「……」
「しかも理由もなく税率を倍に引き上げ、農村の査察も行っていない。領内の景気は一気に悪くなっています。ああ……そういえば唯一、奴隷商だけは景気がいいらしいですよ。領主のお屋敷が、若い女の奴隷を随分と買ってくれたそうです」
「……」
ぶるぶると、拳が震える。
フリートベルク領は、決して豊かな領地ではない。むしろ帝国の領土の中では、生産力の低い部類に入るだろう。ゆえに父さんの代では困窮していたし、俺が継いだ時点ではほぼ詰んでいた状態だった。
それを立て直したのは、俺だ。黒字へと転換させたのは、俺だ。
そんな俺のやってきたことを。
まるで、全否定されたような――。
「ジン様」
「……」
「我々は、あなたに再び領主となってほしい。私は、そのために来ました」
「……」
そんな、引き絞ったように言ったアンドリューさんの言葉に。
俺は、何も答えることができなかった。
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