第5話 出立
三日で屋敷を出て行く準備を整えて、俺は屋敷を出ることになった。
別段兄さんに強制されたわけではなく、俺も早く帝都に向かって魔術を学びたかったからだ。
領民議会とかで挨拶や引き継ぎ関係をやるべきかと思っていたのだが、兄さんに「そういうのは全部俺がやるから」と言われたので特に何もしていない。ただその代わりに、伯爵家の印章を押した書類を数枚、報告にやってきたウルージへと渡していた。
兄さん曰く、その書類だけで大丈夫らしい。
「それじゃ兄さん、壮健で」
「ああ。俺は魔術に詳しくないが、頑張れよ」
俺が荷物を整理する時間なんて、それほど多くはなかった。生活用品なんてほとんど買い足していないから、学院から戻ってきたときとほとんど変わりない荷物である。それを使いやすいように部屋の中に置いていたのを、再び大きめの鞄にしまうだけの作業だった。
糸車や働き手のスケルトンはそのまま屋敷に据え置いて、馬車とスケルトンホースについてもそのまま屋敷のものとして置かれることとなった。スケルトンホースは若干惜しいと思ったものの、フリートベルク領内以外だと気味悪がられる代物だし、帝都に戻る以上は必要ないと考えて置いていくことにしたのだ。
そして、あとは兄さんに全てを任せることになった。
「……領地のこと、よろしく」
「ああ。任せておけ」
フードを被ったクリスを伴って、それほど多くない荷物を背負う。
勿論、クリスの分――予備のメイド服だったり、クリス用の諸々が入っている荷物は、本人が背負っている。こちらは、俺の荷物に比べて半分ほどの小ささだ。
ちなみに最も大きな荷物――アールヴの魔術書は、俺がしっかりと懐に入れてある。これだけは、何があっても守り抜かねばならない。
「少ないが、路銀だ。帝都に行くんだろう? 交通費も入れてある」
「ありがとう、兄さん」
「のんびり行くといい。今まで忙しかっただろうし、休暇だと思えばいいさ」
「そう思わせてもらうよ」
兄さんから、小さな革袋を受け取る。
勿論この金も、執務室の金庫から出してきたものだろう。だから厳密に言えば、俺が稼いだ金ということになる。だが、今後は領地の経営を兄さんに任せるわけだから、細かいことは言うまい。
しかし、問題は。
「それでは、行ってらっしゃいませ」
「……」
「またのお越しを、お待ちしておりますわ」
「……」
「道中は長いですが、ご自愛ください」
「……」
三者三様に、俺に言ってくる女性たち。
それぞれ、身を包んでいるのはメイド服である。俺がクリスに作ったようなオーダーメイドというわけでなく、既製品だろう。だが、それでもそこそこの値段がする逸品だ。
そして三人揃って、整った顔立ちをしている。可愛らしい女性と、気の強そうな女性と、おっとりした綺麗な女性の三人だ。
格好と俺への態度から分かるだろうが、こちら三人、兄さんが雇ったメイドである。
たった三日で、随分と早いことだ。そう思わないでもない。
「それじゃクリス、行こう」
「はい」
「行ってらっしゃいませ!」
メイドさんたちの揃った声を背に、屋敷を後にする。
まぁ、俺がクリスに色々とお願いしていたように、貴族の屋敷ということでメイドも必要なのかもしれない。クリスは料理以外パーフェクトだったもんなぁ。
三人も必要なのかな、とは思うけれど。それは純粋に、俺が贅沢に慣れていないからだろう。
「……」
屋敷から乗合馬車に向かい道を歩きながら、小さく溜息を吐く。
この町は、二年前とほとんど変わりない。元々、俺が何のてこ入れをしなくても税収が黒字だった町なのだ。だから以前も今も、変わらず活気に溢れている。
俺はこの二年間で、領地を大きく変えた。それは分かっている。だけれど、このフルカスの町は今も変わっていないのだ。
そう考えれば、俺が領主になってからやったことなんて、微々たるものばかりなのだろう。全体的に税収を黒字にすることができたのは、俺の功績と言って誇れるものだろうけど。
俺が就任したばかりの頃、アンドリュー町長に言われたことを思い出す。
――現状維持と仰るのでしたら、申し訳ありませんがフルカスの町はフリートベルク伯爵の庇護を要しません。伯爵領へ税を差し出す分で、フルカスの町を議会で運営いたします。
最悪の現状で、最悪の宣言をされたも同じだった。
腹案はあるし、一年で休耕地を半分に減らしてみせる――そう宣言したことでどうにか納得してもらったが、もしもアールヴの魔術書を発見していなかったらと思うと、背筋に寒いものが走る。
俺が何もできなければ今頃、フルカスの町は伯爵領から独立し、残る領地は赤字の農村ばかりになっていたはずだ。
「ごしゅじんさま」
「あ……うん? どうした?」
「これから、どこ、いくの?」
「ああ……」
乗合馬車の停留所に到着する。
ちなみにこの乗合馬車は、スケルトンホースで領内を回っている馬車の停留所だ。屋敷を出た時間が良かったのか、もう間もなく馬車が到着するらしい。
まずは農村を回って、俺がもう領主じゃないことを伝えておかないと。あとは、兄さんも懸念していたスケルトンの状態とかも確認せねばならない。俺が離れても、ちゃんと動き続けてくれるのか分からないし。
結局二年間、研究は続けていたんだけど、スケルトンの動力が何なのか分からなかったんだよな。俺が最初に込めた魔力だけで動いているのか、それ以外に魔力を供給しているのか、これについてはアールヴの魔術書を何度も確認したけれど、分からなかった。
そして、ひとまず村を回った後は帝都へ向かう予定だ。
グランスラム帝国最大の都市にして、皇帝陛下の庇護下にある都である。俺は三年ほど魔術学院に在学していたから住んでいたけれど、あの都会の空気に馴染めた気は全くしない。
だが俺は再び、帝都に戻る。
「農村を回った後、この国で一番大きな町に向かう予定だよ」
「いちばんおおきい?」
「ああ。町の端から端まで、歩いて向かったら丸一日以上かかるぞ」
「ひろい」
「まぁ、それはさすがに言い過ぎか……」
ははっ、と自分で言って自分で笑ってしまった。クリスはそんな俺を見て、不思議そうに首を傾げている。
ひとまず、過去は振り返るまい。俺がやってきた改革は実を結んだのだ。俺が撒いた種を、兄さんが芽吹かせてくれるはずだ。俺はそう信じるだけである。
俺が見据えるのは、未来だ。
魔術学院を卒業したとき、俺のもとにやってきた、あの人に――。
「おおきいまち、なにするの?」
「弟子入りだ」
「でし?」
「ああ。領主に就任してからも、何度か文を貰っていた人だよ。『いつでも来い、全てを教えてやる』って。今までは領主をしていたから断っていたけど、兄さんに任せることができたし、弟子入りをするんだよ。俺もこれで魔術の道を究めることができる」
「……」
ぐっ、と拳を握る。
魔術学院で教わる魔術なんて、初歩の初歩ばかりだ。本当に魔術を極めたいのであれば、先達の魔術師に弟子入りをする以外に方法などない。
俺の場合、アールヴの魔術書という反則のような教師がいたから、そこそこ独学で学ぶことができたけれど。
それでも、先達に弟子入りをすることで、得られるものは多いはずだ。
「それに、あの人ならクリスのことも、知っているかもしれない」
「クリスのこと?」
「ああ。俺が弟子入りをしようと思っている相手なんだが、人間じゃないんだ。いや……半分は人間だ、って言ってたかな」
「はんぶん……?」
「まぁ、会ってみてからのお楽しみ、ってことで」
思い出すのは、誰よりも傲岸不遜に俺のもとにやってきて、「有象無象に弟子入りしたとこで、得られるモンなんかないよ。卒業したらあたしのところに来な。全てを教えてやる」と告げた女傑の姿。
大陸四魔女の一人とされる最強の魔術師の一人であり、人間の寿命など遥かに超越した存在だ。
それが、俺がこれから弟子入りをする相手。
名を、エレオノーラ。
齢三百年を超える、人間とアールヴの混血の魔女である。
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