第2話 兄の提案
「……」
兄さんの口から発せられた言葉に、俺は何も返すことができない。
正直、軽くパニックに陥るくらいに意味の分からない言葉だった。一体、この男は何を言っているのだろう、と。
あとは、俺に、任せて、くれ?
「兄さん……?」
「いや、俺も悪かったとは思っているんだ。領地のことを丸投げするなんて、貴族として最低のことをやったと思う。だけれど……まぁ、若気の至りって奴だ。許してくれ」
「いや、あの……?」
「ハルクが騎士団にいるように、ジンもこれからは魔術師としての道を進んでくれ。領地のことは、あとは俺に任せろ」
「……」
詰んでいる領地を、見捨てたのは誰だ。
どう考えても赤字の領地から、逃げ出したのは誰だ。
どうしようもない領地経営を、投げ出したのは誰だ。
そう、声高に叫びたい気持ちを堪える。
フリートベルク伯爵領は、最悪の経営状態だった。何をどう考えても赤字で、何をどう改善しようとしても赤字で、どうしようもないくらい借金まみれの領地だった。
それを黒字に改善したのは、俺だ。
どうにかして領民たちを守ろうと奔走したのは、俺だ。
アンデッドを領民たちに受け入れさせて、足りない人手をどうにか捻出したのは、俺だ。
アールヴの魔術書があったから、と言われたらそれまでだけど。それでも、必死に領地を、領民を、守ってきたのは。
俺、なんだ――。
「兄さん……」
「さっきも言っていたように、ジンはもっと高位の魔術師に弟子入りをするといい。俺は魔術について詳しくないが、それがジンの本当にやりたいことだったんだろう? だったら、俺はその道を応援するとも」
「……」
完全に大赤字の領地を、俺が頑張って黒字にしたというのに。
借金も、向こう十年かければ完済できる目処が立ったというのに。
これから、どんどん領地を富ませて領民たちを楽にさせてやりたいと、そう考えていたというのに。
経営が黒字になったからといって、そんな簡単に――。
「ああ、そうだ。その前に聞いておかないといけないな」
「は……?」
「農村で作業をさせている骸骨なんだが、あれはどのくらい動くんだ? 魔術で作ったものなら、定期的に魔力の補充とか必要になるのか?」
「いや……そういうのは、ない、けど」
「そうか。なら恒久的に使えるってことだな。まぁ、壊れたりしたときに予備が必要になるかもしれないが……まぁ、ジンも年に一度くらいは帰省するだろ? そのときにでも作ってもらえるか?」
「……」
兄さんの中で、もう自分がフリートベルク伯爵領を継ぐということは、決定事項であるらしい。
確かに、本来は兄さんが継ぐべき爵位だ。長兄が貴族領を継ぐのは当然であるし、そのための教育も受けているはずだ。だけれど現状、フリートベルク伯爵を名乗っているのは俺である。
俺が兄さんに伯爵位を譲ると宣言し、領民議会で認められて、ようやく兄さんが伯爵位を名乗れるはずなのだが――。
「兄さん……あのさ」
「うん?」
「今は俺が、伯爵位を継いでるんだけど……」
「ああ、大丈夫だ。俺が病気で療養していた間の代理、ってことにしておけばいい。領民議会でも、それで通せるはずだ。他の領地でも、似たような前例があるからな。継いだばかりの長兄が病気にかかって、その間の領地経営を次男や三男が行ってきた例もある」
「……そう、なのか」
「今までジンに苦労をかけた分、俺もどうにか運営していくよ。すまなかったな」
二年。
俺は二年、フリートベルク伯爵領を運営してきた。
領民からの信頼も得たし、どこの農村に顔を出しても、歓迎してもらえるようになった。
だが。
確かに俺は、領地経営に関しては素人でしかない。もしも俺じゃなく兄さんがアールヴの魔術書を発見していれば、俺よりももっと上手にアンデッドを使えたのかもしれない。そのあたりの教育は、長兄に施すのが当然のことだからだ。
もしも俺じゃなくて兄さんが最初から継いでいれば、『聖教』なんかと揉めることもなかったのかもしれない。
そうすれば、バースの村の村民たちが皆殺しにされることも、なかったはずだ。
俺だって、何度思ったか知れない。
俺じゃなくて兄さんだったら、もっと上手くやっただろう――と。
「……」
だがここで、兄さんが帰ってきたのだ、
父さんから領地経営について教わった、本来継ぐべき者が、帰ってきたのだ。
ここからのフリートベルク伯爵領を兄さんに任せれば、もっと領民たちの生活が豊かになってくれるかもしれない。もっと領地が黒字になるかもしれない。
俺が関わってきた領地の皆が、もっと幸せになってくれる――。
「……そっ、か」
残念だ、という気持ちは少なからずある。
ようやく俺も、領地経営が楽しくなってきたのに。これから俺がどんな改善をすれば、どんな風に領地が富んでくれるのか――それを考えるのが楽しかったというのに。
だが同時に、本来の俺の役割は違う――そうも考えてしまう。
貴族における次男と三男は、長男に何かあったときの代理でしかないのだ。だから父さんは、爵位をエドワード兄さんが継いでも俺たちが生きていけるように、ハルク兄さんには武を、俺には魔術を学ばせてくれたのだ。
将来的に、ハルク兄さんは武の道で、俺は魔術の道で、それぞれ領地に貢献できるように、と。
だったら。
俺のやるべきことは、違う――。
「兄さん」
「ああ、ジン」
俺は、帝都の魔術学院でも歴代最大の魔力量を持つ天才と言われていた。
卒業後はうちにおいで、と何人からも名刺をもらった。その中でも、最も俺に魔術の深淵を学ばせてくれそうな師にあたりをつけて、卒業後は弟子入りをしようと考えていたのだ。
だから、今。
兄さんにフリートベルク伯爵領を任せれば、俺は魔術に専念することができる――。
「分かった。あとは、兄さんに任せるよ」
ジン・フリートベルク伯爵は、今日までだ。
兄さんなら、俺よりも上手に領地を経営してくれる。そう信じて。
俺は、ただのジン・フリートベルクに戻ろう。
そう、決めた。
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