第64話 必要悪

 テヤンディの強い言葉に対して、ベアトリーチェは何も言えなかった。

 正しさとは金。

 金を持っている者こそが正しい。

 それは真実であり、同時に暴論である。


「テヤンディ、嬢……!」


「ええ」


「それはっ……それは、正しさでは、ない……!」


「さて。勿論、考え方は人それぞれですよ。あたしの意見に、無条件にベアトリーチェさんが従う必要なんてありませんとも。ですが、この国の人間は何で動きますか? 正しさで動きますか? 正義感で動きますか? 誇りで動きますか? そんな、手に入れたところでメシも食えねぇモンで」


「ぐ、っ……」


「人間は、金で動くんですよ。金を持っている者が正しくて、金を持っていない者は正しくない。そんな社会なんですよ、この国はね」


 ぷるぷると、ベアトリーチェの拳が震える。

 暴論であり、決してベアトリーチェはその考えを認めるわけにはいかない。

 強者とは、弱者を守るために存在する。決してそれは、弱者を虐げるために存在してはならない。

 決して、それを認めるわけには――。


「あたしは、言いましたよ。こいつはあたしが、そしてあたしの組にいる家族――みんながみんな、幸せに金を得る方法ですよ、ってね」


「……」


「んじゃ、その金はどこからやってくるんですかい? 天から降ってきてくれたりするんですか? そんなわけがねぇ。金ってのは結局、誰かの手からあたしらに渡ってこなきゃ、手に入りゃしないんですよ」


「……」


「んで……あたしは搾取している、ってぇ言ってましたね。あたしは別に、お天道様に顔向けできねぇような真似はしていませんよ。ただ、あたしは白薔薇のコサージュを貸して、その代わりにお金を貰っているだけです。お互いに納得した上で、取引をしているんですよ」


「……」


「ろくに仕事もせずに、平民から税だけ巻き上げるお貴族さまの方が、あたしは搾取をしていると思いますがね」


 テヤンディの強い語気に、ベアトリーチェは何も言えない。

 彼女に、リリシュやユーミルが毒され、染まってしまったことは事実だ。だが、確かにテヤンディ自身は彼女の言った通り、合法的な取引をしているだけである。

 それを否定することは、ベアトリーチェにはできない――。


「これを搾取と仰るなら、結構。幸い、まだベアトリーチェさんとは盃も交わしていませんし、今後あたしらと関わらないという形にしてもらえればいいですよ。あたしらのことを気にしなけりゃ、ベアトリーチェさんは何の変哲もない学院生活が送れると思いますし」


「……」


「ベアトリーチェさんを失うのはまぁ、痛手ではありますがねぇ……いざってぇとき、あたしが矢面に立たなけりゃいけませんねぇ」


「……テヤンディ嬢」


 ベアトリーチェはまず、膝をついた。

 足腰が力を失ったみたいに、立っていられない。ベアトリーチェが信じていたはずの正しさが、まるで泡のように消え去っていくような感覚だ。

 いや。

 信じていたはずの正しさが、何なのか分からなくなった。

 それが、一本芯の通ったテヤンディとの、大きな違い。


 そうか。

 だから、リリシュもユーミルも、この毒に染まった――。


「先日、リリシュ嬢を、校舎裏で見かけた」


「ええ」


「子爵家の娘四人に対して、伯爵家の娘をいじめるように、と指示をしていた」


「ええ」


「わたしは……リリシュ嬢は、正しくないと、そう思った。いじめは、良くないことだ。リリシュ嬢は、道を踏み外そうとしている」


「なるほど」


 ベアトリーチェにとって、リリシュは友人だ。

 そんな友人が、汚い手段で誰かを陥れようとしている――それを、友人として見過ごすことなどできない。


「ベアトリーチェさん」


「……ああ」


「心配することはありませんよ。あたしがリリシュさんを若頭に選んだのは、別にルームメイトだから、ってわけじゃありません」


「……え」


「リリシュさんは、カタギです。多少あたしに染まっちゃいますが、カタギなんです。極道組織ってぇのは、そういう奴がいなきゃいけねぇ。やくざ者ばかりじゃ、どこまでがセーフか、どこまでがアウトか分かりゃしねぇんですから」


「カタギ……?」


 聞いたこともない言葉に、ベアトリーチェは眉を寄せる。

 だけれど、その意味合いはなんとなく分かる。恐らく、『一般人』という意味だ。

 だが、リリシュは――。


「んで、伯爵家のご令嬢をいじめる件ですが、あたしもリリシュさんから聞いています」


「えっ……!」


「ちゃんと本人から、絵図を聞いているんですよ。ちなみに、食堂での子爵令嬢と伯爵令嬢の諍いも、リリシュさんが絵図を描いたんです。周りの伯爵令嬢に、しっかり言い聞かすため、ってね」


「そ、そうだったのか……!?」


「ええ。リリシュさんは、伯爵家のご令嬢を虐めるつもりなんてないんですよ。ただ、コサージュを持っている者が、今どんな立場か教え込むだけです。コサージュを持っている子爵家の娘さんは、多分罵声を浴びるでしょう。その上で、あたしが出張って教え込むんです」


 リリシュのやっていることは、あくまで『一般人』のそれ。

 いじめるように指示をしていたのは、あくまで今後のシノギを円滑にするため。


「あたしらは、必要悪なんですよ」


「……」


「伯爵家への根回しが終わったら、今度は侯爵家にいきます。そして最終的には、侯爵家のご令嬢も、公爵家のご令嬢も、全員が全員、胸に白薔薇のコサージュをつけます。白薔薇のコサージュが、その立場を守ってくれるんです」


「……」


「さて、あたしは別に好きな言葉じゃありませんが、ベアトリーチェさんは好きなんじゃありませんかね。平等、ってのは」


「……」


 ベアトリーチェには、何も言えなかった。

 子爵家の娘から搾取をしている――そう考えていたベアトリーチェこそが、視野が狭かったのだ。

 元より、子爵家は倉庫で食事を与えられていたくらいに、扱いが悪かった。伯爵家のご令嬢からすれば、差別する対象だった。

 それを改善したのは間違いなくテヤンディ。

 そして――最終的には、白薔薇のコサージュを全員がつける。

 真の平等――。


「テヤンディ嬢」


 正しさを考えるあまりに、ベアトリーチェは考えたこともなかった。

 正しい社会を作るために必要なのは、正しい行動だけではない。

 時には、正しさを作るために、悪を演じる必要もある。

 それこそが、必要悪――。

 それがまるで、曇りきったベアトリーチェの目を覚ましたような、そんな気分だった。


「わたしも――家族の一員に、してほしい」


「いいでしょう。ただし、盃は四分六で交わします。今後は、あたしがベアトリーチェさんの兄貴分になりましょう」


「……」


 ベアトリーチェは奇しくもこのとき、リリシュと同じ事を思った。

 そこは姉じゃないんだ、と。

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