第31話 夕食の終わり
七つの鐘が鳴った。
それと共に、談笑を続けていた他のご令嬢たちが席を立ち、集団になって部屋に戻っていく。
六つの鐘で夕食を摂り、七つの鐘で入浴を行う。それがこの国に生きる全員の共通認識であるのだ。
「合計は、四十六人だったよ」
「銀貨四百六十枚なら、一月のシノギとしちゃ悪くありませんね。あとは、エイミーさんのあくどい方法でさらに稼げそうではありますよ」
「あくどい……まぁ、間違ってはいませんけど」
テヤンディの言っていた、マルチ商法というやつだろう。
私にはとても考えつかない方法だったけれど、確かにあの方法を使えば、どれほどの銀貨が入ってくるか分からない。
子爵家は下級貴族として差別されており、侯爵家と公爵家は上級貴族として偉そうに振る舞っている。その間に存在するのが伯爵家であり、恐らく母体数は最も多いだろう。その伯爵家に白薔薇のコサージュを売りつける――。
私にはもう、その金額の想像すらできない。
「テヤンディ嬢、その……悪く言うつもりはないが、それは嬢の流儀として問題ないのか?」
「どういうことですかい、ベアトリーチェさん」
「テヤンディ嬢は、あくまで合法的な方法で……その、シノギというものを行っているのだと、そう思っていたのだが」
「ええ、そうですね」
ベアトリーチェさんは、どうも困惑している様子だ。
そんなベアトリーチェさんに対して、テヤンディは意味が分からないとばかりに首を傾げている。
「それがどうかしました?」
「その……伯爵家の者に多く金を出させるというのが、正しい行為なのかと思ったの、だが……」
「正しくなんかありませんよ。そんなことは分かってます」
「しかし……」
「あたしは別に、弱者救済を謳ってるわけじゃありませんよ。正義の味方なんて名乗った覚えもありません。そもそも、あたしらだって生きてくのにゼニが必要なんですよ。シノギってのは、あたしらが生きてくための金を稼ぐ手段でしかありません」
「……」
確かに、子爵家が強いられている差別に対して、テヤンディは怒っていない。怒りを覚えているのは私だけだと思う。
むしろテヤンディにしてみれば、白薔薇のコサージュを貸与するのは救済ではない。一つの、金儲けの手段にしか思っていないはずだ。
「ベアトリーチェさん」
「……ああ」
「ベアトリーチェさんが、清い心を持ってるってことは分かりました。弱ぇモンを守りてぇっていう、そういう崇高な精神を持ってるってことも分かりました。ただ、あたしらはシノギで金を得る。その金は、誰かが出さなければ出てこないんですよ」
「それは……まぁ、その通りだと、思うが……」
「この国に、伯爵家の子女として生まれている時点で、そいつは十分恵まれてんですよ。月に銀貨三十枚なんざ、伯爵家からすれば端金に過ぎません。そいつをちょいと頂こうってだけですよ。気に病むこたぁ何もありません」
「いや……そうか。それは確かに、その通りだな」
テヤンディの言葉に、ベアトリーチェさんがそう頷く。
ベアトリーチェさんだって、伯爵家の出自だ。そのあたりで、自分に重ねる部分があったのかもしれない。
ふるふると、ベアトリーチェさんが首を振った。
「すまないな、忘れてくれ。わたしたちも、そろそろ戻ろう」
「そうですね。七つの鐘も鳴ったことですし」
「それじゃ、みんな。また明日だね」
ベアトリーチェさん、エイミーさん、ユーミルさんの三人がそれぞれそう言う。
そういえば私、三人の部屋知らないな。というか、よくよく考えると三人とも今日仲良くなったばかりなんだよね。
なんだか濃い一日だったから、もう何日も一緒にいるような感覚だった。
と、そんな風になんとなく思っていると。
「そちらの皆さん、早く部屋に戻りなさい」
そう、凜とした声が私たちに向けて放たれた。
今まで聞いたことのない声。む、と眉を上げて、私が振り返った先に立っていたのは。
顔に深い皺の刻まれた、壮年の女性だった。
「……え、誰?」
「いや、知りませんがね……誰でしょう」
「あれ。二人とも挨拶してないの?」
全く見たことのない女性の姿に思わず口走ると、ユーミルさんがそう驚きと共に私たちを見た。
挨拶をしなければならない相手っていたのね。知らなかった。
「寮母さんだよ」
「寮母さん?」
「そちらの二人は初めましてですね。この女子寮の寮母をしています、ジャネットです」
「……どうも」
テヤンディと共に、頭を下げる。
寮母ということは、つまり寮の管理人だと考えればいいだろう。何か寮を使用する上で問題が発生した場合、この人に報告をすればいいということだ。
「テヤンディ・ゴクドーと申します」
「あら……では、貴方がゴクドー公国の公女様なのですね」
「ええ。お見知りおきを」
「ええと、私は、リリシュ・メイウェザーです」
「メイウェザー子爵家ですね。公女様のルームメイトの」
寮母さん――ジャネットは私を見て、一瞬だけ目を逸らして倉庫の入り口を見た。
ただの一瞬だけ、視線が外れただけだ。多分、何もなければ気付かなかったくらいの一瞬。
だけど確かに、倉庫の入り口を見た。
どうして子爵家の娘がこの食堂にいるのだろう、と。
「大浴場の使用期限は、八つの鐘が鳴るまでです。早く戻りなさい」
「はい」
「それじゃリリシュ、テディ、また明日ね」
「我々も戻るとしよう」
「私はもう、今日はシャワーで済ませておきますわ」
ユーミルさん、ベアトリーチェさん、エイミーさんの三人が立ち上がり、私とテヤンディも同じく立ち上がった。
大浴場に行くのも面倒だし、今日はシャワーで済ませてもいいかな。そんなに寒くないし。
私がそんな風に思いながら、テヤンディと肩を並べて食堂を後にし、廊下に辿り着いたところで。
テヤンディが、鋭い眼差しで少しだけ振り返った。
「寮母、ねぇ」
「……テディ? どうしたの?」
「いいえ……くくっ。こいつは、思ったよりも早くハイ出しをかけられそうだと思っただけですよ」
「……?」
うん。
とりあえず、テヤンディって美人なのに笑ったら凄く怖いのは何でだろう。
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