第29話 静かな怒り

 暫く周囲を確認して、それから私は席を立った。

 ひとまず、周囲にいる人数は十五名。今もなお、入ってくる人影はない。それが確認できた以上、これ以上ここに用事はないだろう。

 私は頭の中に、ここにいる十五名の顔を記憶した。

 これ以上、ここにいる必要はない。


「あ、あの、リリシュさん? どうしたんですか?」


「出よう、ユーミルさん」


「で、でも、七つの鐘が鳴るまでここにいないと……」


「大丈夫」


 心配そうにそう言ってくるユーミルさんに対して、私は頷く。

 テヤンディからの指示は、確かにここに七つの鐘が鳴るまで滞在することだった。でも、もうこれ以上いられないというのが本音だ。

 劣悪な環境もそうだし、それを甘んじて受け入れている面々にも。

 何より。

 この、奴隷に出すような食事の内容に。


「私に任せて。ここから出て、美味しいものを食べよう」


「そ、それはわたしもそうしたいですけど……」


「テディには、私から言う。ちゃんと、仕事は果たすから」


 立ち上がり、食事に一切手をつけずに返却口へと返す。

 そこには誰もいない。本来、返された食器を洗う人間でさえいない。というか、ここの食事を提供している職員すら見られないのは、完全に異常だと言っていいだろう。

 テヤンディは、エイミーさんにここの食事の件における、責任者を調べるように言っていた。


 あのときはあまり理解ができなかったけれど、今なら分かる。

 恐らく、食堂で出す豪華な食事と、ここで出される最悪の食事――その差額を、誰かが自分の懐に納めているのだということだ。少なくともそれが、十五人分。

 一食あたりの金額はそれほど多くないだろうけれど、それが毎日三食、一年間と考えれば莫大な額になるだろう。


「行こう」


 有無を言わせないように、そう告げて。

 ユーミルさんは不安そうに立ち上がって、トレイを返却口に出してから私の後ろをついてきた。

 私は振り返ることなく、倉庫を出た。














「ひとまず調べを進めていますが……ジェラルド王子の仰っていたように、男子寮の方ではどれほど身分が低くても、同じ食事が提供されているようです。裏を統括している人物は、恐らく女子寮の方に権限を持つ人物なのでしょうね」


「なるほど。ただ、ここ一年二年の話じゃなさそうですね。誰かが始めたところで、それが決まりになるには時間がかかります。慣例になるのはもっと時間がかかります。全員の無意識の中に刻まれるまでってのはね」


「ではやはり、教職員か。特定は難しそうだが」


「ハイ出しをかけるのは、少し難しいかもしれませんね。あくまで私たちは学生で、相手は私たちの成績を簡単に左右できる相手です。場合によっては、謂われのない罪で退校させることも可能でしょう」


「なぁに、相手がでかけりゃ、それだけこっちに入るゼニも多くなりますよ。教職員が相手だからって、イモ引くつもりはありませんね」


 くくくっ、と話しながら笑うテヤンディと、そんな彼女を囲むベアトリーチェさんとエイミーさん。

 私とユーミルさんは倉庫から出て、そのまま彼女たちの囲む五人掛けのテーブルへと向かった。

 私たちがこんなにも早く出てくるというのは、さすがにテヤンディにも予想外だったのだろう。やや驚いた様子で、テヤンディが眉を上げた。


「ただいま、テディ」


「随分早いお帰りですね、リリシュさん」


「うん」


 食堂の五人掛けテーブル――その椅子の一つに、私は座る。

 当然、そこに先に腰掛けていた面々、テヤンディ、ベアトリーチェさん、エイミーさんの三人の前に並べられているのは、豪華な食事だ。夕食に相応しい、柔らかなパンに魚のムニエル、色とりどりのピクルスに生野菜のサラダ、ソーセージの入ったポトフまで添えられたそれは、とても倉庫の食事とは比べものにならない。

 そんな私に、やや気圧された様子でテヤンディは眉を寄せた。


「あたしは、倉庫の方で七つの鐘まで待機してくださるよう要請したはずですが」


「必要がないって判断したの」


「ほう。そいつは何故ですかい?」


「私は中に入って、あの中に十五人いることを確認した。つまり私たちはこれから、倉庫に入る人数を数えていればいい。純粋に、今から倉庫に入る人数プラス十五人が、倉庫の食事を利用している人数ってこと」


「……」


 とても単純な計算だ。

 わざわざ私とユーミルさんが中にいなくても、倉庫に入る人数さえ数えていればそれでいいのだ。

 食堂でのんびりと夕食を摂り、談笑をしている令嬢たちも多い。その中の一人としてここに長居すれば、わざわざ劣悪な倉庫内で待ち続けなくてもいいだろう。

 そんな私の言葉に対して、テヤンディは頷いた。


「確かに、仰る通りで」


「それじゃユーミルさん、食事にしよう。テディ、私とユーミルさんが食事を取りに行ってる間、倉庫を見張ってて欲しい」


「は、はい!」


「ええ。委細承知いたしました」


 私の言葉に、そう頷くテヤンディ。

 純粋にあの環境にいたくなかったというのが本音だけれど、あながち間違ったことでもないのだ。人数さえ数えていれば、わざわざ中で長居しなくてもいい。

 それに、あの環境の中で長居する人間なんて、そういないだろう。だったら、倉庫の中で変に目立つような行為をするよりも、倉庫の外で監視をしている方がいいと思う。

 そう私は判断して、外に出たわけなんだけど。


「……リリシュ嬢、一体何があったんですか?」


「いや、分からん……だが、目が据わっていたぞ……?」


「あたしにゃ分かりませんが、リリシュさんにも譲れねぇ一線があるってことでしょうね……」


 当然。

 美味しい食事は、それだけで幸せになれる。

 美味しくない食事は、それだけで不幸になる。


 まだ誰なのかは分からないけれど、エイミーさん曰く教職員。

 私には、許すことができない。

 こんな風に。

 身分が低いってだけで非道な食事を出し、そのお金を不正に得ているような人間を。

 絶対に、許しはしない。 

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