第17話 自己紹介

「さて、皆さん戻りましたね。それでは、説明の方を開始いたしましょう」


「……」


「はい、全員席について」


 ハワード先生が教壇に立ち、そう全員を見ながら告げる。

 私にとって、それは死刑宣告にも程近かった。何せ私の手元には、さっき配られたばかりの資料――『入学規範』が、どこにもないのだ。

 これから説明を受けるにしても、その資料がどこにもなければ――。


「先生、ちょいとお時間をくだせぇ」


「ん?」


 そう混乱していた私の代わりに、テヤンディがハワード先生へとそう言う。

 ハワード先生は一瞬眉を寄せて、それから腕を組んだ。


「どういうことですか?」


「先程、先生がお配りくださった資料が、見当たらないんですよ」


「今配ったばかりなのに、もう失くしたということですか?」


「まぁ、そうなります」


 ハワード先生の眉が寄る。

 それと共に、大きな溜息を吐いて額に手をやった。

 そんな大袈裟なハワード先生の仕草に、私の周りに座っているご令嬢たちは小さく笑みを浮かべている。私が、そしてテヤンディが晒し者になってしまっていることを楽しんでいるのだろう。


「失くした者は?」


「……はい。私、です」


「リリシュ・メイウェザーさんですね。では新しい資料をお配りします。今度は失くさないように」


 つかつか、と私の元まで来て、新しい資料を置いていくハワード先生。

 至極あっさりとしたそんな態度に、テヤンディも私も何も言えず、ただ受け取るだけだ。改めて、私の元に来た新しい資料に目をやる。

 そしてハワード先生はそれ以上何も言うことなく、教壇に戻っていった。


「以上ならば、そちらの君も席に戻ってください」


「……え、あー……はい」


「毎年、何人かは失くすんですよ。まぁ、決まって休み時間にトイレに行った下級の貴族家の者ばかりですけどね。今年は一人なら、まぁ少ない方です」


「……」


「こういった幼稚な行為は、今後控えてくださいね。皆さんの悪戯のためだけに、部数を多く作らなければならないのは無駄ですから」


 ハワード先生の呆れたような言葉に、一同が静まる。

 どうしようと絶望してしまった私だったけれど、ハワード先生にとっては毎年のことであるらしい。確かに、こんな風に幼稚な悪戯を仕掛けられるのは、私のような下級貴族家の者ばかりだろう。

 私にしてみれば、大事にならなくて良かった。真剣にそう思う。

 テヤンディは、どこか腑に落ちない様子で席に戻っていった。


「それでは、一人ずつ自己紹介でも行ってもらいましょう。その後は、『入学規範』を中心とした学院生活の注意点について教えていきます。それでは窓際のきみから」


「あ、は、はい!」


「出身地と名前、あとは趣味と特技くらいで構いません」


「分かりましたっ!」


 窓際の最前列に座っていた女生徒が立ち上がる。

 そして軽く深呼吸をしてから、背筋を伸ばして大きな声で言った。


「ユーミル・フォリスです。フォリス子爵家の末娘で、イストランド公爵家に仕えています。東方のリアナ市から参りました。趣味は読書で、特技は暗記です。よろしくお願いします」


「はい、よろしく」


 ハワード先生がぞんざいにそう言って、ぱちぱちとおざなりに手を叩く。

 それと共に、全員が拍手をした。先生がやる場合、私たちも従うのが慣例なのだろう。


「はい、次の人」


「うす! 俺はアイザック・マクレガーです。マクレガー伯爵家の長男っす。出身は王都っす。趣味は体を動かすことで、特技は徒手格闘っす! よろしくお願いしまっす!」


「はい、よろしく」


 男子生徒――アイザックの自己紹介に対しても、おざなりに拍手をするハワード先生。

 そんな風に自己紹介が続き、公爵家、伯爵家、侯爵家の出自と、良家の子息、子女ばかりが続いてゆく。最初の女生徒だけは子爵家だったけれど、やはり高位貴族の出自が多いのだろう。

 そんな中で、やってきたのがテヤンディの番。


「はい、次の人」


「へぇ」


 テヤンディが、立ち上がる。

 そして一歩隣に歩むと共に、その右手を掌を向けるように前に、左手を膝にあて、腰を落とす。

 その所作は、見たことがあるもの。

 まさかテヤンディ――あれを、やる気!?


「お控えなすって!」


 だけれど、そんなテヤンディの張り上げた、凜とした声に対して。

 ざっ、と椅子を引く音と共に、立ち上がる姿があった。

 それは――窓際から二列目、一番前の席。

 美しい黒髪を後ろに流した、鋭い眼差しのご令嬢だった。


「……失礼」


 ご令嬢はまるで鏡写しであるかのように、テヤンディと同じく右手の掌を前に、左手を膝にあて、腰を落とした。

 まるで、その所作を知っているかのように。その口上に対する、正解を知っているかのように。


「手前より発します。お控えください」


「いえ、こちらより発します。お控えなすって」


「いいえ、手前は伯爵家の者。先に発します。お控えください」


「いえ、手前は外国出の渡世人。こちらより発します。お控えなすって」


「再三のお言葉に従いまして、控えます。前後を間違いましたら、御免ください」


 すっ、とご令嬢が右手を引く。

 しかし下げた腰はそのままに、まっすぐにテヤンディを見据えながら。

 テヤンディはそのままの姿勢で、凜とした声音で続けた。


「手前、生国はゴクドー公国。稼業縁を持ちまして、此度ネッツロース王立学院に入学することになりました。姓をゴクドー、名をテヤンディ。人呼んで『白薔薇のテディ』と発します。ゴクドー公家の若い者でございます!」


「……」


 全員が、唖然としながらテヤンディを見る。

 その気持ち、めっちゃ分かる。私も昨日の昼間、そんな気持ちだった。

 物凄く流暢に言っているのに、何を言っているのかさっぱり分からない。それがテヤンディの、謎の口上である。


「向かいましたる皆々さんとは今回初めての目通りということで。手前、渡世未だ修行中の未熟者にございます。ご賢察の通り、しがなき者ではございますが、後日にお見知り置かれ行末万端御熟懇に願います」


 そんな、テヤンディの毅然とした口上に対して。

 ご令嬢もまた、流暢に返した。


「御言葉御丁寧にありがとうございます。申し遅れまして高い位置からでございますが、御免を蒙ります。手前、生国をグレイフット王国。オストワルド伯爵家に属します、姓をオストワルド、名をエイミー。人に呼ばれます二つ名などはありませんが、よろしくお頼み申し上げます」


「……」


 多分今、クラス全員の心は一つになっていると思う。

 内容は、「こいつら何言ってんだ?」である。


「お手を上げてください」


「いえ、そちらからお手を上げなすって」


 ご令嬢――エイミーの言葉に対して、首を振るテヤンディ。

 お互いに右手を前に差し出した状態で、動かない。


「いいえ、そちらからお手を上げてください」


「いえ、そちらからお手を上げなすって」


「では同時に」


「ええ」


 すっ、とお互いに手を引いて。

 そして、小さく礼をした。これが作法なのだろうか。私にはさっぱり分からない。


「素晴らしい仁義です、テヤンディ殿」


「そちらこそ。ありがとうございます、エイミー殿」


 そして、何故か分かり合っている二人と、置いてけぼりになっているクラスメイトたち。

 二人は目配せをして、そして再び同時に席へと座った。

 てっきりテヤンディの国――ゴクドー公国でしか通じない挨拶なのだとばかり思っていたが、王国の方でも使う地方があったのだろうか。別に教わろうとは思わないけれど。

 暫し、沈黙が教室全体に走る。


「はい、次」


 ただ、そんな風にクラス全体が混乱している中。

 ハワード先生だけは、特に動揺もなくそう言っていた。

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