第16話 教室
教室に到着してからも、滞りなく説明は続いた。
張り紙に書いてある机と椅子が、それぞれの学生に与えられるものだ。簡素な作りの机は、少しばかり中に入れるスペースこそ存在するものの、筆記用具くらいのものだろう。教科書やノートが入るような空間はなさそうだ。
そして私の席は、教卓を中心として六列並んだ丁度真ん中あたりだ。ちなみにテヤンディは、窓際の一番後ろの席だった。ベアトリーチェさんはどこなのかな、と確認すると、廊下側の一番前の席だった。後ろの人、黒板が超見にくそう。
そして、私の周囲を囲んでいるのは、高位の貴族令嬢らしいお嬢様方だ。
当然ながら、私に向けてくる視線に好意的なものはない。まぁ、それを浴びて何とも思わないあたり、私も図太くなったものだと思う。
うん。
もう私、卒業後はテヤンディに仕える侍女になろう。
「それでは全員、席についたなー! これからの学院生活、よろしく頼むぜ!」
そして教壇に立って全員を睥睨するのは、ジューク先輩だ。
どうやら三年生の役目はこれで終わりのようで、教室の端に立っていた人物にジューク先輩が頭を下げると共に、教室から出て行った。
取り残されるのは新入生と、教室の端に立っていた人物――若い男性だけである。
ざわざわと、周囲のご令嬢たちが喋りだす。最初は小声で。しかし段々と大きくなり。
「こほん」
誰かが、咳払いをした。
男性の声であり、その発生源が唯一立っている人物――先程ジューク先輩が頭を下げた人だと気付いて、話し声が次第に止んでくる。
それでもやはり、マイペースな輩というのは存在するもので、周囲がだんだんと静かになっていくにつれ、ようやく声のトーンを落とし始めた。その声が止まるまで、男性は全く動くことがなかった。
そして、ようやく訪れた静寂。
それと共に、男性がこほん、ともう一度咳払いをした。
「やっと静かになりましたね」
「……」
「改めまして、私はこのクラスの担任を受け持つハワード・フースラーです。担任ではありますが、別に基礎魔術理論、応用魔術理論の授業も受け持ちます。どうか皆、よろしく」
「よろしくお願いします!」
クラスメイトたちが、声を揃えてそう言う。
フースラー家というのは聞いたことがないけれど、魔術理論の授業を受け持つということは、恐らく魔術師なのだろう。どことなく陰気な様子があり、どことなく見下したような目でこちらを見ているような気がするけれど、多分気のせいだと思いたい。
ハワード先生が、私たち全員を睥睨して。
「一応、今後の学院の教育方針について説明していきます」
そして背を向けて、白墨を手に取って黒板へと何かを書き始めた。
カツカツ、と黒板を白墨で叩く音だけが教室の中に響く。
それを暫し続けてから白墨を置いて、ハワード先生は再び私たちを見た。
「こちらに書いてある通りですが、一応説明を。一つ、知識。二つ、礼儀作法。三つ、魔術。四つ、戦闘技能。今後、ネッツロース王立学院が君たちに教えていく授業内容は、大別してこの四つです」
知識。
礼儀作法。
魔術。
戦闘技能。
そう並んで書かれた黒板の文字を、全員が注目する。
「知識とはつまり、先人の遺した知恵です。歴史の授業然り、算術の授業然り、そこには必ず、過去の人物が遺した知識があります。先人に学ぶことによって、より皆さんの知識は磨かれるでしょう」
かつん、と白墨で『知識』に丸が書かれる。
「そして礼儀作法。皆さんは、身分の上下はあるにしても貴族家の子です。今後、社交界に出てゆくためにも、礼儀作法は欠かせないものです。マナーや服装に関してなど、そのあたりを教えていきます。最初は意味が分からないかもしれませんが、実践を合わせてやっていきますのでね」
かつん、と白墨で『礼儀作法』に丸が書かれる。
「次に魔術ですが、ひとまず卒業までに全ての属性の初級魔術、ならびに何か一属性の中級魔術くらいは使いこなせるようになってもらいます。ただ魔力については、生まれついての量がありますからね。そのあたりを考慮して採点していきますので」
かつん、と白墨で『魔術』に丸が書かれる。
「最後に、戦闘技能ですが……貴族家に生まれた以上、その血は高貴なものです。皆さんは自分の家を継ぐか、分家となるか、まぁ道はそれぞれですが、もしかすると暗殺などの憂き目に遭うかもしれません。その際に、せめて戦うことができるように基礎的な戦闘を習得させる項目です。こちらは、それほど多くの単位はありませんので」
かつん、と白墨で『戦闘技能』に丸が書かれる。
以上で、この学院で学ぶこと全てを端的に説明された。端的すぎて、本当にこれでいいのか私には分からない。
ただ、私は。
今まで見たこともなかった、『魔術』の授業を受けられることが、今から凄く楽しみだ。
私の家のような下級の貴族家だと、魔術について教わることもほとんどないのだから。
「さて……おっと、もう三つの鐘ですね。今から全員に資料を配りますので、そちらを使って今後の内容について説明していきます。皆さんも少し疲れたでしょうし、少し休憩としましょう。トイレ以外の者は、教室から出ないように」
「はーい」
ハワード先生の言葉に、私もまた頷いて前から回されてきた資料を手に取った。
入学規範――恐らく、これからの学院生活で気をつけるようなこととか、そういうのが載っているのだろう。
少し見てみようかな、と思ったけれど、やめておく。
ひとまず配られた資料を机の上に置いて、席を立った。
「おや、リリシュさんも花摘みですかい?」
「……花摘み?」
「ああ、王国じゃ言わないんですか。公国では、トイレに行くことを隠語でそう言うんでさ」
「なんでそんな言い方をするの?」
「さてね。トイレに行く、ってぇ言うより粋でしょ」
「……?」
粋、って何なんだろう。
普通にトイレに行く、って言えばいいのに。
「まぁ、目的は一緒ですよ。一緒に行きましょう」
「うん」
そして、私はテヤンディと並んで教室を出て。
用を足して、テヤンディと一緒に教室に戻って。
そこで――。
「えっ……」
私が、間違いなく机の上に置いた、先程配布されたばかりの資料――『入学規範』。
それが、どこにもなかった。
つい先程まで、間違いなく私の机の上に置いていたのに。
「リリシュさん?」
「わ、私の資料……が、ない……」
「……どういうことですかい?」
「教室を出るとき、私、机の上に置いてた、のに……」
どこにもない。
簡素なスペースがある机の中身も見てみたけれど、ない。
床を探してみても、ない。
私に与えられたはずの、資料が――。
「あら、どうしたのかしら?」
そして、そんな私に。
まるで見下すように目を向けてきたのは、隣に座っているご令嬢。
「資料がどこかに行ってしまったんですって」
「あら。先程配られたばかりですのに」
「こんな短い時間で失くすだなんて」
「人としてどうかと思いますわよ」
「これだから下級の血は困りますわ」
まるで、私を取り囲むようにそう言ってくるご令嬢たち。
先程足を引っかけられて、落ちる私をまるで見下していたように笑っていたのと、同じような空気がそこに漂っていた。
そこでようやく私、気付いた。
私、いじめられてる。
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