第32話 カイネ再び

「出かけるのか?」


 部屋を出てきたイリスに丁度外から帰ってきたウィルフが声をかけた。


「少し食べ過ぎたから風に当たろうと思って」

「こんな夜遅くにイリスだけじゃ危ないな、俺も行こう」


 そう言うとウィルフは隣に並び、少し恥ずかしそうに頬を軽くかいた。


「その、復活してからゆっくり話す暇がなかったからな……少し話したい」

「……私もよ」


 宿の裏手には小さな湖があり、そこの畔にウィルフとイリスは座りながら今までの間を埋めるように話し込んだ。


「俺がいなくなっても特に変わった事はないみたいで安心した」

「ええ、ルシアがずっと側にいてくれて、ムメイも気にかけてくれていたから……それよりウィルフに聞きたい事があるの」

「何だ? ムメイに取り込まれている間の事なら悪いが何も話せないぞ。ほとんど意識も何もない状態だったからな」

「そっちじゃなくて……貴方が暴走した原因は何だったのか知りたくて」


 先程までの和やかな空気が一転し、ピリッと緊張した空気が走る。


「ウィルフを暴走させたのはトクメだと周りは言っているけれどムメイは違うと言っていたわ。それにトクメはこちらから何かしない限り自分から動く事はないじゃない。ウィルフだってトクメには近づこうとしなかったのに、何故あの時自らトクメに近づいたの。既に暴走状態だったのなら誰にそうされたの」

「イリス……それは」

「こんな所にいたのね。ようやく見つけたわ」

「っ!!」


 バッと勢いよく声の方へ顔を向けると湖の真ん中にカイネが笑みを浮かべて立っていた。


「カイネ……まだイリスを追いかけていたのか」

「あら、貴方消滅した筈じゃ……ああ、愛の力で復活したのね、素晴らしいわ。それよりイリス、人の姿になって旅だなんて楽しそうな事をしているのね。私も同行させてもらえるかしら」

「残念だけれど私はトクメの旅行に同行させてもらっている身。私の意思で決める事は出来ないし、たとえ出来ても絶対に認めないわ」

「それなら、私と一緒に旅をしましょう。愛と平和が一緒にいる方がずっといいじゃない、今よりもっと素敵で楽しい旅になるわ。さあ、いきましょう」


 ゆっくり近づきイリスに向かって伸ばされた手は、ウィルフによって弾かれた。


「いい加減にしろ、いつまでそうやってイリスに執着する気だ。当時の七大精霊は既に全員消滅している。なら俺達にはもう関係ない事だろう」

「あら、過去の事にして流そうなんてダメよ。七大精霊、特に平和の精霊は罪を償わずに消滅したのだから今の平和の精霊であるイリスがしっかり償わないと。だから私と一つになりましょうイリス、そうすれば過去の罪全て許してあげるわ。だって私は愛を司る者、どんなに罪深い者も受け入れてあげるのだから」


 再びカイネが手を伸ばしたが、何故かイリスに届く前に止まった。


「?」

「これは……壁!? 何故壊れないっ……!」


 イリス達の見ている前で透明だった壁はどんどん色づいていき、真っ黒に染まると同時にカイネは何処かへと消え完全に気配が無くなった。

 イリスもウィルフも、カイネに気づいた時点で武器を構えており戦うつもりではあったがカイネの方が強く、正直相討ち覚悟だった為安堵の息をついた。


「今のは……ムメイか?」

「助けてくれたみたいだけれど……ムメイが危ないわ。急いで宿に戻りましょう、トクメならムメイやカイネが今何処に居るか分かるかもしれない」

「ああ!」


 ******


 イリス達のいた湖から反対側にある少し離れた森の中でカイネは黒い壁から解放された。


「どういうつもりなの? フローラ」

「ざーんねん、その名前は私じゃなくて元になった人間の名前。今の私の名前はムメイ、間違えないで」


 近くから声はするが姿は見えない。

 しかしカイネには場所が分かるのか近くにある一本の木を見上げ睨みつけている。


「それで? 何故イリスを庇うの。貴女も知っているでしょう、イリスがどれ程罪深い存在か」

「罪深い? 確かにそうかもね。愛を司る神が、純粋に愛し合っている者同士の仲を引き裂くなんて。それにないことないこと精霊達に吹き込んでイリスを孤立させたのも大罪よね」

「私ではなくイリスよ!!」


 ムメイの言葉にカイネの顔からはいつもの穏やかな笑みが完全に消え声を荒げた。


「イリスが? 何かしたっけ? 七大精霊の事ならイリスだけじゃなくてウィルフだってそうなのに、イリスだけに執着するのはおかしくない?」

「それはっ」

「ああ、そうか。七大精霊が神族に喧嘩売った精霊戦争で、カイネは平和の精霊に負けたからか。しかも一対一で。それが原因で旦那に見限られた上に神界追放されて、出禁にまでされたら許せないよねえ。それで今からでも『平和の精霊』に勝てば戻れると思っているの? 可愛い考えね。平和の精霊に負ける前から愛想を尽かされていたのに」

「黙りなさいっ!」


 地雷を容赦なく踏み抜き挑発するムメイにカイネは怒りに任せ剣を抜くと、目の前の木を切り倒した。

 ゆっくり、大きな音を立てて倒れる木からムメイが姿を現し危なげなく着地する。


「図星? いつもの作り笑いは何処にやったの」

「黙りなさいと言った筈よ、フローラ。そう言えば貴女にも罪はあったわね、人の身でありながら不老不死になった大罪が。今ここで私に取り込まれればその罪を清算してあげる」


 カイネは瞬時にムメイの前へと移動するとそのまま腹の辺りに手を当て、ズブズブと中へと侵入していった。

 ムメイは抵抗する事なくそれを見ながら楽しそうに笑っている。


「私はフローラじゃないってば。記憶と姿はそのまま引き継いでいるけど、魂は欠片も入っていないって何回言えば分かるの。それに、フローラは自ら望んで不老不死になっていないのだけど。誘拐した男に無理矢理されたのに、それでも罪だと言うの?」

「当然よ、そんなのただの言い訳だもの。大事なのは、人が輪廻の輪を外れて不老不死になったという事実よ」


 ズブズブと腕は沈んでいきカイネの肘まで沈むと、今まで無抵抗だったムメイがカイネの両腕を掴んだ。


「あら、私が本気と分かってようやく焦ったの? でももう遅いわ、このまま私に取り込まれなさい」

「それはこっちのセリフ。ねえ、同化吸収が神族の特権だと勘違いしていない?」


 ズブ、とムメイが腕を引くとカイネの腕が沈んだ。


「!?」


 自らの意思で沈めているのではなく、沈められている。

 カイネは急いで腕を引き抜こうとするも、既に吸収される側になっているのか手首から先の感覚がなくビクともしない。


「やり方さえ知っていれば精霊だって吸収出来るのよ。神と精霊じゃ種族的にそっちが上位だけど、魔力の量だけなら私の方が上。それに今は図星指されて怒って冷静さを失い、特権だと勘違いした同化吸収が違うと知り動揺し、逆に吸収される側だと分かり焦っている。今からでも焦らず落ち着けば取り戻せるかもしれないけど出来る?」

「……このっ! っ!?」


 焦りのまま力づくで離れようとムメイを蹴飛ばすもそのままカイネも引き寄せられ、仰向けに倒れたムメイに被さる形になり肘から肩近くまで沈んだ。

 カイネがどれほど抵抗しても吸収は止まらず更に吸収が進んだ時だった。


「ああっ!?」

「ぐっ……! また……!」


 バチバチッと音がすると同時に勢いよくカイネがムメイから弾き出された。

 いきなり吸収から剥がされたムメイは痛みに腹を押さえ悶えるが、吸収から解放されたカイネを警戒してすぐに顔を上げるもそこには誰もいない。


「逃げた? まさかイリスの所に……?」

「夜間の外出はするなと言っただろう」


 背後からかけられた静かな声にムメイの顔が嫌そうな表情に変わった。

 振り返れば案の定そこにはトクメが立っており、ムメイを責めているのかその瞳は冷たい。

 その冷たさに少し怯みかけたが、ムメイも負けじと睨み返した。


「何で邪魔したの、あのまま吸収すれば終わったのに。しかもわざわざカイネを引き抜いて。おかげで余計な痛みが増えたじゃん」

「あのまま腕を切り落としてはお前の中にあの残骸が残るからだ。そんなのを取り込んでも得られるものは何もないだろう、むしろ損しかない」

「……少なくとも、二度とカイネに会わずに済むし……その、旅行、邪魔されないじゃない」

「アレを取り込んでまで続ける価値はない。それに会いたくないのならば遠くに飛ばして繋いでおけばいい、とりあえず今回は月に繋いでおいた。私が解除しない限り戻って来る事はない」

「〜〜っああそう! なら私は宿に戻るわ、夜の外出はダメだしね!」


 ハッキリと言い切ったトクメにムメイは声を荒げるとそのまま姿を消した。

 その場に残されたトクメは急に怒りだしたムメイにポカンとしている。


「……風邪を引きたかったのか? これも反抗期、いや思春期というものか……中々難しいな」


 見当違いな考えを出しているが、ムメイなりに旅行を楽しめるようにと頑張ったのを「価値がない」とバッサリ言い切ったのが原因だとは欠片も気づかないトクメだった。

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