第一章7  『運命の歯車』



「ただいまー」


「おかえりー」


 変哲もない一般的な家の戸を開け、コウは家の中に入る。《時の狭間》のような立派な家ではないけれど、これはこれで思い入れがあって、コウは好きだ。


 コウがリビングに入ると、少し明るめの茶色の髪を揺らしながら、母が料理をする姿が目に映った。

 父は食卓に並びながら、書類に目を通している。


 しかし、コウの帰宅に気付いた父は、その黒い瞳でコウを見据えながら、あることを告げた。


「コウ。今日の夜、お前に話したいことがあるから宜しくな」


 その双眸そうぼうはコウを真正面から覗いていて、コウは思わず息を飲み込んでしまう。


「――。うん、分かった。何の話かは知らないけど、心構えはしておくよ」


「ああ、よろしく頼む。……心構え、な」


 父の話から何かを感じたコウは、それなりの覚悟を決めて返事をする。

 すると、父があんまりにも感慨深そうに呟くものだから、その話が何なのかとても気になった。


「な、なんか気になる言い方だね……」


 だが――、


「ご飯出来たわよー!」


 タイミングを合わせたのか、偶然なのかというタイミングで、母がコウたちに告げる。


「お、よく見ろコウ。今日の昼ご飯は豪華だぞ‼︎」


 ……なんか、やましい事でもあるような雰囲気出してるな。


 まさかそんなことは無いとコウも思うが、万が一のことがある。

 しかし、今はそれより――、


「凄い美味しそうだな……」


 ぐうの音もでないくらいに、今日の昼ご飯は本当に豪華だった。正直、この昼ご飯ならご機嫌とりをされてしまう自信がある。

 白米、ハンバーグ、コーンスープ。少なくともコウにとって、この冬の季節に是非とも食べたいご飯だった。


「いただきます!」


「召し上がれ〜」


 箸を右手で持ち、ハンバーグに手をつける。

 ハンバーグを箸で切るときに溢れる肉汁を目に焼き付けながら、コウはハンバーグを口に運ぶ。

 そして、口の中に入場してきたハンバーグをよく噛み締めてとくと味わう。


「うん、美味しい!!」


「でしょ!母さん頑張ったからねー、良かったよ〜。 ……あっ、そういえば、食べ終わったら何するの?」


 コウが昼ご飯を頬張っていると、母はコウを覗き込みながら質問してきた。母の茶色の髪が、微かに乱れる。

 この言葉をさり気なく出す事も、昼ご飯を豪華にした理由の一つなのかもしれない。


「いや、特に決まってないから、剣の修練でもやろうと思ってるんだけど……」


「……そう。なら良いわ。風邪引かないように気をつけてね」


「うん、分かってる」


 母は何やら納得したようで、キッチンに戻っていき、父も、また書類に目を通し始めていた。


 なんだかそわそわしていて、とても過ごしにくい。

 だけど、


「うん!やっぱり美味しい‼︎」


『腹が減っては修練も出来ず』だ。

 ご飯を頬張る手を止めずに、夢中になって食べる。

 そんなコウを見て、母がクスッと微笑んでいたような気もしたが、おそらく気のせいなのだろう。少なくともコウは、そう思いたいと願っていた。



「――ご馳走様でした」


 食べ終わった食器を水で洗い流した俺は、自分の部屋から剣を取り出してきて、剣の修練をするために家を出る。


「いってきます!」


 ……久しぶりの休暇日は、そこまで悪いものじゃなさそうだ。寧ろ、結構楽しい。


 コウは期待を胸に抱きながら、いつもの修行場所へと向かうのだった。



 *



 ビュン、ビュンと、野原に風を切る音が鳴り響く。


 それはコウが素振りをするときの音であり、それは今も昔も変わらず行われ続けている。

 どんなことにおいても、反復練習は大事なのだ。


 ――ただ、ずっと素振りしているだけでは、今のコウにとっては刺激が足りない。


「――ざん


 なんとなく「斬」と口にしたコウは、素振りをするときの、剣を振り下ろすタイミングで、鋭い斬撃を生み出す。


 ヒュンッ!

 今度は少し甲高い音を響かせながら、コウの剣によって鋭い斬撃が生み出される。

 その斬撃は、滑らかな軌跡を描きながら、数センチ先の空間をも斬り裂く。しかし、そこには斬りたいものなどなく、ただ虚空を斬るだけだ。


 それでも、ただ剣を振っただけで風は吹き乱れ、空気は震え、自然が共鳴する。

 剣気の恩恵を受けずとも、剣を幾億と振り続けた先には、至高の剣戟が生まれていた。


「ふぅ……」


 コウは汗をタオルで拭いながら、空の様子を見つめる。空は赤色に染まっていて、コウや周りの自然のことも、赤色の日差しで照らしていた。


「――――」


 その赤い日差しは、どこまでもコウを引き剥がしてくれない――三ヶ月前のあの出来事から。


 ヒューと風が吹き、草原の赤く染められた草たちが揺らめく。コウはそっと視線を動かし、風に揺らめく草たちを、どこか遠くから見つめる。


 ――結果的に、守ることは出来たのだ。コウは災厄を打ち払い、この村を絶望の運命から救い出した。


 だけど――、


「――守れなかったものが、確かにあった」


 ユウキ、ハルト、村の建物、先に襲われた人たち。

 全て数えようとすれば、まるでキリがない。


 ……それが、仕方がないということは分かってる。


 残念なことに、コウが《時の狭間》へと導かれたのはあの瞬間で、既にユウキもハルトも死んでいた。

 それも、コウが見ている先で……。


 ……仕方がないということは分かってる。分かっているからこそ、考えずにはいられない。


 もしも、何かの運命の歯車が違っていて、もう少し早く《時の狭間》にいたら、二人は助けられたかもしれない。


 ……俺に、守る力があったら――救えていた筈だ。

 ……どれもこれも、俺が弱いから、強くないから作り出した出来事。


 そう考えずにはいられなかった。

 ――やっぱりこの世界は残酷で、無残で、不平等だ。


「だけど、だからこそ、俺は俺の『道』を――」


 夕日がコウを照らすばかりで、コウの口から続きの言葉が出ることは無かった。

 コウは夕日を背に映しながら草原を歩き、家に帰り始める。


 コウの背中を照らす日差しは、どこか悲しげに、赤く揺らめいていた――。

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