エピローグ:軍師ジェシカの秘密

 恐ろしい。

 ごくりと唾を飲み込んで、ジェシカ・ノースレア・オルヴァンスは素直にそう思う。

 母であるフェリアナよりグランディザイアの大使として送り込まれたジェシカの役割は、オルヴァンス王国とグランディザイアの同盟を確固たるものにすることである。現在は唯一の同盟国として、そして将来的には婚姻による吸収合併という形で。

 女王として君臨するフェリアナの思惑を、誰よりも知っているのがジェシカである。それゆえに、八歳の娘が大使という限りなく失礼な真似をしながら、ジェシカは送り込まれたのだ。

 表向きは、人質として。


「しかし、これが魔王の力……」


 ドラゴンを筆頭として、ミノタウロス、オーガ、ゴブリン、ワイルドドッグ等の魔物たちに囲まれるノアを見ながら、小さく呟く。

 魔物の一体一体は、ドラゴンやミノタウロスなどの例外を除けば、それほど強い個体というわけではない。冒険者が討伐したという話も何度か聞いたことのある、弱い魔物だって多い。

 だけれど、それが軍になると、これほど脅威となるものか。

 ワイルドドッグの群れでさえ、一つの村を破壊することがある。オーガの群れが現れれば、国の軍隊が出撃する事案となるだろう。その数が百でさえ、数多の戦死者が出る案件になりかねない。

 それが、ノアの下には一万五千。

 帝国の全兵力を集めたとしても、対抗できるか微妙なところだ。オルヴァンス王国に至っては、全軍を投入しても負ける未来しか思い浮かばない。


「ですが……」


 ジェシカは、大きく溜息を吐いて目を閉じる。

 フェリアナはグランディザイアと結び、将来的には平和的な合併を行うことが最善だと考えている。そして、それはジェシカも同意見だ。

 だが、付け入る隙があればグランディザイアを利用し、オルヴァンスの版図を広げることもできるのではないか――そうも考えていた。トップに君臨するノアは与し易いし、魔物はそれほど考えて行動しない。一緒にいるアリサも、世間知らずと言って問題ないレベルだ。


「……あまりにも、計り知れない」


 だが、この陣営には圧倒的な力がある。

 それは、ノアの力。先程、Sランク冒険者であるアンガス・フールガーを一瞬で己の配下にしてみせた、その能力だ。

 つい先程まで、アンガスは人語を喋っていた。意思の疎通を図ることのできる相手だった。だというのに、ノアが指で弾いただけで彼は倒れ、謎の首輪が現れると共に、何故か「グォォォ」という言葉しか出せなくなっていた。

 恐らく、それはノアの持つ力――人間を、強制的に魔物にする能力。

 死んだと報告されていたドレイクが生きており、かつ「コォォ」としか喋られなくなっていたのも、ノアの力によって魔物にされたのだと思えば納得だ。


「強すぎる……」


 つまり、ノアは。

 この世にいる人間全てを、魔物にすることができる能力を持っている。それは、あまりにも規格外の能力だと言っていいだろう。

 フェリアナが、当初考えていたプランを白紙に戻したことも、納得のできる暴力。

 最強の鉾がこちらに向いたら、あなたどうにかしてくれるわけ? そう母に言われたことを思い出す。確かにノアは、そしてグランディザイアという国は、脅威でしかない。


「……」


 さらに、こっそりと聞いてしまったことを思い出す。

 恐らくジェシカが意識を失っているものと思って、口が滑ったノアの言葉。

 ジェシカも朦朧とした頭で聞いていたけれど、その内容は衝撃的なものだった。


『グルルゥ』


『あー……確かに、生き返るけどさ……』


『グルルゥ』


『まぁ、ね。食事が必要ないっていうのも、利点の一つなのかな』


 ジェシカには分からない、ミノタウロスの言葉に対して返答していたノア。

 ドラゴンの言葉も、ミノタウロスの言葉も、ゴブリンの言葉も、何故かドレイクの言葉も、ジェシカには分からない。ジェシカに分かるのは、ノアとアリサの言葉だけだ。

 恐らくノアのことだから、ジェシカが起きていると分かった上で虚言を用いたということはないだろう。

 それでも、素直に受け取るには信じられない言葉だ。


「魔物は、食料がいらない。戦死しても、生き返る。ノア様が殺した人間は、魔物となって新たな部下となる」


 この世界のどこを探せば、それほど脅威的な軍隊が存在するのか。

 糧食が必要ないのならば、補給線が必要ない。補給線が必要ないのならば、その軍はどこからでも進軍することができる。あらゆる砦や城を迂回して、全軍で帝都へ向かっても問題ない軍隊ということだ。

 更に無条件というわけではなさそうだが、戦死しても生き返る。それは、補充兵すら必要ないということである。しかも、敵兵を倒せば倒すほど、己の配下が増えていくということ。これを脅威と呼ばずして何と呼ぼう。


「ふぅ……」


 小さく、ジェシカは溜息を吐く。

 この国と友好的な関係を築けていることを喜ぶべきであるのか。それとも、隣国にとんでもない国が現れたと嘆くべきなのか。

 どちらにせよ、ジェシカのやるべきことは変わらない。

 かぶりを振って、とととっ、とノアへ駆け寄る。


「ノア様!」


「あ、うん。ジェシカ、問題なく街は落とせたよ」


「はい。戦勝、まずはお喜び申し上げます!」


 はははっ、と笑うノア。

 ジェシカが演じるのは、無垢な少女だ。

 天職に『軍師』を授かった隣国のお姫様。それが役立つ献策をしてくれて、自分に尽くしてくれる――そう思われることが、最善。

 そのためにも、絶対に看破されてはならない。


「これから、帝国とは本腰を入れて戦争してゆくことになるだろうね」


「はい、ノア様! ノア様の覇道の一助となるため、わたしは今後も献策をさせていただきます!」


「うん。期待してるよ、ジェシカ」


「はい!」


 頭を下げて、小さく舌を出す。

 母にも伝えていない、ジェシカだけの秘密。

 それは彼女の授かった天職が、決して『軍師』などではないということ。

 なぜなら。

 ジェシカのスキル『演者』を使えば、彼女は何者にでもなることができるのだ――。


 名前:ジェシカ・ノースレア・オルヴァンス

 職業:詐欺師レベル8

 スキル

 舌鋒レベル8

 真実秘匿レベル8

 演者レベル5

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