第44話 灰王は細僅を顧みず

 ザラの顔で、声で、有り得ない名前を言う。

 その歪さは吐き気を催すもので、エメインは眩暈さえ覚えながら問い返した。


「何で……どういうことだ?」

「話は簡単だ」


 傷だらけのザラの体を当たり前のように操って、サイルが答える。


「角を完全に制御できない内は、角にばかり意識が向き、他のことは無防備になる。加えて肉体の損傷も激しいとなれば、益々意識を維持することは困難だ。そんな肉体の主導権を奪うなど、私には造作もない」


 裂傷と痣だらけのザラの腕を広げるサイルは、まるで舞台役者のようだった。

 エメインたちが封鎌ズレパニを戻した時のような激昂も、ハイラムに矢で胸を抉られていた時の絶望もない。

 そう考えて、気付いた。


「……まさか、これを待ってたのか?」


 ザラの肉体を欲すると言いながら、ザラの角の回復を止めず、その力が増すのを敢えて助けたのは。


『慣れないうちは、角の力に負け、思考は回らず、生命力を根こそぎ奪われる』


 角の力に苦しんでいたザラに向けて、サイルが諭すように言った言葉が蘇る。

 あれは単純に一時的に弱体化するという意味ではなく、角に操られるように振り回される――まつり、先程のザラのように敵味方の区別なく暴れるということなのか。


「ザラが暴れて、ハイラムたちに殺されそうになったところを……」


 言いながら、それは事実が前後していると気付く。そして、そもそもの前提が間違っていると思い至った。


「まさか、ハイラムが隠れていたことにも、気付いて……?」

「私は瘴気そのものだ。瘴気の満ちた場所のことは、おおよそ分かる」

「そんな……」


 瘴気自体に個の区別はないとは、サイルが最初に言っていた。区別がないということは、瘴気の一つひとつにサイルの意志があり、それもまた自由に操れるということ。


「だから」


 と、サイルがザラの悪人相を恍惚に歪めて、続ける。


「この島で戦える強き者があと何人いて、私の声が届きそうな弱き者があと何人いるかも、手に取るように分かるぞ」

「それって……」

「例えば、白銀の髪に青い目の少女とか――」


 もしかせずとも残る善性種エピオテスのことかと考えたエメインの目の前で、ハイラムが目を血走らせてサイルを殴り飛ばした。


「ザ、ザラッ」

「アデルフィに手を出したら、殺すぞ……!」


 フーッフーッと、ハイラムが耳と尻尾の毛を逆立て、犬歯を剥きだしにする。その急激な変貌に、エメインは第三者なのにぎょっと目を剥いた。

 下種な発言をしたサイルを殴るのに異論はないが、その体はザラのものだと思うと、頭が混乱する。

 だがハイラムはアハトだ。ある意味仲間が人質になっていると匂わされれば、平常心ではいられまい。

 マァラトにいて限られた善性種としか接触のなかったエメインは知らない名前だが、もしかしたらそのアデルフィというのは、ハイラムの特に大事な人――逆鱗なのかもしれない。

 それを承知で仄めかしたのなら、ザラを殴らないでとは、とても言えない。


哈哈ははッ……クハハハハハッ!」


 地面に仰向けに倒れたまま、サイルが壊れたような哄笑を上げた。何が面白いのか、傷だらけの右手を黒い雨雲に伸ばし、握ったり開いたりを繰り返す。


「やはりいいな、生きている体は。脆くない。それに……」


 そう独り言のように呟きながら、今度は懐かしむように右額の角に触れる。

 そして、おもむろにその手をハイラムに向けた。


「ッ!」


 瞬間、峰が白く見える程鋭い風が、ゴウッとハイラムを数メートルも吹き飛ばした。


「ハイラム!」


 イーシュが隣で甲高い悲鳴を上げる。

 それと同じに、吹き飛ばされていた他の善性種もまた、起き上がりかけているサイルにそれぞれ飛びかかった。

 七本の投げ矢が時間差でサイルを襲う。それをやはり風の刃で振り払うサイルの姿を見て、エメインは嫌でも確信した。


「まさか、魔法……?」

強人種スクリロスの肉体だけあって、魔法の馴染みもいい」


 バキバキッと折られた矢の陰から多角的に襲いかかる善性種を風や火で返り討ちにしながら、サイルは酷く満足そうだった。

 やはり、今のは魔法だ。

 だが、疑問がある。


「でも、ザラは魔法なんて……」


 神法士や魔法使いは、力を使わなければその素質には気付けない。だが危機に陥れば、無意識のうちに似たような力を発動することはままある。

 だがザラからは、今まで一度もそんな気配は感じなかった。ザラにとっては、大した危機は一度もなかったというだけのことかもしれないが。


「角のある強人種なら、大抵は魔法を使える。使えないのは、魔気ゼーンへの変換の仕方を知らないだけだ」


 どんなに血を流しても攻撃を続ける善性種たちを笑顔で傷付けながら、サイルが何故か答えを与える。

 それは本当かもしれないし、嘘かもしれなかった。

 魔法の元となった邪法は神の御業を真似ていることから、基本的な考え方や系統は神法と似ている部分も多い。

 神法に法具や法術符などがあるように、賢才種ソフォスは幾つもの術や道具を編み出して、邪法を極めていった。

 魔法もその点は同様だ。身の内に流れる血力エマを魔化し、魔法を意思だけで扱えるように自らを変質させていったが、複雑なものや強力なものにはやはり陣や術が必要なはずだ。

 だから今のサイルが使えるのも、先程の酉鬼亥アグリオスの体で使った程度、と予想できるのだが。


「ハハハッ! これは良い体だ! やはり王にはきちんとした体がなくては!」


 風の加護には風をぶつけ、水の加護には水をぶつけ、サイルが舞うように善性種を一人ずつ殺していく。

 ハイラムもまた鬼の形相でサイルに立ち向かうが、既に立っているのもやっとという様子だった。

 瘴気が、サイルを祝福するようにその身を包み込む。額に屹立する角が、黒紫色の光を放つ。

 血だらけで片足を引きずってなお突撃しようとするハイラムに、サイルの指が向かう。


「――やめてッ!」


 イーシュの絶叫が、その先の行動を一時、引き留めた。


「お願い、もうやめて……みんなを、殺さないで」


 立っていられずに膝をついたイーシュが、エメインのズボンに縋りながら泣いていた。

 ハイラムと決裂した時も、結界に焼かれた時も、封鎌ズレパニに意識を奪われた時でさえ我慢していた涙を、ボロボロと止めどなく溢しながら。


「ぼくが悪いんだ……だから、お願いだから、みんなを傷付けないで……ッ」


 ぎゅぅぅと震える手を握り締め、痙攣のように体を震わせ、蒼褪めきった顔で結界の向こうのサイルを凝視する。

 その赤い瞳には、今初めて自分の行いの意味を理解したと、まざまざと現れていた。

 どんなに自分の過ちを知り、悔い改めても、犯した罪が消えるわけではないという現実への、絶望的な後悔。


「お願いだから……ッ」

「イーシュ……」


 震えるイーシュに、かけるべき言葉が見付からない。

 そんなイーシュを、サイルは悠然と振り返った。亀の歩みでもサイルに迫ろうとするハイラムを置き去りに、どこか懐かしむように目を細める。


「何故だ?」

「え……?」


 脈絡のない問いに、イーシュが疑問符を浮かべて瞠目する。

 それをわざとらしく悲しそうに見返して、サイルは続けた。


「何故お前の願いを、私が聞くのだ? お前は、私の願いを聞かなかったくせに」

「願い、って……」


 涙で掠れた声で、イーシュが想起する。エメインもまた、同じことを考えた。だからこそ、腹が立った。


「願いって、イーシュを唆して封印を緩めようとしたのは――!」

「あまつさえ」


 だがサイルは、エメインなど眼中にないように言葉を被せる。


「お前は、私の願いの逆の行いをしたではないか」

「!」

「だから私も、お前の願いの逆を行おう」


 にぃやりと、ザラが嗤う。まるで、愉しくて仕方がないというように。


「ま、待っ……」


 イーシュが、いやいやをするように首を横に振る。

 けれどサイルは、それさえもまた甘美とでもいうように笑みを深め。


「皆殺しだ」


 愛を囁くようにそう言うと、舞台役者のように両手を持ち上げた。


「やだ……ッ」


 そして満身創痍のハイラムたちに向けて、無数の炎の矢を撃ち出した。


「やめてぇぇぇぇええッ!」


 イーシュのひび割れた絶叫が響く中、善性種たちの体を鋭く凝縮された炎が襲い、果ては周囲の森にまで火の矢は放たれた。

 辺りは、一瞬にして炎の赤に明るく照らし出された。

 夜明けは、まだ遠いのに。



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