第36話 攻防

 精霊神殿に押し掛けた王国軍だったが、ラルダスの予測通り、国王の命を受けての正式な出動ではなかった。

 ザイスー家の身柄を神殿から取り返すべく画策した貴族の一派が、ザイス邸のありさまを知って、自分達の顔が潰されたと大騒ぎをした結果の出動であったのだ。

 つまり事後承諾とするつもりで国軍の一部を動かしたのである。


「うるさい、王命に逆らうつもりかっ!」


 しかし、だからこそ、彼等は引けない。

 軍を動かしたからには、成果を挙げなければ、処罰されるのは自分達になるかもしれないのだ。

 互いに引けない二つの陣営は、精霊神殿の正門を挟んでにらみ合う。

 一触即発の状況となった。

 事態が動いたのは、その直後だ。

 その場にいた者達にとっては長い時間と思えていたが、実際には最初の対峙からそう時間は経っていない。

 そして、焦れた王国軍側が、なんらかの動きを開始しようとしたタイミングでもあった。

 命令を口にしようとした王国軍指揮官に、後方から走り込んで来た一人の兵士が駆け寄ったのだ。


「た、大変です! 我が軍の後方が、新たな神殿騎士の一軍に封じられました!」

「なんだと!」


 相手のホームグラウンドに乗り込んでおきながら即行動することなく時間を無駄にしたのである。

 当然の結果と言えるだろう。


 精霊神殿に至る参道は、人が三人も並んで歩ければいいという程度の細い坂道で、山を回り込むように続いている。

 そのせいで、神殿騎士団の増援の到着に、王国軍は直前まで気づけなかったのだ。

 自軍の有利を信じて疑わなかった王国軍の油断である。

 結果として、王国軍は狭い山道で前後を完全に挟まれた形となってしまった。

 王国軍の指揮官は慌てたが、今さらだ。


「き、貴様ら! 王命に逆らうというのか? こ、これは明確な反逆であるぞ!」

「それは聞き捨てならないな。そちらこそ、王命をかたっているのだとしたら、大逆罪だが?」


 王国軍の後方から、精霊神殿正門まで響くほどの割れ鐘のような声が響いた。

 神殿騎士団長である。

 神殿騎士団長は、増援の騎士隊の先頭で愛馬の上に剛剣を肩に担いで立っていた。

 遠目にも見えるように、というパフォーマンスであろう。


「だがまぁ、誰しも勘違いというものはあるもんだ。もしかすると、大きな災害に慌てたお偉いさんが待機命令と出動命令を間違えたかもしれねえよな」

「うぬっ!」


 神殿騎士団長の言葉に含まれている意味合いに、王国軍の指揮官はさすがにすぐ気づいた。

 神殿騎士団長は、お互いに引けない状況に陥ってしまったこの場に、逃げ道を用意したのである。


「どうだい? 神殿騎士の長である俺が同道するからよ、一度城に戻って命令の真意を確かめるってのは?」


 神殿騎士団長が、出動した王国軍に同道する意味は二通りあった。

 一つは、王国軍に命令を下した相手に対して、王国軍は命令に従い、神殿の責任者を連行した、という言い訳が出来ること。

 そしてもう一つ、神殿騎士団長が登城することで、今回の事件についての情報の確認を行う、という目的のためだ。

 そもそも、精霊神殿側の認識では、ザイス一家は管理が国に移っただけであり、本来裁かれるべき罪人として囚われているはずだった。

 しかし、どうも今回の騒ぎによると、何の咎めもなく自分の屋敷に戻っていたらしい。

 神殿騎士団長としては、その辺りを問いただす必要があるのだ。


 王国軍の指揮官も、これ以上この場で無理を通そうとしても仕方がないと思ったのだろう。

 騎士団長の示してみせた逃げ道は、魅力的でもあった。


「う、うむ。そなたらが殊勝に連行されると申し出るのであれば、我らとてむやみに武力を振るう必要もない」


 王国軍の指揮官はそう答える。

 お互いの言葉が噛み合っていないのは明らかであったが、誰もそのことを指摘したりはしない。

 王国軍の将兵は、自分達の立場をよく理解していた。

 相手が譲ってくれたからこそ、自分達が不名誉な戦死をせずに済んだということを。

 だからこそ、名誉が命よりも重い貴族である指揮官の言葉は、最低限の見栄なのだ。

 突っ込んでしまっては、死者に鞭を打つような行為となる。


「どうやら、こっちは片がついたようだな」


 ラルダスは、目前で繰り広げられた喜劇のような成り行きに小さく息を吐き出すと、精霊神殿の本殿を振り返った。

 神殿の奥にいるはずの、自分が保護すべき少女、アイメリアを救わなければならない。

 僅かな日々で、ラルダスにとって帰るべき場所の象徴となった少女であるアイメリア。

 彼女を救うのは、自分の義務であり権利である、とラルダスは考えていたのだ。



 ラルダスの心が向けられた神殿の奥では、アイメリアと祭司長とが出会っていた。

 もし全てを見通す目を持つ者がいれば、感動的な再会が叶った、と言ったかもしれない。

 しかし、アイメリアは未だ何も知らないままだ。

 祭司堂と神殿を隔てる扉から姿を現した祭司長は、青いローブの者達や白いローブの者達に対してため息を吐いた後、その視線を、縛られ、かろうじて立っている状態のアイメリアに向けた。


「もし、その者が何者でもないとしても、人をそのようにむごく扱うのが精霊を奉じる者の行いか? いつからこの神殿の者達は、そんな恥知らずに成り果てたのだ?」


 祭司長の言葉を受けて、青いローブを纏った者の一人、少し年配の女性が素早く立ち上がると、アイメリアの体を支え、その身を縛る縄を解く。


「ごめんなさいね。こんな小さな女の子に惨いことをして」

「い、いえ、私もう十五なので、小さくないです!」

「あら、まぁ。確かに十五なら立派な大人ね。でも、大人だからって理不尽な目にっていいってことはないわ。本当に、ごめんなさい」

「え? その、それは私の家族だった人が、こちらで失礼を働いたということだったので、仕方がないかと」

「いいえ。それがどんな人であろうと、癒しと安らぎを与えるのが、精霊神殿の本来の役割なのです。私達は人を分け隔てたり、咎めたりはしない。平和と安らぎのうちに精霊と共に在る。それが精霊神殿の理念ですもの」


 青いローブの女性の言葉にアイメリアは驚いた。

 アイメリアを育てたザイス一家は、精霊信仰などに全く関心を持たない者達だったので、アイメリアは精霊神殿の役割について詳しく知らなかったのだ。

 だが女性の言葉で、本来精霊神殿は、人の祈りと癒しを司る場所である、と理解した。


「その大層な理念も、既に建前と成り果てていたようだがな。……すまなかったな。私達が自ら動くことをしなかったばかりに、長く辛い日々を過ごさせてしまった」


 ホッとすると共に、少し混乱もしていたアイメリアに、追い討ちをかけるように、祭司長が告げた。


「おかえり、アイメリア。私達の大切な娘」

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