第31話 精霊の怒り

 精霊神殿は、古い歴史を持つ信仰施設だ。

 歴史をさかのぼれば、数千年とも言われる昔、人と精霊は覚醒者シャーマンを介して繋がっていた。

 各部族はその強き力を利用して戦い合い、その反動で、大地は荒れ果ててしまったという。


 そのありさまを嘆いた一人の覚醒者シャーマンが、精霊の力を悪用されまいと、同志を募り険しい山の頂きにひきこもり、精霊の力を用いた争いを止めることに尽力した。

 そんな彼ら覚醒者シャーマンを支援するために、精霊の声を聞くことが出来ない者達も集い、やがて大きな集団となった。

 それが、精霊神殿の始まり、とされている。


 最終的に、人々は精霊のもたらす破壊ではなく豊かさを選んだのだ、と歴史書には誇らしく記されていた。


 結果として、覚醒者シャーマンは、祭司と呼ばれるようになり、むやみに他人と接触することを避け、神殿の奥で世界の豊穣を祈る日々を過ごすこととなる。


 だが、長い歳月は、ものごとのありようを変節させる。

 純粋な思いで祭司と精霊に仕えていた者達は、やがて、世界の命運を左右するのが、己であるかのように振るまいはじめてしまう。

 国の権力者に意見し、富者から金品を捧げられる生活を続ければ、勘違いしてしまうのも致し方ないのかもしれない。


 彼らにとって、精霊と語ることの出来る祭司は道具であり、精霊は自分達の言葉のままに振るわれる力である、と無意識の部分で感じはじめていたのだ。


 だが、その傲慢さゆえに、忘れていたことを、彼らは思い知る。

 精霊の力は、危険なものであったのだ、と。


 神殿の中心には、祭司達が暮らす広大な敷地があり、まるで楽園のような庭と、そこに点在する各々の家があった。

 神殿の建物は、この地を守る要塞であり、壮麗な壁だ。

 広大な庭は美しいステンドグラスの天窓に覆われ、天井近くに空気抜き用の小窓が開いている程度で、小鳥でもない限り、外部からこの神殿の中心にたどり着くことは出来ない仕様となっていた。


 その庭の中心に、アイメリアのまだ見ぬ父である祭司長は、彼の最愛の妻でもある高位の精霊の光に包まれ、涼やかさを保って立っている。

 だが、周囲には、暴風が吹き荒れていた。


「どうか、お静まりを、祭司長殿っ」

「偽りしか告げぬその口で、尚も我らにものを言うか?」

「偽りなど、そのようなことは決して・・・・・・」

「ならばなぜ、我が娘を奪った者を解放した? 私にひとことの相談もなく」

「ち、違います! 解放した訳ではありまぬ。ただ、国のまつりごとを成される方々が、罪を問うのは国の仕事である、とおっしゃって、裁きの司の元へと連行したまでのこと」

「ほう? その裁きの司とやらは、豪華な屋敷に罪人を繋ぐのか?」

「えっ、・・・・・・それは」


 まさか外の出来事が祭司長に知れるとは思っていなかった神殿長は言葉に詰まった。

 実は、アイメリアの養父であるホフラン・ザイスは、国の権力者達と強い繋がりがあり、神殿にその権力者達からの圧力がかかったのだ。

 権力者達におもねった信徒達は、以後の取り調べを神殿から国の司法機関に移す、という体で、事実上の釈放とした。

 ゆえに、すでに一家は悠々と豪邸に戻り、「やれやれ酷い目に遭った」などと笑い合っているところだったのである。


 娘のことで神殿の者達に不信感を抱いた祭司長は、密かにザイス一家に妻である大精霊の分身体をつけていた。

 そのおかげで、この顛末を余すことなく見聞きする次第となったのである。


 精霊は感情に影響されやすい。

 祭司長と自身の怒りによって、大精霊は大気を歪ませ、局地的な嵐を起こしつつあった。

 ほかの祭司達は、その怒りに巻き込まれないように我が家に引きこもっている。


 精霊の声など聞くことが出来ない愚かな神殿長が、のこのこと、何事か? と駆けつけたときには、止めようがない状態となっていたのだ。


「お前に、目も口もいらぬだろう」


 その祭司長の言葉と共に、神殿長の世界から光が消え、口を開けど声を出すことが出来なくなる。


「罪人に裁きを・・・・・・」


 祭司長が静かに告げると共に、アイメリアの育った屋敷の上空に黒々とした雲が集い、誰もそれまで目にしたこともないような光と、耳をつんざく轟音が鳴り響いた。


 かつて並ぶ者なしと謳われた成功者の館は、かくして、この日突如として発生した巨大な雷によって、一瞬のうちに瓦礫と化したのである。


 アイメリアは、街の片隅で大精霊の動きの一部始終を感じ取っていた。

 いや、アイメリアは大精霊の仕業とは知らなかったが、恐るべき意思の力が動くのを肌で感じていたのだ。


 逃げ出したい気持ちを抑えて、力の中心へと向かい、自らが育った屋敷が光と轟音に呑まれるのも見た。


「おおおお、精霊さまのお怒りじゃ」


 道端にしゃがみこんでいる老婆が震えながら祈っている。


「精霊さま・・・・・・」


 かつての自分の家族が、神殿に不敬を働いたという話は聞いていたものの、まさか、このような結果となってしまうとは思いもしていなかったアイメリアは震えた。


「私、私、・・・・・・精霊さまにお赦しを願って来なきゃ」


 何があったのかは知らないものの、精霊の怒りがまだおさまっていないことは肌で感じ取れる。

 放逐されたとは言え、この屋敷で育った者として、その怒りが罪無き者達へと及ばぬように精霊の赦しを乞う必要がある、とアイメリアは思ったのだ。


 囁き声達を大きな力のうねりに見失ってしまったアイメリアは、初めて、本当の意味でのひとりぼっちとなっていた。

 震える体はなかなか動こうとはしない。


「ラルダスさま、どうか私に勇気をください」


 アイメリアは、無意識にラルダスの名を口にして勇気を振り絞る。

 そして、顔を上げて一歩を踏み出したのだった。

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