第30話 求める者と逃げる者

 ラルダスの心情は複雑だった。

 今後もアイメリアと共に過ごしたいと思っていたラルダスにとって、アイメリアが御子かもしれないという考えは不安をもたらすものでしかない。

 その一方で、神殿騎士として、それまで不遇な扱いを受けていた御子を早く見つけ出して保護しなければ、という使命感もあった。


 その気持の整理がつかないまま自宅へと赴いたのだ。

 そして、誰もいない家のテーブルに、アイメリアからの手紙を見つけた。


『お世話になったのに、勝手に出ていってしまい、申し訳ありません。いつか必ずお詫びをさせていただきます』


 手紙を読んだときのラルダスの気持ちを、言葉で表すのは難しい。

 ただ、かつて一度として敵を前にして膝を突いたことのない男が、両膝から崩れ落ちた。


「銀騎士ラルダス、しっかりなさい。部下も見ていますよ」


 共にアイメリアの確認に訪れていたダハニア補佐官が叱咤するものの、ラルダスの両足からは力が失われたままだ。


「彼女に、……アイメリアに、見放されてしまいました」

「……銀騎士ラルダス。あなた、あの娘に何をしたの? 返答によっては、騎士団審問ものよ」

「俺は、彼女に何をしたのでしょうか?」


 ダハニア補佐官への返事にも力がない。

 ダハニア補佐官はハァとため息を吐き出すと、肩をすくめて頭を左右に振った。


「いくら強くても、甲斐性のない男はダメね」


 ラルダスは部下の前であるという意識からかろうじて涙はこらえているが、そのショックの大きさは、傍から見ても丸わかりである。


「あの……補佐官殿、あまりうちの隊長をいじめないでください」


 見かねてラルダスの副官が間に入った。

 しかし、ダハニア補佐官にはラルダスに優しくする気はさらさらないようだ。


「ほらほら、仮にも銀騎士を冠する者が、幼子のようにただうずくまって泣いてるつもりなの? さっさと探して、理由を聞いて、悪いところがあったら許してもらえるまで謝りなさい」

「……ですが、彼女が俺に会いたくないのであれば、……俺は」


 ドスッ! と、鈍い音と共にダハニアの篭手に覆われた手がラルダスの腹に吸い込まれる。

 普段なら無防備に殴られるようなラルダスではないのだが、それだけ落ち込みが激しかったのだろう。

 グフッとくぐもった声を漏らし、床に片手をつく。

 殴ったほうのダハニアは、手をブラブラと振ってみせた。


「さすがに堅いわね。こっちの手が痛いよ」

「……っ、喝入れ、ありがとうございます」


 それでも、荒療治が効いたのか、ラルダスはゆらりと立ち上がる。


「泣き言は後から、ですね。了解です。まずはアイメリアを探して、ちゃんと理由を聞きます」

「そうそう、やっと銀騎士ラルダスの顔に戻ったな。ほらほら、そうと決まったら行った行った。私は戻ってことの次第を報告しておくわ」

「ありがとうございました!」


 ラルダスとその部下が、揃ってダハニアに頭を下げた。

 万が一、御子に逃げられたとなれば、ラルダスの立場は騎士団において悪いものとなるだろう。

 その挽回の機会を与えてくれたのである。

 もちろん、それだけではない。


「いいこと、あんないい子泣かしたら許さないからね?」


 ダハニアは、個人的にアイメリアのファンでもあったのだ。


「もちろんです。彼女に害を成す全てのものをこの世から排除してみせます。もちろん、それが自分自身であろうとも」

「よく言った」


 うなずき合う二人の上官を、なんとも言えない気持ちで見守るラルダスの部下達であった。


 ◇◇◇


 そんなことになっているとは知らないアイメリアは、その頃、街を離れることを考えていた。


「お屋敷で働いていた人達の話だと、街では紹介状がないとまともな仕事がないらしいの。前にお屋敷を追い出されたときには、ほとんど何も持っていなかったから、とにかく日雇いでもなんでも、仕事を探したのだけど、今ならラルダスさまからいただいたお金があるから、農村や宿場町とかに行って、改めて仕事を探すほうがいいかも?」


 周りに誰もいないため、独り言のように見えるが、もちろんアイメリアはささやき声達に話しかけていたのである。


「お庭の、お花……」

「あのお家、最初からいい感じだった、のに」

「やっぱり・あの親父・やっつけて・戻る・遠出・よくない」


 しかし、どうやらささやき声達はアイメリアの提案に反対のようだった。

 こんなことは珍しいので、アイメリアはひどく困った顔になる。


「ごめんね。でも、ラルダスさまにご迷惑はかけられないでしょ?」

「うう~……」

「はぁ」

「……ん?」


 アイメリアの頼みにしぶしぶ折れかけたささやき声達だったが、一人がふいにアイメリアに警告の意識を向けた。


「どうしたの?」

「なんか・ヤバイ」


 それに気づいたのは、街を行き交う者達のなかでは、おそらくはアイメリアだけであっただろう。

 まるで、大気に見えない大きな石か何かが投げ込まれたかのように、波紋のような響きが広がる。


「っ!」


 思わず、アイメリアは両耳を押さえたが、それは音ではなかった。

 その証拠に、通りを歩くほかの者は、特に何かを感じた風もなく、突然うずくまったアイメリアを不思議そうに見ている。


「悲鳴? 怒り?」


 感じ取った感情のようなものに、アイメリアは震えた。


「ヤバ……これ・ずっと上位の……」

「逃げて……アイメリア」


 ささやき声達も辛そうだ。

 しかも、その存在が揺らいでいる。


「みんなっ! 大丈夫?」

「ちょっと・だけ……離れる」

「早くどっかに……」


 不安と恐怖のさなか、アイメリアは、初めて自分が本当に一人ぼっちになったことを感じたのだ。

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