第20話 おはよう

 どんなに遅い時間に寝たとしても朝は日が昇る前に目が覚める。

 それがラルダスという青年だ。

 いつものようにパチリと目覚めたラルダスだったが、その朝はいつもとは違うことがいくつかあった。

 いつもは、身体のどこかに無理がある体勢で寝ていたり、上掛けなしに冷えたマットレスに転がっているため、血が上手く通っていない不快感が必ずあり、ラルダスの朝は、まずベッドのなかで身体をほぐすことから始まる。

 それが、この日は全くない。

 むしろ、心地よい目覚めだった。


「……なんだ?」


 三日か四日、騎士団詰所で仮眠のみでほぼ寝ていない状態で過ごしたのだ。

 普通なら体中の血が固まったかのような重さを全身に感じつつ起き上がる。

 伊達に騎士団の仕事に没頭しすぎて不健康な生活を送ってはいない。

 ラルダスは、自分の身体の限界をよく把握していて、動けなくなる寸前を上手に見計らって活動して来たのだ。


「変わったことと言えば……」


 ラルダスの生活で変化と言えばただ一つ。

 アイメリアの存在だ。


 ラルダスは首をかしげながら騎士団の白と青、そして階級クラスカラーである銀をあしらった騎士服をまとい、居間へと向かった。

 夜明け前は暗い。

 しかしラルダスは暗闇のなかを軽々歩く猫のように廊下を進み、居間へと入る。


「あ、おはようございます! ラルダス様お早いんですね」


 そこには、すっかり身支度を整えたアイメリアがいた。


「……おはよう。お前こそ早すぎるのではないか? 俺が頼んだのは家の管理だけだ。俺は習慣化している自己鍛錬があるから早いが、お前が付き合う必要はない」


 ラルダスがそう言うと、アイメリアはにっこりと笑う。


「使用人が夜明け前に起きるのなんか当たり前ですよ。ラルダス様は今まで人を雇ったことがないからご存知なかったのでしょうけど」


 アイメリアの常識は、養父の屋敷の常識であり、世間一般の常識ではない。

 しかしこの場には一般常識を知る者は誰もいなかった。


「なるほど。確かに見習いや騎士の従者達は、夜明け前ほどではなくとも朝早くから仕事をしているな」


 ラルダスはラルダスで騎士団での常識でアイメリアの話を判断して納得する。

 二人は共に納得してそれぞれのやるべきことに取り掛かった。


 ラルダスは一日休むように厳命されてしまったので、騎士団の訓練所に行く訳にもいかず、庭での鍛錬で身体をほぐしていく。


「身体が、軽い」


 一晩寝ただけなのに、自分の身体の状態が万全になっていることにラルダスは驚きつつ、調子がいいときに行う訓練をやることにした。

 神殿騎士団の特徴でもある、魔法を併用した剣技だ。


 剣に炎をまとわせて斬りつけ、傷口を焼く。

 これは再生能力を持つ魔物などに効果が高い攻撃だ。

 他にも地味だが、水を纏わせて、血や脂が剣に付着するのを防ぐという戦い方もある。

 戦いが長引く場合に、血や脂によって剣が斬れにくくなるのを防ぐのだ。

 それらの魔法を素早く剣技を展開しつつ使うのである。

 

 普通魔法と言えば、集中して一気に放つというのが常識だ。

 しかし、魔法使いの部隊ならともかく、前線で戦う騎士はそんな悠長な魔法の使い方は出来ない。

 昔は片手で剣を振るいつつ、もう片手で魔法を練り上げて放つという戦い方が主流だったが、ラルダスが加入してから、騎士団の魔法に大きな変革が起きた。

 見た目の派手な魔法は少なくなり、より実用的な魔法を使う者が増えたのだ。

 それはラルダスの確立したものであり、騎士団に対する大きな功績だった。


 調子がいいラルダスは、未だ彼にしか使うことの出来ない魔法剣を使う。

 剣の衝撃波を風の刃と変えて遠方のものを斬りさく。

 しかし調子がよすぎたのだろう。

 剣閃は長く伸び、訓練用の空き地を越えて裏の畑の柵を切断してしまった。


「あ……」

「あっ」


 二つの声が重なった。

 振り向いたラルダスは、飲み物を運んで来たアイメリアを見つける。


「す、すまない!」


 ラルダスの知る限り、以前はそこに柵などなかった。

 すぐにアイメリアが畑の周りに作ったものだ、と気づいたのだ。


「い、いえ、野菜はまだ育ってないので、無事ですから!」


 アイメリアはラルダスの謝罪に対してちょっとズレた返事をした。


「せっかくお前が作った柵を、不注意で壊してしまった。……俺は、未熟だな」

「そんなことないです! 今のすごかったですね」


 ラルダスは剣を納めると、ため息をつく。

 リズムが狂ってしまったまま鍛錬を続けるのはよくないのだ。

 ラルダスの調子が狂った理由は明白だった。

 常に五割の状態で動いて来た人間が、その感覚のまま十割の状態になったのだ。

 多少のブレは仕方ないだろう。


 だが、ラルダスは仕方ないで済ませられるような性格ではない。

 そうでなければ最年少で銀騎士になったりはしないのである。


「はずかしい」

「お茶にして気分を変えるといいですよ。それとももう朝食にしましょうか?」

「ありがとう。だが、朝食にはまだ早いだろう。動いてすぐに食事をとるのはあまりよくないのだ」

「そうなんですね」


 ラルダスの言葉をアイメリアは口のなかで反芻して覚えようとしているようだ。

 そう言えば、とラルダスは思った。

 まだアイメリアが家に来てから十日にも満たない。

 一緒に過ごした時間に至っては、丸二日程度でしかないのだ。

 それなのに、すでにアイメリアの存在を当たり前に、居心地よく感じている自分がいる。


 いつの間にか庭のテラスに設置されていたテーブルセットに座り、淹れてもらったハーブティーを口にすると、以前飲んだものよりも豊かな香りが感じられた。


「美味いな」

「よかった! お疲れのようだったので、リラックス出来る花の蜜を使ってみたんです」

「そうか……」


 周囲が明るくなっていく。

 空が白白と光に染まりつつあった。


「助けたつもりだったが。助けられたのは俺のほうかもしれないな」


 ラルダスはぼそりと呟く。

 そんなラルダスのカップのなかに、どこからか飛んで来た花びらの一片が浮かんだ。


「精霊の……吉兆か」

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