2-7話


「えっ?」

 蓮州。ここ華州から西にある地方都市だ。農村が多く、牧歌的な、いわゆる田舎の地なのだとよく言われるが──

(確か、とても高いがけがあるので有名だったかしら。太古の昔、龍神様が大地から飛び出してきた時にできたといわれる、切り立った、高い……)

 そういう伝説的な場所があるせいか、蓮州の人々は、龍神に対する信仰心がとてもあついことで知られている。それにしてもなぜ蓮州を、今話題に?

(ん? ……そういえば……)

 例のその伝説の崖は、ひとたび落ちてしまえば、とても命が助からない場所だといわれている。ゆえに、しばしば戯曲や芝居に題材として取り上げられるほどに、『自決の地』としても有名だし──

(自殺に見せかけた暗殺の名所、って言われたりしてるんだったっけ)

 まさか。そう思ってちらりと朱心に視線を送ると、彼は至って平静な様子で、しかし酷薄な目つきのまま、口元だけで笑ってみせた。

(まさか!)

 薬を作らせるのは暗殺のためで──それを拒否したり、情報を漏らしたりしたら、英鈴も自殺に見せかけて殺す、と。朱心はそう言いたいのだろうか。

(な、なんて……なんて人なの……!)

 信じられない。本当に、ここまで冷酷な人だったなんて!

(薬売りとして……それ以前に人として、暗殺に手を貸すことなんてできるわけない!!)

 それに自分の作った薬が毒として使われるなんて──もう二度とごめんだ。

 けれどここで下手に逆らえば、自分の命だけならまだしも、家族の命も危険にさらされるかもしれない。一人の罪人のせいで一族郎党が処罰の対象になる、などという事態は、かつては珍しくなかったと聞く。だがしかし──ここできようを見せないわけにはいかない。

 自然と早くなっていた鼓動を抑えるように、英鈴は深く呼吸した。

 それから、こちらの言葉を待っている様子の朱心に対してまっすぐに視線を合わせると、ゆっくり、きっぱりと返答する。

「いいえ、蓮州には参りません。私は今、あなたの命を預かる専属の薬童代理ですので」

 命を預かる、という部分に、我知らず力をめて英鈴は言い放った。

「……ククッ」

 英鈴の答えに、朱心は肩を震わせる。

「ははは、なるほど。面白い答えだ、気に入った」

 満足げな表情を浮かべると、朱心は言う。

「いい覚悟だ、董昭儀。だがどうやらその様子だと、思い悩んだ末の結論だったようだな。こぶしが震えているぞ」

「!」

 自分の拳に目を向ける。が、別に震えてはいない。要は、カマをかけてきたのだろうか?

(な、なんだか腹が立ってきた……!)

 こちらのいらちをよそに、しかし朱心は上機嫌のままで言う。

「まあ、安心するがいい。お前の考えは誤りだ」

「え?」

「お前は私が、薬を毒として用いるのではないかと思っているのだろう」

 確信を持った表情の朱心は、こちらにいちべつを投げかけた。

「だがそれは違う。お前の服用法を悪用し、人をあやめるようなことは決してしないと、ここで父祖の霊とりゆうじんに誓おう」

 それはここおうこくにおいて、最も重い誓いの言葉である。

(ということは、本当に……暗殺のための薬を私に作らせようとしているのではない、の?)

 信じてもいいのだろうか。しかし、やがて──

「だからな、董昭儀」

 彼はゆっくりと立ち上がる。そしてそのまま、静かに歩み出した。その絹の靴が石床をり、まっすぐに、こちらに向かってくる。

(えっ、な、何……!?)

 戸惑っている間に、あっという間に、彼はこちらの目前までやって来た。

 間近で彼の顔を見るのは、二回目である。だがこんなに明るいうちに見るのは、初めてだ。

 そして昼の光の下で見る彼のようぼうは──その黒髪も、切れ長の目も、透き通るような白い肌も、整った顔立ちも、すべて、ようえんかつわく的に見えた。穏やかな陽光が差し込む部屋にあって、まるで朱心のいる場所だけ、夜が切り取られて置いてあるかのように。

(ちょっと目の下にクマができてるみたいだけど……)

 そんな関係ない健康診断的なことを考えている間に、朱心が口を開く。

「わかったか? つまりお前が抱えていたのは、まさにゆうというわけだ」

 そう告げると、何を思ったのか、彼は英鈴の鼻に向かって指を突き出してきた。

「薬童は薬童らしく、仕事のことのみ考えよ。小事にとらわれずに、な」

「くっ……!」

 思わずみすると、朱心は手を下ろし、また声を漏らして笑う。

(やっぱり、腹立つ……!)

 こんなに人をもてあそんで、何が楽しいんだろう。

(禁城や後宮に長く居すぎると、みんなこんなあくらつになるっていうわけ?)

 普段は薬以外のことではそれほど腹を立てることもない英鈴も、さすがに言われてばかりではたまりかねるものがあった。だからまっすぐに朱心を見上げ、告げる。

「わ、私と二人きりの時は、ずいぶんと強気でいらっしゃるんですね。朝議の時も、そうやって振る舞われたらよろしいのに」

「朝議? ああ、燕志と見ていたのか。あれはな、策だ」

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