3-4話


 そして、そのすぐ後。

「持って参りました!」

「では、ここに置いてください」

 宮女たちは言われた通りの場所に、新しい薬湯や蜂蜜の入ったつぼなどを置いていく。

 楊太儀はというと、苦しそうに息をしている小茶の頭を優しくでている。とにかく少し落ち着かせるようにと、英鈴が指示したからだ。

(準備はできた。本当なら実験をしないといけないけれど、そんな時間はない! 一発勝負にはなるけど……)

 何もせず、手をこまねいているなんてできない。気合を入れるように息を吐いた英鈴は、まず、持ってきてもらった空の碗の中に、壺からすくった蜂蜜を入れた。

 ふわりと甘い香りが漂う中で、今度は薬湯を掬い、碗の蜂蜜に混ぜ入れる。

 それを数度繰り返し、蜂蜜が薬湯で薄まったら、蜂蜜を足し入れる。そしてまた、薬湯を混ぜていく。やがて碗の中には、薬湯と蜂蜜の混ざった、とろりとした液体ができた。

 匙で掬い、匙の軸をくるくると指の間で転がしてみる。すると液体は匙に絡みつき、黄金色の被膜のように、表面を覆った。

「これなら……!」

 小さく呟いてから、太儀のほうを向く。

「楊太儀様、小茶を後ろから抱いて、口を開けさせてあげてください。大きく開けなくても問題ありません。この匙が入る程度であれば」

「ええ……ええ!」

 楊太儀はうなずくと、言われた通りに小茶を抱きかかえた。

「こ、この子にはいつも歯磨きをしてあげているから……こうすれば、きっと少しは口を。さっきは、思いつかなかったけれど……」

 楊太儀の細い指が、小茶のうわあごに触れる。彼女が軽く顎を持ち上げると、それに応じて小茶は、緩く口を開けた。

(今だ……!)

 その隙を逃さず、英鈴は匙を、犬の歯の間にできたほんのわずかな空間に突き入れる。

 そして小茶が反射的に口を閉ざしてしまう前に、匙にまとわりついた薬液を、上顎の裏の辺りに塗りつけた。

「……!」

 小茶は、思いがけない感触に戸惑ったのだろう。小さく目を見開き、しかしそのしばらく後に、もごもごと口を動かした。

(よし、めた!)

 様子を確認しながら、犬の口から抜き取った匙に、また薬液を纏わせる。

「もう一度……!」

 楊太儀が小茶を促すと、小茶は先ほどよりもすんなりと口を開く。匙を入れ、上顎に塗る。小茶がそれを口の中で舐めとる。

 薬液が碗からなくなるまで、何度でもそれを繰り返す。

 するとどうやら、小茶のほうは、苦しそうではありながらも蜂蜜の味を気に入ったようだ。

 最後の一匙の時は、楊太儀が何もしなくても、自分から口を開いて匙を迎え入れていた。

 そうして──

「……わん」

 小さく鳴くと、もはや、その息は先ほどよりはずっと整っていた。小茶は落ち着いた様子になると、それでも疲れたようで、飼い主の手から離れて枕の上にくるりと丸まる。

「ああ……!」

 その光景を見て、楊太儀は、声を震わせた。その響きは、喜びに満ちている。

 彼女は口元を両手で覆いながら、涙ながらに言った。

「小茶! ああ、無事なのね……本当に無事なのね!」

「どうやら、薬が間に合ったみたいですね」

 太儀に告げつつ、我知らず額に浮かんでいた汗を拭った。

上手うまくいった!)

 ──昔、隣に住んでいたおじいさんが、たまのご褒美だと言って飼い犬に蜂蜜をあげていたのを見たことがあった。それならば、人間と同じように、犬も甘いものを好むはずだ。

 また人間と違って、犬は舌で薬を上手に舐め取れる。ならば、犬が本能的に舐め取りたくなる箇所に薬を塗りつければ──と思ったのだが、もくは見事に成功したようだ。

(よかった……!)

 ほっとあんの息を吐いてから、英鈴は楊太儀に告げる。

「これからも薬を飲ませる時は、私が今やったようにして差し上げてください」

「董昭儀……いえ、昭儀殿」

 潤んだままの瞳で、楊太儀はこちらを見やった。その目には、かつて満ちていたような敵意は欠片かけらもない。ただ純粋な喜びと、敬意のみが、そのまなしにこもっていた。

「ああ、本当に、本当に感謝いたしますわ! あなたがいなければ、今ごろ小茶は」

「いいえ、お気になさらず……偶然上手くいっただけです」

「そんな、わたくしは……あなたに、あんなにもむごい振る舞いをしたというのに……」

 激しい後悔に襲われたように、太儀はぶるりと身を震わせた。

(太儀様……)

 とてもこの前、皆をけしかけたのと同一人物だとは思えない。

「あの、私は」

 そう、英鈴が言葉を掛けようとした時。

「どうやら、騒ぎは収まったようだな」

 声と同時に部屋に踏み入り、現れたのは──

「陛下!?」

 全員が驚いて平伏するが、白い寝間着姿の朱心は温厚な微笑みと共に、おうように頷く。

「そうか、楊太儀の大切な犬は助かったのだな。重畳、重畳」

「陛下……ええ、仰る通りですわ」

 素直に楊太儀は頷く。

「董昭儀殿のおかげで、助かりました。……昭儀殿、お礼を申し上げます」

「いえ……」

(何度もお礼を言ってもらえるようなことをしたつもりなんて、ないのに)

 戸惑っていると、朱心の視線がこちらを向く。

「なあ、董昭儀」

「はっ、はい」

「こんな夜更けに、まことに素晴らしい働きだった。だが、きっと疲れているだろう。早く部屋に戻ったほうがよいだろうな?」

 促すように彼は言う。その目が、英鈴にしかわからない色でこう告げていた。

 ──二人きりで話がある、と。

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