1-4話


(えぇっ!?)

「まあ、英鈴を?」

 驚きを発した白充媛も、そして楊太儀も、軽く目を見開いてこちらを見ている。

 けれど誰より信じられない気持ちなのは、当然、英鈴だ。

(わっ、私が陛下に、直々に……!?)

 質問しようにも、急なことで頭が回らない。というより、混乱して目が回りそうだ。

 後宮に仕える身となったとはいえ、皇帝ご本人については、遠くから見かけるばかりで、声はもちろん、正面からその姿を見ることだってなかったのである。だというのになぜ自分が──と戸惑っていると、まるでその考えをんだかのように、燕志が口を開いた。

「英鈴殿、聞いたところでは、あなたは後宮で薬茶を売っているそうですね。その件について、主上よりお話があるそうです」

「はっ……は、はい。かしこまりました……」

 ようやく口から了承の言葉を絞り出した。しかし、笑顔のままの燕志から、その真意をうかがうことはどうもできそうにない。

「ついて来てください。充媛様、太儀様、しばらくこの者をお借りします」

「ええ……」

「あら、まあ。一体、主上はどんなお話をなさるのかしらね?」

 驚いた顔のままでうなずく充媛に対して、太儀は何か面白い見世物でも眺めているかのように、ほほほ、と小さく笑っている。主人の声にこたえるように、小犬はわん、と小さくえた。


 燕志に続いて部屋を退出し、長い廊下を歩きながら、背中に嫌な汗が伝うのを感じる。

 心臓がバクバクと音を立てて、今にも口から飛び出てきそうだ。

(薬茶を売っている件についての話……? ま、まさか、何かとがめられるとか……!?)

 とはいえ、罪となるような真似をした覚えなどない。

 薬師の仕事である調合は、資格のない者が行えば罪となる。つまり、仮に英鈴がやれば違法だ。けれど英鈴は後宮で、あくまでも「薬茶」を売っていただけで──薬を茶に仕立てて飲みやすくしたものを提供していただけで、罪に問われるいわれはない。それに後宮に出入りする者が、縁のある商店から仕入れた品を、個人的に売買するのはよくある話だ。

(例えばひんがたの多くが毎朝使っている『ぎよくようこう』だって、宦官のどなただったかが安く仕入れて、売りさばいているものだそうだし……)

 玉蓉膏は肌の美容に絶妙な効果があるとされている軟膏で、あいにく董大薬店では扱っていない商品だ。それはともかく、他の者もやっている行為を、こちらがやったとて罪になるとも思えない。最初に売りはじめる時も、しかるべき手回しはしたと、父が言っていた。

 それとも、副作用でも問題視されたのだろうか? ──いや、それもちゃんと調べてから茶を提供している。薬茶とはいえ薬は薬であり、常に副作用の問題がつきまとう。しかし英鈴は薬茶を渡す時は必ず軽い問診を行い、問題のない相手にしか渡していないのだ。

(それに、ここを取り仕切っておられる宦官や女官様のお呼び出しならまだしも、陛下に直々に咎めだてを受ける理由になんてならないし……!)

 まさか、と一つだけ思い当たる。

(もしかして、澄声茶に入ってるのせい……?)

 は確かに見た目も強烈だ。気持ち悪く感じる人がいたとしてもおかしくはないし、あんなのが入っていると知ったら、妃嬪がたは卒倒しかねない。

(でも、あれも立派な薬の一つだし……薬効だって穏やかだから、害があるわけでもないし。……やっぱり、理由にはならないわよね)

 駄目だ、本当になぜなのかわからない。英鈴が必死に思考を巡らせていると、燕志はにわかに歩を止めてこちらに向き直り、なおも穏やかな笑みのままで言う。

「そう硬くなる必要はありませんよ、英鈴殿。主上は何も、罰するためにあなたを呼んだのではないのですから」

「えっ……!? そ、そうなのですか」

「ええ、当然です。主上はとても温かく、気さくな方ですから。今回はあなたに、個人的なご相談があるそうですよ。なんでも、あなたでなくては解決できないのだとか」

 言うなり、燕志は向き直って再び先へと歩きだしてしまう。

(わ、私でなくては……!?)

 咎められるのではない、というのはよかった。けれど、自分でなくてはというのは一体どういうことか。それに、陛下が温かくて気さくだというのだって、本当なのだろうか──?

(やっぱりわからない……で、でも、ここで逃げ帰るわけにはいかないし!)

 震えるこぶしを、英鈴はなんとか服のたもとに入れた。

 それから息を深く吸い込むと、決死の想いで、燕志の背中を追って歩いた。

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