大学五回生の憂鬱

メンタル弱男

第一章

1.大学地獄

          


『年度末の成績通知表ほど恐ろしいものはない』 -Mental Yowao-


          ○


 一回生の取得単位は10。


 出席するだけで良いはずの体育も落としてしまった。


 絶望的な数値。この時点で俺の留年は決まって、大学から抜け出そうとすればするほどハマっていく『大学地獄』が始まった。


『大学の何が嫌なん?楽しい事ばっかりやんか』


 川本は同じ学科の友人だ。図書館と学食のみの時間割で動く俺を心配して、昼食に誘ってくれた。スプーンが当たるとパカパカ軽い音が鳴るプラ容器。そこに入ったカレーを一緒に食べていると、『あぁ、俺も学生なんだな』と当たり前の事を痛感する。


『朝起きるやろ?なんとか電車に乗んねん。そう!俺は確かにしっかりと学校へと向かってんねん!』


 一人ヒートアップする。


『梅田着くやろ?ほんで環状線乗るやろ?俺は鶴橋で降りなあかん。でもいつも違う駅で降りてまうねん』

『なんで?』

『そういうもんや環状線って。知らんけど』


 俺は環状線を理由に挙げたが、実際に意味もなく天満で降りて天神橋筋商店街を南に進み、南森町から地下鉄で梅田へ戻るという奇怪な行動をしていた。


 ただ、俺が授業へ顔を出さなくなった根本的な理由は別のところにあった。


『なんかなぁ。何が嫌って説明できひんけど、不安なんよな。怖いっていうか。まぁ、こんなこと言ってもしゃあないんやろうけど』


 これが本音だ。

 だが、チキンで見栄っ張りな俺はこの言葉すら口にできず、心の中で一人呟いた。


 大学の授業のことを考えると、お腹の上のあたりがチクチク痛む。情けないがストレス耐性はゼロ。おまけにそのストレスの原因が分からず悶々とする日々。


『まぁちょっとずつでも授業に顔出してよ。とりあえず出席して単位取ろう』


『うぅ』呻き声。何やってんだ俺は!しっかりしろ!


 俺はこの時、何かが変わったのだと思う。潰れてしまい取れかかった頭のネジを、いっその事捨ててしまったような気持ちだ。


         ○


 手を差し伸べてくれた川本のおかげで、俺は二回生からちょくちょく授業に顔を出せるようになった。なんとか持ち堪えているという感じではあるが……。


 俺はこの留年で家族にも友達にも迷惑をかけてしまった。それなのに当時の俺は、まるで『大学地獄の被害者です』と、言わんばかりの顔で生活していた。我ながら呆れてしまう。


 その被害妄想は常に俺の思考をマイナス方面へと向かわせた。


 例えば第二言語のドイツ語。俺は先生をあれこれと変えて、三年の月日を使い同じ授業を前期後期三回ずつ、計六回も受講した。それだけ単位をポロポロ落としてしまったという事だ。ちなみにこれはあくまで卒業に必須な第二言語の授業であり、専門授業ではないことに注意していただきたい。

 ドイツ語を研究する学生を除けば、この大学で俺が一番ドイツ語を学んだに違いないだろう。そこだけは揺るぎない自信がある。


 そして英語のコミュニケーション授業。一学年下の顔も名前も知らない別の学科の生徒とコミュニケーションをとる。こんなにキツい試練はあるだろうか?いやないだろう。それに加えて厄介なのが英語だ。ただでさえ拙い英語でどうやってコミュニケーションを取れるだろうか?いや、取れないだろう。


 俺は『I don't understand』という無責任な態度を取りながら、コミュ障全開でしどろもどろだった。俺とペアになった女の子は、なんて可哀想な人なのだろう。同じ学科の仲良しとペアになるはずが、見も知らぬ脇汗ビショビショの男と組まされて……。俺と彼女の黒歴史だ。


 三回生で研究室に配属されるが、俺は必要単位数に届かず、四回生に持ち越し。だが俺のスロースタートが尾を引いて、三回生の後期の授業を全て合格しなければ研究室へ行けないというギリギリの状態に……。本当に一単位も落とせない、究極の『背水の陣』となってしまった。


 そんな時、梅田の地下にある静かな喫茶店で、川本と何時間もシラバスを広げ、緻密な計算に計算を重ねて、完璧な時間割の作成に挑んだ。


『ここでこの授業を取ると、必須科目と被ってまうし』


『あれ?でもここでこれを入れれば……』


『いやそれやとこの授業がキツくなる。予習が大変やから』


 “熟考”というのはまさにこういう事を言うのだろう。コーヒーをおかわりして、頭を悩ませながら考え続けた。


『やった……。できた!』


 そして遂に完成した、完璧なる時間割!

 これを見た時、心に稲妻が走ったように感じた。古代エジプトのヒエログリフを解き明かしたシャンポリオンもこのような感情を抱いたのかもしれない。


 さて、あとはその時間割をめげずにこなすだけだった。天満駅の誘惑も乗り越えて、俺は途中下車する事なく毎日大学へ通った。教室で教授が生み出した意味の分からない板書も、一生懸命ノートに要約して書いた。


 俺は本当に川本のおかげで単位を取ることができた。川本がいなかったら今頃どうなっていたことか……。もう感謝しかない。


 梅田の地下で練られた計画により、無事研究室に配属された俺であったが、四回生での試練と、そして新たな出会いが待っていたのである……。


        


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