第351話 ビスケット(前編)

 階段を下りて一階、一年九組と十組の間に俺達はいる。

あんなに暗かったはずの窓の外がやや明るい。

と言っても、中庭の遠くの灯りが薄ぼんやりと見える程度で、他の奴らの声なんかは聞こえない。

わかるのは繋いだ女子の手の強さと、持っているランタンが灯す俺達の足元と、向かう廊下の先だけ。


 ……さっき何かあった気がすんだけど……はて?


 もやがかかったみたいに思い出せない。

しかしミッションをクリアしたのは覚えている。

女子も何も言わないし、俺の思い過ごしだろうか。


「ねぇ」


「ふん?」


「変な事言ってもいい?」


 足を止めた女子が俺を見上げる。


「気のせいだったらそれで構わないのだけれど──私達の他に誰か、いた?」


 女子も同じように思っていた事にびびった。

誰か、と言われて頭を捻ってみるけれど、どうにも見えてこない。

そう時間は経っていないし、何をどうしたら、と考えると出てこないのだ。

女子のおふざけ、びびらせではないのは周りに泳ぐ視線から見て取れた。

俺も釣られて周りを見る。

前の組みの奴らも、後ろの組みの奴らも上手い具合に時間をずらしているのか、今まで会っていない。

誰もいないような──いるような。

夜の学校の雰囲気にまた吞まれそうになった時、廊下の奥から扉が開く音がした。

ランタンを掲げてみるけれど少し遠くて、黒い人型のシルエットがこっちに向かってきて──。


「──カラスちゃん?」


 この肝試しの仕掛け人、リドル部のシロクロ。


「やっほー、迎えに来た!」


 屈託のない笑みにほっとする間もなく、俺は警戒した。


「もうすぐゴールなのにどうして?」


 それ。

ここからミッションが置かれている机も見当たらない。

となると廊下を突っ切るだけで、スタートした後のように窓などに仕掛けがあるくらいだと予想していたからだ。


「迎えって、何?」


 シロクロ達リドル部は、俺達と違ってジャージなどではなくて、いつも通り制服を着ている。

黒いスカートに夏服のセーラー服、着崩しか着こなしか、ごついベルトと主張が激しいメイクされた目元から見られる目は、きぃん、と耳鳴りがしそうなほど強い。


 肌が、ざわざわする……。


「迎えは迎えだよ。つーか最終ミッションの案内人がアタシなの。さっき、あー、ノムラちゃんらが走り抜けたりしちゃってさー、だからこっちから声掛けたってわけ」


「ほんとに?」


「あっは、クサカちゃん面白いね──


 ぬ……。


 にっ、と笑うシロクロに言い返せなかった。

いや、これ以上は不毛か。

問答している時間もないだろう。


「ごめん。疑心暗鬼っつーか、そんな感じ」


「いーよ。それが正解だ」


 何もないところから何か出る、何も見えないところに何か見える。

信じるか、信じないか。


 女子は俺を信じてくれた。

怖がっているのも、何かを感じたのもだ。

そしてシロクロも──こいつは全部知っているけれど、絶対に教えない。

そういう何かを、帯びている気がした。


「それじゃあ最終ミッショーン」


 そしてシロクロは十一組の教室のちょうど真ん中で止まって、俺達に振り向いた。


「十組、十一組、十二組の三教室の内、一つ教室を選んでちょーだいやー」


 どの教室も扉や窓は閉められていて、音も何もしない。


「……またあの背が高い彼が驚かせるんだわ──」


「──呼びました?」


「わーい!!」


「っだぁ!!」


 くっそびびった! 完全にフラグだったのに気ぃ抜き過ぎた、くっそ!


 十二組の教室の前の方の扉を開けて顔を出したのは、背が高いあいつだった。

名前なんつったか。


トキちゃんご指名入りましたー」


 トキっつーのか。

苗字なのか名前なのか。


「あなた、トキ君、ほんとあなた、もうっ」


 珍しく女子が語彙力を失くしていて面白いので許してやろう。

それに怖いのはもうどっかに行ったようで、終わりが見えたからか気持ちがどことなく穏やかだ。

人間と分かるものが増えたのもその一つか。


 しかしこいつ、イケメーン! なんじゃその顔面レベル! 背ぇ高くて顔良くて物腰柔らかそうで、かーっ! 世界は不平等だな!


 なんて事が顔に出ていたらしく、シロクロが強めに俺の尻を二度叩いた。

何故尻なんだ。


「ほれほれ、真ん中の教室に行きやがれ」


「やがれって、お前は?」


「ざーんねん、アタシはここまで。次の組みの相手しなきゃだし」


「トキ君よりカラスちゃんがいいのだけれど」


「随分嫌われたものですね」


 すると女子はこう返した。

それを聞いたリドル部の二人に変化が見えたけれど、きっとそれは俺にしかわからなかっただろう。

ぴりっ、とした空気が肌をひと撫でしたのは、きっと俺の何かだと、思う。


「──。ふーんだ」


 女子に手を引かれて、トキよりも先に俺達は十一組の教室に入った。

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