第317話 塩飴(前編)

 私はこれまで一度も授業をさぼった事はない。

体調が悪くて欠席をした事はあっても、いつも教室にいた。

けれど今日は初めて、そうした。

授業、というか帰りのホームルームを抜け出した。

探すかもしれないから机の上に、探さないでください、というメモを残したので大丈夫だと思う。

きっと滞りなく進行しているはずだ。


 そんな私はバッグを持った手を前に、教室棟の一階にいた。

一年生の教室が並ぶ廊下は、がらん、としていて、長い長い廊下が横に伸びている。

当然、一年生も帰りのホームルーム中なので教室からは先生の声がしていた。


 私達三年生の場所とは違う、懐かしい匂い。

開けた窓から入る風が気持ちいい。


 何も言わないで来たけれど、うん、頑張れ私。


 ※


 ──……なんでシウちゃんいねぇの?


 帰りのホームルームなんか上の空で、俺はそわそわと貧乏ゆすりをしていた。

少し離れた席からノムラが俺と目を合わせてきた。


 シウ、ドウシタノ。


 そんな口パクに俺は軽く肩を上げる。


 多分、というか絶対これだと思う事が一つある。

それは昨日、女子の家に送っている時に言われた事だ。


 ミヤビ君と話をするわ……モデルの企画もある事だし、早いに越した事はないはずだし。


 目を瞑って思いっきりため息をつく。


 早過ぎだろうがよー……これじゃフォローも出来ねぇじゃんよー……そりゃ早い方がいいけど俺も連れてけよー……やっと追いついたと思ったらもう行っちゃうんだもんなー……。


 きっと今頃一階の廊下にでもいると思う。

張り込みというか、待ち伏せというか。

そう考えるだけで俺の貧乏ゆすりはさらに高速になっていった。


 ※


 ふーむ、なかなか終わらないわねぇ。


 私は昇降口の壁に寄り掛かって待っている。

もう帰りのホームルームが終わったクラスからは、一年生達が出てきていた。

前を通る子達の視線が、ちらり、ちらり、と少し痛い──なんて事は全く気にしないので、バッグから手探りで塩飴の袋を取り出す。

今日は体育もあって汗もかいたし、熱中症対策、と言いたいところだけれど美味しいから舐めましょう。


 かこん、と歯に当たる少し大きめの丸に、優しいしょっぱさ。


 一年十組の教室から少し離れた九組と八組の間にある昇降口から、まだなのぉ、と眺めると、教師が出てきた。

続いて生徒達が部活や帰宅といった様子で出てくる。


 さてと──行きましょう。


 私は十組の教室の後ろの扉をノックした。

もう開けられているのだけれど一応の礼儀だ。

すると教室の中にいた一年生達が一斉に私を見た。

三年生の私が現れたからか、少々静まり返る。


「……失礼。このクラスの──」


「──クラキ先輩?」


 と、教室の真ん中辺りの席にいたハギオさんが気づいて寄ってきた。

同じクラスだったのね、と手を振る。

けれど目的はあなたじゃない。


「こんにちは。カジミヤビという子がこのクラスだと聞いて来たのだけれど」


 一瞬だけハギオさんは止まって、教室の前の、隅の方へと向いた。

他の子達もそちらに目をやるので辿っていくと、教室の窓際、一番前の席にゴールした。

机に突っ伏しているシャツの背中が見える。


「寝てるの?」


 私が近くにいた男の子にそう聞くと、大体寝てます、と返ってきた。

そしてミヤビ君の近くにいた男の子が気を利かせて起こしてくれた。


「ミヤ、先輩来てんぞっ。おーい」


 このクラスでは、ミヤ、という愛称で呼ばれているらしい。

そしてハギオさんが近づいて耳打ちしてきた。

少々体を斜めにする。


「どうしたん、ですか?」


「会いに来たの。まずかったかしら」


「そりゃ一年の教室に三年生が来るっていうのは、何かあるんかなって気になりますけれど」


 皆興味津々なところ悪いのだけれど、皆にはあまり言いたい事ではない。


「──……あ? ごめん、寝てた。誰──……げぇ!」


 随分大きな声で拒否されてしまったわ。

それに何その顔、昨日の余裕はどこに行ったのかしら。

なぁんて、全部計算済みよ。

クサカ君から聞いたミヤビちゃんはとっても良い子みたいだからきっと教室でもそうなんでしょうね、と踏んでたのよね、ふふん。

だから絶対逃がさない一言も用意してるのよ。


「こんにちはミヤビ君。昨日はとても楽しかったわね──興奮するほどに」


 にっこり、と微笑も付けるとミヤビ君の顔はまた嫌そうに歪んだ。

それにクラスの子達も、昨日? と更に興味を沸かせている。

バッグを手に急いでこちらにやってきたミヤビ君は私を睨み落としてきた。


「……昨日の今日でよく会いに来ましたね、あんた」


 あんた。


「また噛みつかれたいのかしら」


 ちら、と一瞬だけクラスの子達を見る。

当然しないけれど、ミヤビ君はすぐに察して諦めたようだ。

歪んでいた顔は戻って、冷めた顔は昨日見た顔だった。


 私は、その顔を壊してやるつもりでいる。


「──


 そう言って私とミヤビ君は歩き出した。

遊ぶ場所は、誰にも邪魔されない場所がいい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る