第272話 アプフェルシュトュルーデル(後編)

 俺は漫画、女子は小説を読むこともあるけれど気分によってその日は様々で、今日は俺も女子もゲームをしている。

以前、何でも言う事聞くゲーム大会の時にやっていた魔法使いの対戦ゲームのやつだ。


「んー、強くなったわね」


「そりゃ毎回鍛えられてるんで。っていうか戦績どっこいどっこいじゃね?」


「ところがどっこい、私が勝ち越してるわ」


 覚えてんのかい、と俺はまた一回、あぷふぇるしゅとぅるーでりゅ、を食べる。

噛んだ。

女子も携帯型ゲーム機を膝に置いて食べている。

箸でも美味そうに見える不思議、もう一口。


 すると女子からこんな質問が飛んできた。


「魔法が使えるとしたらどんな魔法がいい?」


 またファンタジックでゲームチックな質問だ。

考えた事は一度ならず二度以上ある。

ごくん。


「空飛びたい」


「んふっ、あるある」


「んでも困った事に割と高いとこ駄目んなったんだよなー」


 生物部に続くあの階段から落ちかけてからちょっとトラウマになってしまった。

今は手すりをしっかり握らないと怖い。


「私は高いところ好き。けれど夢の中で空飛んでると足がびくついて起きちゃう」


「ははっ、あるある」


 しかし女子はどうして魔法とか言い出したのだろうか。

ゲームではお菓子の名前がそのまま技名になっていて、今食べているお菓子のように魔法の呪文に聞こえなくもないのだけれど。


「シウちゃんは?」


 そして女子は箸を置いて教室の窓の方、外を眺めながら言った。


「──時間を操りたい、かな」


 操る。

それは、どれか。


「タイムリープ的な?」


 俺は思った。

もしかしたら女子の姉さんが生きていた時──亡くなる事故の時を考えたのではないかと。

けれど女子の答えは違った。


「戻れたらもう一度アプフェルシュトュルーデル食べるところからかしら」


 もうあと二口ずつになったお菓子を元に戻したいという軽いものだった。


「何だよ、もっと重い事かと──」


「──重いって?」


 しまった。

無意識の鼻歌みたいに出てしまった。


 けれど、いつかは聞きたいと考えていた。

それが今か、って言ったら予想もしていないタイミングだ。


 俺は何度か目だけを上下左右に動かして、女子の口を見ながら言った。


「……姉ちゃんがいる時に戻りたいって言うかと、思った」


 女子の唇が少し開いた。

驚きからか、瞬間、聞かなきゃよかったと後悔する。

いや、後悔じゃない。

どう表したらいいだろう──。


「──それはとても素敵ね」


 そう聞こえて顔を上げると、女子は微笑んでいた。


「──ごめんっ!」


 俺はすぐに謝った。

だって今の顔は違う顔だったから。


 夢の中じゃない、悲しい中の顔をさせてしまったから。


「ふふっ、大丈夫。クサカ君までそんな顔しなくていいのよ?」


 女子は俺の頬に触れた。

相変わらず冷たい指先が目元をくすぐる。


 俺はずっと聞きたかった。

けれど女子をつらくさせたくなかった。

だから我慢した。

我慢して、我慢して、崩れてしまった。


 見せたくない顔を、晒してしまった。


「……シウちゃんって優しすぎ」


「え、うん」


「ふっ、肯定してもいいけど──ちょっと、つらい」


 言ってしまおう。

俺も溢れるものがある。

零れてしまった音は止まらない。


「俺、受け止めたいよ。お前の何でも」


 何でも、色々、全部。


「でも……戻ったら俺はそこにいない」


 いない、女子の過去に俺は、いない。


 いつか女子が言った。

俺を知らない私になると。


 ──たまに怖いんだ。

お前が知らない人になるのが。


 女子の手が、すっ、と俺の頬から離れた。

俺は変わらず俯いている。

すると頭に軽い衝撃が起こった。

目だけ上げてみると、女子のチョップの形の手が見えた。


「夢の話よ。現実になるわけじゃない」


 わかっている。

所詮、魔法は夢の中の話だって事は。


「もし私が魔法を使えたら、きっとあなたのために使うわ」


「……おかわりお菓子?」


「んふっ、わかってるじゃない」


 うん──


「それと怖がるクサカ君にしがみつかれながら空を飛ぶ方が面白そうだわ」


「おっ前……もー、敵わん」


 勝ち越してるしね、と女子はいつも通りの魔法──いたずらな笑みを俺に向けて、ふふーん、とまた外れた音で鼻歌を歌うのだった。

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