第270話 塩ヌガー(後編)
クラキはカジを知らない。
「……会った事ねぇの?」
俺は知ってしまった。
あいつらが知らない事を知ってしまった。
「最近だと天文部で。クサカ先輩もいましたけれど」
カジの顔が、目が戻った。
リョウの名前が出たからか。
「紹介されたとかじゃないです。すれ違っただけでした。多分あっちは名前も知らない一年くらいにしか思ってないかと」
「そうじゃなくて……あー、その、それより前は?」
「ないです」
「じゃあ何で知ってんだよ」
空に灰色が強くなった。
俺の言葉もつい、強くなった。
「……悪い。部外者が、とか言うなよ」
そう言った時、ハギオさんと目が合った。
しまった、と体が硬直する。
もしかしたらハギオさんは何も知らないし、何の話だと思っているかもしれない。
「あの、あたしも聞いたんで大丈夫、です」
マジか、と安堵と新しい不安がすぐに混ざった。
「カジ」
「何」
「あたしがいるか、いないか。どっちがいい?」
「……別にいーよ。いて」
「わかった。アマネ先輩どうぞ。この会話が何を意味するのかあたしにはわかりませんけれど邪魔はしません」
遠まわしに、俺とハギオさんは部外者だ、と言われてしまった。
確かにそうだ、俺はカジを知らない。
知っているのは──。
「──クラキはあんな
カジがどのクラキを知っているかなんて、知るか。
俺はポケットの中で塩ヌガーを握る。
クラキは俺の特別だった。
それは今でも変わらない、俺の多くの特別の中の一つだ。
それを嫌いだとか、あんなだとか言われるのは我慢ならない。
「まるで自分の彼女みたいな口ぶりですね」
「はっ、そーかもな」
怒らせようと仕掛けてきやがったが、そうはさせるか、と軽くかわす。
「俺が何かするとでも思いました?」
「思った」
まだ思ってる。
だから聞く。
「クラキに何の用?」
カジは空を見上げた。
「……笑えなくしたい」
「は?」
さすがにハギオさんもカジに怪訝な目を向けた。
「むかつくんです。いらつくんです」
カジは淡々と言った。
心も何もないようなその声に、ぞっ、とした。
「……お前、何でそんな──」
ゆっくりと俺に向いたカジは冷たくなかった。
その辺にいるような、ただの幼さが残る年下の後輩に見えた。
「──俺、かなしいんです。
ユウって……クラキの姉ちゃんの名前か?
「でもいつの間にか皆、ふつうなんです。ふつう。わかります? 笑ってんです。兄ちゃんも、あいつも」
ああ、これは、いつかの俺だ。
母さんが死んだ時の、俺だ。
大事な特別を失くした時の、感情だ。
「なんて、俺がおかしいなんてのはわかってるんです。ただ……追いつかない」
戻ったみたいな感覚、とカジは言う。
クラキを見てしまった事で思い出されたのか、落ち着いていたそれがまた沸いてしまったのか。
するとハギオさんが口を開いた。
邪魔しないと言っていたのに、我慢が出来なかったらしい。
しかしそれは驚くものだった。
「──嫉妬してんの?」
嫉妬。
「……ハギオに何がわかる──」
「──わかんないし、知らないよ。自分がこうだからクラキ先輩もこうなればいいって? 馬っ鹿みたい。ただの駄々こねたガキじゃん」
「あ?」
「あんた、さっきあたしに言ったよね。クラキ先輩は人殺しだって──アマネ先輩!」
聞こえた瞬間、俺はカジの胸倉を掴んでいた。
止めてくれなかったら危なかった。
もう殴る手を振り上げていたから。
すぐにカジを離して深く息を吐く。
「……冗談でも言うな。そういうの」
クラキの姉ちゃんは交通事故で亡くなったと聞いた。
そして、クラキを庇って、というのを聞いた。
だからってそんな……参った。
俺はこいつに何が言える?
「行き過ぎた言葉だったのは謝ります。でも、どうしても上手くいかない」
わかるから、言えない。
こいつには、カジにはまだ時間が必要だ。
それともう一つ、必要なものがある。
「……誰かと一緒って楽だよね。安心するし。だから、いーよ。そうすれば?」
そう言うハギオさんに俺は眉を顰めた。
それから、そうか、と肩の力が抜けた。
話す事で知ってもらえる──共有すれば、とハギオさんは言っているのだ。
「とりあえず、もうちょっとクラキ先輩を知った方がいいんじゃない?」
それにも同意する。
俺が知るクラキと、カジが知るクラキは違い過ぎる。
「……そーだな。ハギオさん良い事言うー」
「どうも。アマネ先輩は暴力禁止で。次は止めません」
反省します。
「……何なんだよ。ほっとけって──
ハギオさんがカジの頭をぱぁん、と小気味よく叩いた。
俺に禁止と言ったそばから、えぇ……?
「巻き込まれてやるって言ってんだよ、馬鹿。あとあれ、嫌うならとことん知ってからちゃんと嫌いなよ。それに、変わるかもしれないじゃん……嫌ったまんまじゃ、嫌だと思うし、とか」
「苦手とか言ってたくせにかよ」
煩いっ、とハギオさんとカジが言い合ってるのを見て、俺は何だか安心していた。
こいつらは俺の好きな奴らと似ている気がしたからだ。
まだまだ幼くて、拙さはあるけれど、それがこいつらのペースなんだとしたら、俺がもっと踏み込む必要はない。
それはさらに灰色を濃くしている。
一雨が──来た。
慌てて立った俺らは屋内に避難する。
ここらで、解散。
俺は歩くカジに近寄り、ひそ、と話した。
「揺らして悪かったな」
「……いえ。俺こそ、すみません」
「ハギオさん、いい子じゃん」
「どーなんですかね」
さっきの一発は結構効いたか、微妙な顔に笑った。
俺はどう言えるか──クラキなら多分こう言うかな、というのが思いついた。
「わかってくれる奴は必ずいる。抱えてねぇで分けろ──その方がちょっとは素敵になるんじゃね?」
お節介な先輩からの助言はここまで。
どう響いたか、カジは素直に、はい、と言ってキャンディ包みの紙を両端に引っ張り、塩ヌガーを食べた。
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