第262話 ボーロ(後編)

 進路相談室にて、女子が言うようにオオツキ先生はクマが酷くて、窓に背を向けているため逆光で影っていた。

そのためかいつもより迫力二倍増しのような気もする。

マンツーマンだからか、何に背よ、やっぱり俺はオオツキ先生に苦手意識を持っているようだ。

けれどこの場ははっきり言わなければならない。


「──まだ、決めてないです」


 俺は正直に言った。

するとオオツキ先生はペンの反対側で頭を掻きながら俺達生徒の──資料? みたいなものに目を落としたままこう言った。


「マジかー。んじゃ夏までに考えとけー」


 じゃあ次呼んで来い、と続けて言われた。


「………………え、それだけっすか?」


「あ? 決めてんのか?」


「き、決めてない、ですけど」


 オオツキ先生はペンを置くと緩く組んだ腕を机に置いた。

俺は変な緊張から背筋がさらに伸びる。


「最近緩やかだが成績も上がってきたなぁ、お前」


 まぁ、緩やかー、ですけれど。


「素行も悪くないし授業もうまーく隠れて休んでる」


 居眠りすんませんっ。


「部も滞りなく回してるよな」


 そこはやや適当っすけれど。


「──世の中、クサカみたいなやつはたくさんいる」


「……へ?」


「焦るな。お前はお前だ」


 俺は目を見開いた。


 三年、受験生。

クラスメイトがそれぞれ動き出しているのを見てから、俺は先生が言うように焦っていた。

考えてないわけじゃないけれど、上手くまとまらないでいた。


 ──俺は、どうなりたい?


「ちゃんと考えれてんなら及第点」


「で、でも俺、進路アンケート、白紙で出したんですけど」


 するとオオツキ先生は俺のアンケート票をぺら、と見せてきた。


「書いて消して、やっぱ書いて消してんだろが。まんま白紙じゃねぇべ──」


 ──クサカはちゃんと何かになろうとしてる。


 そう言ってくれた時、俺は無意識に机の下で拳を作って、握っていた。


「……次までには、決めます」


 オオツキ先生はオオカミのような牙──八重歯を見せて、笑った。


 ※


 男子の進路相談が終わって、次は私の番。

こういう個室で教師と二人きりというのはなかなかに緊張が増す──という事はなく、私は至って普通に机を挟んで、先生の対面に座った。


「失礼します」


「はいよろしくー。お前は進学だったな」


 進路アンケートにそう書いた。


「はい」


「んー、まぁクラキの成績ならどこでも大丈夫だろうな」


 それは嬉しい。

今まで地道に頑張ったわけでもないのだけれど、やる時はやっておいてよかったと自負する。

選択肢は多いに越した事はない。

そしてその中で一番のところを選びたい。

私に、未来の自分に一番のところをだ。


 私はゆっくりと目を閉じ、ゆっくりと目を開けた。


「──私、続けたいんです」


 初めて発した言葉は思ったよりもすんなりと出た。

多分、おそらく、私の中で決まったからだと思う。


 父さんのような立派な書家になるのは難しいと思う。

それでも私は父さんのように、書にたずさわる何かになりたいと考え出していた。

ずっとあの大きな背中を見て来た。

小さな頃から教えてもらい、学ばせてもらった。

今も決して真面目とは言えないけれど、ずっと続けているのがその証拠だ。

私の一つになっているのは確かで──書という一つが欠けてしまったら、私は私じゃなくなる気がする。


「……クラキの家はそうだったな」


 オオツキ先生は私の父さんが書家だと知っているし、合宿の時にも会っている。


 家を継ぐなんて大きな事は言えない。

けれど、いずれはそのくらい大きくなりたいとも考えている。

だから私は進学を選ぶ。

もっと学びたい、学ぶために。


「この事は親御さんと話したのか?」


「いえ、まだ……今、初めて言いました」


「そりゃ光栄だな」


 オオツキ先生は八重歯を見せて微笑んでいる。

何か喜ばせるような事を私は言ったらしい。


「何だその顔は」


「いえ……何だか嬉しそう? なので」


「はっ! お前らの未来の応援が出来るってのは楽しくてしょうがねぇのさ」


 誇りを持って、前に進め。


 そう言ったオオツキ先生はやっぱり八重歯を見せて笑った。

まるでご機嫌なオオカミのように。

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