第226話 炭酸水(後編)

 女子が俺の前に座っている。


「もうっ! にまにましないで!」


 俺の顔は見えないはずなのにそう言う。


「むーん! 聞いてるの!?」


 女子の顔を見なくても頬が膨らんでいるのがわかった。


「聞いてます聞いてます」


 少し前まで、俺は幸せ拷問空間に耐えていた。

けれど、おっぱ──やわやわな存在に気づいた女子は瞬間沸騰で照れてしまい、何故か俺が怒られているという今である。

ついでにDVDは二作目を画面に映している。


「……クラキー」


 返答なし。

無視のようだ。


「クラキさーん?」


 これにも返答なし。

無視続行のようだ。


「……シウちゃーん?」


 反応あり。

クラキは、じとぉ、とした目で振り向いた。

それと膨れっ面だ。


「……まだ、にまってらっさる」


 らっさってすんません。

こればっかりは我慢出来ません。


「……忘れてくれる?」


 今まさに思い返してしまった。


「無理そ」


 すると女子は思いっきり俺に寄り掛かってきた。

それは有り余るほどの勢いで、俺の鎖骨や胸が大ダメージだ。

おそらく女子も後頭部が痛いはずだ。

けれど女子は全くダメージがないのか、収まりがいいように俺の膝に手をついて居心地がいい位置を探している。


「こんな時ばっかり名前呼びっ」


 それはお前もだったじゃんか、とまだ座る位置が決まらない猫みたいに、むいむい、と背中を押し付けてくる女子の肩に俺は腕を回す。

すっぽり、あとぬくい。

肩に顎を乗せて機嫌を窺う。


「嬉しかったけれど? お前は?」


 名前は初めて呼んだ。

ちゃん付けだったけれど。


「……悪くなかったっ」


 怒ったり照れたり、忙しい女子にまた笑ってしまった。


 今までは苗字だったり、お前、って呼んでた方が多かったかもしれない。

男友達は平気だ。

女友達も長い事友達だったら抵抗ないのに、女子だけはどうしても照れ臭かった。

さっきのは冗談が混ざっていたから言えたらしい、とDVDを観ながら復習する。

ちなみに二作目のジャンルはアクションもの。

さっきから銃弾が飛び交っている。


「──嘘。嬉しかった」


 お、どうやら機嫌回復中。


「ほんとは呼んでみたかったの。けれどタイミングが掴めなくて」


 わかる。


「だから、たまに呼ん──」


 テレビ画面ではちょうど、スナイパーが標的を狙っていた。


「──志羽」


 俺も狙い撃ちで呼んでみた。

けれど女子の反応がなくて、少しを置いてから首が傾げられた。


「……うーん」


 うーん!? えぇ、何でぇ?


 まさかのミスショットに俺は困惑する。


「し、シウちゃんがいいっすか?」


「それはそれで恥ずかしいような」


 どっちだよ、と俺は女子の頭頂部をつつく。


「あは、ごめんなさい。呼ばれるだけでとても嬉しいのに欲張っちゃった」


 ふふっ、と女子が笑う。


「そういえば、ちゃん付けで呼ぶのってお婆様と父さんだけかも」


 お婆様! あと女子父ぃ……っ。


「たまにでいいの。少しずつ、私達のペースでいきましょ」


 ほいよ、と俺は後ろから抱き寄せた。

お腹触ったら一番痛い方法のしっぺするから、という忠告通りに肩辺りに腕を回す。

その腕に女子は頬を乗せて、座椅子代わりの俺とシウちゃんはDVDの続きを観るのだった──。


 ※


 ──というのが、数十分前。

相変わらず座椅子代わりの俺で、足の間に女子が座っている。


 そして、寝ている。


 二度ほど呼んでみたけれど、すーすー、と薄く寝息が返ってくるだけで起きる様子が全くない。

横顔を覗き込んでみたら、これまた気持ちよさそうに寝ているわけで。


 ……よくこのドンパチの中、寝れますなぁ。


 なんて感想は置いておいて、起こさないでおこう、と少し重い──軽くないのを我慢する。

珈琲が飲みたいところだけれど起こしてしまうかも、と俺はベッドに置いてあった炭酸水を思い出して飲んだ。

ぬるくて、多少炭酸が抜けたそれは甘くなくて──。


「──リョウただいまー。玄関に可愛い靴あったけれど誰か来て…………」


 ノックなしで部屋に入ってきたのは母さんで、俺は炭酸水を口に含んだまま両手を上げた。

ホールドアップだ。


「……あらー、あらあらあらあら、あらー、あらあらあらあら」


 あ、とら、が多い! そして何故部屋に入ってくるんだぁ! あと小声で起こさないようにの配慮ぉ!


 ごっきゅん、と飲み込んだ俺の手はまだ上げたままで、そして母さんの目が、かっ、と見開いて俺を狙った。


「眠り姫に不埒な真似してないでしょうね?」


「し、してないしてないっ」


 断じて俺はしてない! してないったらしてない! 多分。


「なら良し。起きるまで我慢しなさいねー」


 うふふふふー、と母さんはにやけを残して部屋を出て行った。

はぁーっ、と深くため息をついた俺はまた炭酸水を口に含んでこう思ったのだった。


 ちょっと前のあれ見られてたら確実にぶっとばされてたかも……はぁー……。

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